第31話

リリエラの話




「ところで、ひとぉつだけおうかがいしてもよろしいでしょうかしらーあ?」

「――なんだね?」

「新月様と翡翠様との御成婚がかなったあかつきに――その、後に、確実に、かぁくじつに、起こる事って、いったいなんでござあましょうかしらーあ?」

「――そんな簡単なことを聞くのかね?」

 リリエラは、かすかにため息をついた。

「えーエ、あったくしのような愚か者は、かぁんたんなことでも、教えていただかないとわっかりかねますわーあ」

「なるほどね」

 リリエラは、そっけなく答えた。

「ならば教えよう。――はてみの君が、琥珀卿に降嫁あそばすのさ」

「なぁるほど、それなんでござあますのね」

「――何? ――なんのことだね?」

「ほっほっほ」

 女怪は、満足げに笑った。

「瑠璃の君がおそれていらっしゃられるのは、そのこと――はてみの君が、琥珀卿に御降嫁あそばすことでござあますのね?」

「――」

 リリエラは、ゆっくりとまぶたをふせ、そしてまた、ゆっくりと持ち上げた。女怪は、ニンマリと笑った。

「ほほ、違いますかしらあ?」

「――いいや。まあ、おそれていることは、それだけではないがね」

「ほっほっほ、さようでござあますか」

 女怪は、クナクナとうなずいた。

「琥珀卿、って、そぉんなに、おっそろしーい、おかたなんですのお?」

「琥珀卿が、恐ろしいかって? さて――むつかしいことを聞くね。そう――」

 リリエラは、疲れたように、座っている椅子にもたれかかった。

「『琥珀卿』という仮面をつけた――『琥珀卿』としての分を守るアヴェロンは、油断のならぬ男ではあるが、別段恐ろしゅうはない。琥珀は、利にあわぬことなどせぬ。だから、いったい何をしでかすか、ということも、きちんとわかる。――読めるのさ。利で動く者のことなら――読むことが、出来るのさ。だが――『琥珀卿』ではない、『琥珀卿』ではなくなったアヴェロンは――」

 リリエラは、深いため息をついた。

 「――心底恐ろしい。――何をしでかすかわからぬ」

「ほほほぉ、どーぉしてそぉんなことがおわかりになられますのーお? アヴェロン閣下が、『琥珀卿』でなかった時なんて、あるんですのーお?」

「――本当に、何もわかってはおらぬのだな」

 リリエラは、苛立たしげにかぶりをふった。

「われらは瑠璃で、彼らは琥珀。――わからぬのか? このようなことは、これが最初でも、おそらく最後でもありはせぬだろうよ。仮面を――『琥珀』という仮面を失った琥珀が何をしでかすか、など、いやというほどよう知っておる。――知りたくもないことまで知っておるわ。しかし、な――」

「しかあしぃ?」

「それでもな――それでも、次に何が起こるかなどということは――『琥珀卿』という仮面を失ったアヴェロンが、何をしでかすか、などということは、わからぬ。――読めぬのさ。読むことが、出来ぬのさ。――おそらく」

 リリエラは、ふと視線を宙に泳がせた。

「当の琥珀卿――アヴェロンにさえ、わからぬであろうよ、それは」

「ほっほっほ、それはそれは」

「――琥珀なしでは、国は立ち行かぬ。われら――われら瑠璃には腕がない。琥珀には翼がない。両方あるのは翡翠だけ――。瑠璃は腕を求め、琥珀は翼を求める。翡翠は異界を飛ぶが、その羽を休めることが出来るのは、この世界の上でだけ。――わかるかえ? 翡翠と、瑠璃と、琥珀。――どれが欠けてもならぬのさ」

