第33話

ライルの話




 翡翠宮の厨房の片隅で、ライル・ペルカは黙々と、クク芋の皮をむいていた。言うまでもなく、この上ない単純作業の下働きではあるのだが、なにしろライルはまだ、包丁を持たせてもらえるだけでもありがたいという立場。要するに、駆け出し、見習い、下っ端、若輩者の身である。ライルは、芋の皮むきを不満に思うどころか、鼻歌の一つも歌いだしそうな機嫌のよさで、着実に仕事をこなしていった。

「ククむき、あがりましたー!」

「おう、ライル、ゴミ捨ててこいや」

「はい!」

 自分にかけられたぶっきらぼうな声に、ライルは極上の返事を返した。

 自分の名前を、覚えてもらえたという喜びで。

 踊るような足取りで、寸胴のクズ入れをぶつけて勝手口の戸をあける。そしてそのまま外へ――出るや否や、何者かに思いきり突き当たった。クズ入れの中身をぶちまけずにすんだのは、ひとえにライルの日ごろの鍛錬のたまものである。

「あっぶねえな! っと、おい、大丈夫――」

「ひどいじゃないですかっ! こんなとこからいきなり出てくるなんて!!」

「チェッ、なんでえ、大丈夫すぎるじゃねえかよ」

 ライルは、ため息のような口笛を吹きながら、自分に突き当たった相手を見つめた。

 小さな体。高く澄んだ声。そう、その相手とは――。

「おいガキンチョ、危ねえからこんなとこウロチョロしてんじゃねえよ。邪魔だ邪魔だ。とっととどっかいきな。っと、それともおまえ、どっかの新入りかなんかか? 迷っちまったのか?」

「ちがいますよっ!」

 ガキンチョ――11、2ぐらいであろうか。仕立てはいいが、妙にツンツルテンで泥とほこりにまみれた服と、長い髪をまとめて押し込んであるらしい、プックリとふくらんだ帽子を身にまとった子供は、憤然とライルをにらみつけた。かわいらしく整った顔を惜しげもなくクチャクチャに歪め、ふっくらとしたバラ色の頬をパンパンにふくらませている。

「ここはええと――翡翠宮、第三厨房の勝手口でしょう?」

「へ? えーっと――ああ、そうだけど?」

「でしょう?」

 子供は、得意満面な顔で胸をはった。

「だったらいいんです。ぼくの計算通りです」

「へ? 計算?」

 ライルは、苦笑しながら首を傾げた。

「おいおい、何の話だよ。おまえいったい、何を計算したってんだ?」

「いろいろですよ」

 子供は、傲然と胸をはった。

「とにかく、今日はここまで来ることが出来たんです。ボクの新記録です」

「へ? 新記録? なんのこっちゃいな?」

 ライルは、ヒョイと肩をすくめた。

「なんだか知らねえけど、もう行ったほうがいいぜ。今、昼飯の仕込みしてるとこだからよ、みんな気が立ってんだ。ぶつかったのが俺だからよかったけど、運が悪けりゃぶん殴られてたとこだぜ」

「お昼御飯をつくってる所なんですか? ああ、それはちょうどいいですね」

 子供は晴れやかに微笑んだ。

「ぼく、おなかペッコペコなんですよ!」

「おいこらっ!?」

 ライルは、自分の脇をすり抜けて厨房の中にかけこもうとする子供の前にクズ入れごと立ちはだかった。

「うわっ!? い、いったあーい! ど、どうしてわざとぶつかってくるんですか、意地悪ッ!」

「ばっかやろ!」

 ライルは、真顔で子供をにらみつけた。

「そんな薄汚ねえ格好で、厨房に入ろうとするんじゃねえよ!」

「汚くないですよッ!」

 顔を真っ赤にし、ライルをすり抜けてなおも厨房に入ろうとする子供を、ライルはクズ入れをいったん脇に置いてガッチリと抑え込んだ。

「なんですか! 離して下さい!!」

「こんな汚ねえやつ、厨房に入れられるか!」

「汚くないですよッ!」

 子供は再び叫んだ。

「ちゃんと洗濯してるし、ボク昨日お風呂に入りました!」

「泥だらけのほこりまみれじゃねえかよ! だいたいなあ、綺麗な格好してたって、おまえみてえな得体の知れねえガキなんて、中に入れてたまるもんかよ! とっとと行っちまえ。邪魔だっつーの。ったく」

「キミは、本当に失礼な人ですね!」

 子供は憤然とライルを見あげた。

「その手を離しなさい! 無礼者ッ!」

「は? おいおい何言ってんだ? なーにが『無礼者』だ。お貴族様でもねえくせに――え?」

 ライルは、ハッとしたように子供の顔をのぞきこんだ。少しおびえたように、子供が身をすくめる。

「ま――まさか――」

 ライルは、半ば無意識のうちに、子供の帽子をむしり取った。

「あッ――!?」

「うッ――!?」

 子供は息を飲み、ライルはのどを絞められたかのようにうめいた。

 子供の帽子の下から現れたのは。

 それは、流れ落ちる美しい若葉色の絹糸。波打つやわらかい髪は、日の光に透かしだされた、生命力あふれる若葉と同じ色。どんな染料でも再現することの出来ない、この上なく美しい、『緑色の』髪――。

 その髪を一目見たものは、誰もが瞬時に悟るだろう。

 この子供は、ソルレンカの貴族――それとも王族――の血をひいている。それも、かなり濃く。

「あ――」

 ライルは、子供が顔をそむける寸前に、その瞳の色をかろうじて見てとった。

 瞳は、澄んだ赤茶色。『茶色』の瞳というのは、リセルティンではごくありふれたものだ。

 ――だが。

 だが、恐ろしいほどに透き通り、その白目の部分が、純白を通り越し、うっすら青みを帯びて見えるほどに白く、そして、どこまでも果てしなく澄み渡っているのに決して底を見通すことの出来ない、その、瞳は――。

 それこそまさしく――『リセルティンの玉眼(ぎょくがん)』。リセルティン貴族と、そして王族しか持ち得ぬ――いや、たとえリセルティン貴族であっても、その全ての者がそれを持てるわけではない、極めてまれな、二つの宝玉。

『ソルレンカの榊髪』。

『リセルティンの玉眼』。

その二つを、共にその身に兼ね備える者の数は、ひどく、限られている。

「――お貴族様かよ」

 ライルは吐き捨てた。

 ライルには、わかっていた。

 ライルには、その若葉色の髪を見た瞬間から、その子供の名前がわかっていた。

 だがライルは、子供の名前を『言わなかった』。

 そして。

 子供にも、わかった。

 ライルが自分の――子供の名前を、『あえて言わなかったのだ』ということが。

 だから。

 子供も、名乗らなかった。

「――行きな、嬢ちゃん」

 ライルはそっと子供から手を離し、むっつりと子供に背を向けた。

「こんなところで、あんたに怪我なんかされた日にゃあな、迷惑すんのはこっちなんだよ」

「ボ――ボク――」

 子供は、おどおどとライルに声をかけ、ライルが背中を向け続けているのを見て、唇を噛み、ゴシゴシと両目をぬぐった。

「ボク――ま、また、来ますからねッ!!」

「――来んじゃねえよ」

 ライルは、小さくつぶやいた。

 それが、ライル・ペルカと、国王ナルガ、はてみの君ガートルードの異母妹、ノア・ディ・イェリアーニアとの、初めての出会いだった。

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