第34話

イズの話




「ああ、返す返すも残念ですわあ」

 中級悪魔、ナタリー・ロクフォードは大きく嘆息した。

「琥珀卿閣下が、天使憑きだ、なあんて」

「天使がらみじゃ手が出せない、ってのがそんなに残念かい?」

 イズ・アル・ヨーディンは薄く笑った。

「ええ、ほおんとおに、惜しくて惜しくてたまりませんわあ」

 ナタリーは、ピチャリと舌をならした。

「琥珀卿閣下って、なかなかに、好もしげな殿方の様でござあますのに!」

「……なに?」

 イズはその、黒曜石のような瞳を大きく見開いた。

「な、なにが、なんだって?」

「みなさまのお話をうかがった限りにおいては、琥珀卿、アヴェロン閣下ったら、あたくしの、こ・の・み❤ のタイプ、なんですの❤ おほほほほ、いやぁん、恥ンずかしーい❤」

「……あ、ああ、そうなんだ、ふーん」

 イズは、うめくようにつぶやいて、力なくうなずいた。

「そ、そりゃよかったね」

「ありがとうござあますおん嬢様。ああ、それにしても、あの雑魚天使ったらほおおんとおに、邪魔、ですわあ」

「でも、天使ってばバカだから、やりよう次第でなんとかなるんじゃないの?」

 中級悪魔、カンナ・キャラウェイは、ニヤニヤと言った。

「恋愛の自由と報われぬ恋の苦しみでも、ギャンギャンわめきたててやったらどーお? なにしろ天使っていう連中は、『自由』、『平等』、『博愛』って言葉に、やたらめったら弱いんだから」

 カンナはケラケラと笑った。

「まあねえ、ナタリー、あんたの場合、『男を食う』って言ったら、最終的に、本当に頭からバリバリ食らいつくしちゃうわけだけどお」

「いやですわカンナさん。あたくし、そんなはしたないことなんていたしませんことよ。音をたてて物を食べるだなんて、そんなはしたない。あたくしは、頭から、ゆぅっくりと、時間をかけて、音も立てずに丸ごと飲み込んでさしあげるんですのよ。ほほほほほ」

「ああら、それって、バリバリ噛み砕いちゃうのと、一体どっちが残酷なんだか」

 ナタリーとカンナが、クスクスと笑いあう。

「……琥珀卿は、確かに気色の悪い、うっとうしい、陰険の極みのような腹黒ではあるのだが」

 イズはぐったりとかぶりをふった。

「いかなあの陰険腹黒糸目とはいえ、そんな目にあうほどの罪を犯しているとは――いや、やっぱりあいつ、それぐらいの罪は犯してるか?」

「ああんらあ、おん嬢様、どうかなさいましたのお?」

「……いや、別に、何も」

 イズは、二、三度、目と目のあいだをもんだ。

「えーと、それでは、今後の対策についてだが」

 イズは、ジロリとナタリーをにらんだ。

「どうだったんだ、瑠璃の君のほうは?」

「おほほほほ」

 ナタリーは楽しげに笑った。下級悪魔でしかないエリックと違い、ナタリーやカンナのような中級悪魔は、相手の『名前』がわかっただけで、即座にその相手の夢へと滑りこむことが可能になる。

「なっかなかの、好感触でござあましたことよ」

「へえ? 本当かい?」

「えーえ」

 ナタリーはニマニマと笑った。

「だって、瑠璃の君は少なくとも、琥珀卿の『味方』なんかじゃ、ぜぇんぜぇん、ない、っていうことが、よおくわかりましたもの。おほほほほ」

「――そうだろうね」

 イズは小さくうなずいた。

「だって、琥珀卿は――アヴェロンは――気持ち悪いんだもん、あいつ」

「気持ち悪い?」

 カンナは小首を傾げた。

「ねえダーリン、『気持ち悪い』って、いったいどういうふうに気持ち悪いの?」

「あいつはまともに生きてない」

 イズは言下に答えた。

「アヴェロンは――あいつは、まともに生きてない。ああ、別に、『悪人』って言ってるわけじゃないぞ。まあ、あいつはとんでもない悪人だとは思うけど、でも――そういうことじゃ、ない。そうじゃなくて――」