「ああんらーあ、でもーお」

 女怪は、ピチャピチャと舌をならした。

「今の翡翠様とはてみの君の御父君は、ソルレンカのザレス王子、で、ござあますわよねーエ? 翡翠でも瑠璃でも琥珀でも、あっりませんわよーお?」

「愚かなことを言う」

 リリエラは、チッと舌をならした。

「利があるのなら、流れも変えるさ」

「ははぁ、新月様とでは、なあんの利もない、と、おっしゃりたいのですわ、ねーエ?」

「――利があるとでも言うのかえ?」

「ほほほほほ、それはこれから作るんですのよ」

「ほう?」

 リリエラは、小さく唇のはたを持ちあげた。

「出来るのかね?」

「前向きに善処いたしますわあ」

「それならそれを、琥珀卿に言うてやれ」

 リリエラは、ヒラリと片手をふった。

「あれも、明らかな利を見なかったことにするほど、愚かな男ではない」

「ああらぁ、ほぉんとおに、そうですかしらーあ?」

 女怪は、のっぺりとした顔を、リリエラの前に突き出した。

「何? ――何が言いたい?」

「それならあ、どーおして琥珀卿は、いまだに独身――独り身を通していらっしゃるんですのーお?」

「――何の話かね?」

「おっかしいじゃあないですのお」

 女怪は満足げに言った。

「琥珀卿は、もう三十を過ぎてらっしゃるんですわよお。御家のためにも、一刻も早く身をお固めになるべきじゃござあませんこと? ねエ? それだけならともかく、琥珀卿とはてみの君、というのは、どこからどう見ても、非の打ちどころのない御結婚じゃあござあませんの。それなのに、その御成婚を、御人もあろうに瑠璃の君たるあなた様が、こともあろうに、『恐れている』なんておっしゃる。そのうえそのうえ、当の琥珀卿御自身までもが、はてみの君との御結婚を、奇妙としか言いようのないほど懸命に、避けようとしていらっしゃいますわねえ? ねーエ、どーおして、そおんなことに、なってしまうんですのーお?」

「琥珀卿は――」

 リリエラは、わずかに言葉をとぎらせた。

「妹を、翡翠様に嫁がせたいのさ」

「ほほ、だからといって、御自分が御結婚を嫌う理由には、なりませんことよお?」

「いくらかはなるよ」

 リリエラは、いくぶんゆっくりとした口調で言った。

「翡翠様とはてみの君――御二人が御二人とも、同じ家の者と婚されるというのは、あまり望ましいことではない。琥珀卿が妹を翡翠様に嫁がせたいのなら、自分が身をひいたとしても、さほどおかしなことではあるまい?」

「ではあ、御自分は、他の御方と御結婚なさればよろしいじゃありませんのお」

「――妹が駄目だったときのことを、考えているのだろうよ、おそらく」

「ああーら、んまーあ」

 女怪は、大仰に嘆息した。

「それじゃあやっぱり、それが原因なんでござあますのね?」

「何?」

「瑠璃の君は、琥珀卿とはてみの君を、結婚させたくないんでござあましょ?」

「…………」

 リリエラは、はっきりと眉をひそめた。女怪はニヤニヤとリリエラの顔をのぞきこんだ。

「ちがあうんでえすのーお?」

「――それがわかっているのなら、もう言うことはなかろう」

 リリエラは、うるさげに女怪を手で払いのけるような仕草をした。

「行くがよい。新月様に恨みはないが――その結婚、肯ずるわけにはゆかぬ。琥珀卿を――」

 リリエラは、叫ぶように言った。

「琥珀卿以外の者にしてはならぬのだ」

「ほほほ、よろしゅうござあますわ。そのようにいたします」

「――何?」

「琥珀卿とはてみの君の御結婚が、かなわなければよろしいんでござあましょ?」

「――何を、馬鹿な」

 リリエラは、力なく言った。

「わたしが、いつそのようなことを言った?」

「ほほほ、よろしいんですのよ、なあんにもおっしゃて下さらなくても。ちゃあんとわかっておりますわーあ」

 女怪のドレスの裾が、ウネウネとうねり、ぬらぬらと周辺の空間を浸食しはじめた。

「ほほほほほ、このたびは大変たぁいへぇん、有意義なお話をたぁくさんお聞かせ下さり、まことにあぁりがとぉございましたあ。つもる話はまだまだあれど、あいにくとあたくしも主持ちの身、そろそろお別れの時間がやってまいりましたわあ。今日はここまでで、失礼させていただきます。瑠璃の君、るぅりのきみぃ、あたくしの申し上げたことを、今度参上いたします時までに、すこぅしばっかり、考えておいで下さいませな。ほ、ほ、ほ、ほ――ほーっほっほっほ!!」

 耳障りな笑い声と共に、女怪の、濁った紅色のドレスは、巨大なヒルのように女怪の体にまとわりついた。次から次へと、肉片の様な布地が伸び、のたくり、女怪の体にからみ、さらには顔にまで伸びていき――あきれたことに、女怪は布地の端を口の中へとすすり込み、ニチャリニチャリと飲みこみはじめた。

「それではごきげんよう、瑠璃の君。再びお目もじ出来る日を、楽しみにしておりますわーあ! ほ、ほ、ほ、ほーっほっほっほ!!」

 口いっぱいに布地をほおばった状態で、いったいどこから声を出していたのか。女体の口に布地がすすりこまれ、それと共に豊満な体が、さらには魚じみた顔までもが、そのぬらぬらとした口の中に飲みこまれ――。

 けたたましい笑い声を後に残し、女怪は自分で自分を飲みつくしてしまった。

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