 イズは、しばし言葉を探した。

「――人間は、誰だって、仮面をかぶって生きてる」

 イズは、考え考え、ゆっくりと言った。

「だから、いつも仮面をかぶってる、なんてことに、わたしは驚いたりしない。そんなのは普通のことだ。でも――でも、アヴェロンは――」

「――アヴェロンは?」

「琥珀卿閣下は?」

 カンナとナタリーが、グイと身を乗り出す。

「――アヴェロンは」

 イズは眉をひそめた。

「仮面の下には――何もない。だからあいつは、気持ち悪いんだよ」

「――おほほほほ」

 ナタリーは、奇妙に満足げに笑った。

「まあまあ、なんと、ますます好もしげな殿方であらせられますこと。おっほほほほ」

「おまえの男の趣味は最悪だな」

 イズは肩をすくめた。

「でも――そうか。瑠璃の君は、琥珀卿の味方じゃないってか」

「えーえ。――瑠璃の君は、とてもとても、とおっても、恐れて怯えてらっしゃいましたわ」

「え? ――あの人が、何を恐れたり怯えたりするっていうんだい?」

「ほっほ、それはでえすねーえ」

 ナタリーはニマニマと笑った。

「『琥珀卿』が、『琥珀卿』ではない、何者かになってしまうことを、で、ござあますわよお、もっちろん」

「『琥珀卿』が、『琥珀卿』じゃなくなる――」

 イズは、眉をひそめ。

「――なるほど」

 次の瞬間、その黒曜石のような瞳を、カッと燃え上がらせた。

「なるほど――そういうことか。――なるほどね。ああ――わかったよ。なるほどね、そりゃそうだ。わたしとナルガが首尾よく結ばれたら――そうしたら、どうしたって、はてみの君が琥珀卿に降嫁する、っていう話が出てきて当然だものね。なるほどなるほど、そりゃそうだ――」

「――ってことは」

 カンナの灰色の瞳がギラリと輝く。

「そんな事が起きなければ、その、瑠璃の君、とかいうやつは満足してくれる、ってことね?」

「そんな事が、起きなければ――」

 イズの真紅の唇に、凄絶な笑みが浮かんだ。

「――ああ、そうだね。そんな事が起きなければ、それが一番いい。――なあ、カンナ」

「なあにダーリン?」

「この間おまえがとっつかまえた小悪魔の主人、ってやつが、確かはてみの君にベタ惚れだって言ってたよなあ?」

「そうねえ、あいつはそう言ってたけど」

 カンナは、面白そうにニヤニヤした。

「なあにぃダーリン、あんな小物に、力を貸してやろうっていうのお?」

「――はてみの君が、琥珀卿に降嫁しなけりゃいいんだろ?」

 イズの瞳は、ギラギラと輝いた。

「そうだね――うん、うん、そうだ。そうだよ。それが一番いい。そう――そうすれば、わたしのほうも、何かと都合がいい――」

「あらあ」

 カンナの舌が、ペロリと薄い唇をなめまわした。

「何か考えついちゃったみたいね、ダーリン」

「ああ、考えついたよ」

 イズは不敵な笑みを浮かべた。

「なあ、おまえら」

「なあにダーリン」

「なんでござあましょうかしらおん嬢様?」

「あのね」

 イズは、二人の中級悪魔に晴れやかな笑みをむけた。

「ソルレンカの女王に会いたいんだ。ああ、もちろん、現実に、じゃなくていい。ソルレンカ女王の、夢にもぐりこみたい。おまえ達の力でなんとかなるか?」

「あったりまえでしょダーリン」

「お安いご用でござあますことよ」

「よろしい」

 イズはクツクツと笑った。

「ティリカ陛下――あなたにとってもこれは、悪い話じゃないはずですよ、きっと」

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