第30話

リリエラの話




「ああ、そうそう、瑠璃の君、一応、御確認させていただいてよろしいでしょうかしらあ?」

「何をだね?」

「瑠璃の君が、新月様と翡翠様とのことに反対なされるのは――お孫様のため、なんでござあますかしらあ?」

「何を馬鹿な」

 リリエラは、うんざりしたように答えた。

「わたしが、孫を、アウラを、翡翠様に娶せるとでも思っておるのかね? そんなことをするわけがなかろう。そんなことをしたら――瑠璃の血が、濃くなりすぎる」

「ほほ――なるほどねえ」

 女怪は、にぃっと唇を横にひいた。

「瑠璃の血が、濃くなりすぎると――どういうことになるんですのお?」

「…………」

 リリエラは、ふと女怪から気をそらせた。

 夢が――揺れた。

「――あらあ」

 女怪が、半ば本気で驚いたような声をあげた。

「あたくしの作ったルートを、『素材』が渡ってくるなんて。んまーあ、これはこれは」

「――!?」

 リリエラは、ハッと立ちあがった。

「ア――アウラ!?」

「ほほ――可愛らしいお名前ですこと」

「そ――そなたがしでかしたことか、これは!?」

 リリエラは、怒りの奥に狼狽をひそめた声で叫んだ。女怪は肩をすくめた。

「あったくしがあ? いいええ、ちがいますわよお。お孫様は、御自分で、夢を渡られたんでござあますわよ。んまーあ、なああああーんて、すんばらしい御力なんでござあましょ。事前にあたくしが道をつけておいたとはいえ、『素材』――おっと、人の身で、夢を渡ることがお出来になられるなんて」

「アウラ――なぜ、このようなところに?」

 リリエラは、悲しげに、そして優しく問いかけた。

「と、聞いたところで――答えられぬか」

「ほほ、確かに、すこぅしばかり、むつかしそうでござあますことねえ」

 女怪は、奇妙に満足げに言った。リリエラは、アウラに向かって手を差しのべた。

「アウラ、こちらへおいで」

「――」

 ハタリ――と、翼が空気を打った。

 リリエラの、夢の世界の中。

 リリエラの孫娘、瑠璃の姫、アウラ・ティ・ローディニアは――。

 人の――世の常の人の姿をしていなかった。もちろん、その姿は、この、夢の世界においての姿であり、現実の世界でそんな姿をしているわけではない。だが、それにしたところで、その姿は、あまりにも、世の常の人の姿からはかけ離れていた。

 ハタハタと、翼がはためく。アウラの白銀の髪は、もつれ、からみ、ふくらみ、ひろがり、二枚のやわらかな、白銀の翼となっていた。瞳は、白目も黒目もない、瑠璃一色に染め上げられ――いや、一色、というのとは、少し違うかもしれない。アウラの瞳の中には、ゆらゆらと揺らぎ続ける、瑠璃の炎、瑠璃の陽炎があった。形のいい鼻。滑らかな頬。その滑らかな肌は、どこまでもどこまでも続いていた。そう――本来、口のあるべき場所にまで。

 アウラには、口がなかった。

 しかし、アウラを見て、真っ先にそのことに気がつく者は、おそらく一人としていはしないだろう。そんな事よりももっとずっと、ゆゆしき事態に目が行くはずだ。

 アウラには――体がなかった。

 頭と、翼と、目と鼻と耳。アウラには、それしかなかった。

「――」

 アウラは、ふわりとリリエラの手の中に舞い降りた。リリエラは、そっとアウラを抱きしめ、静かに腰をおろした。

「――これが、答えだ」

 リリエラは、小さくつぶやいた。

「瑠璃の血が濃すぎると――みな、こうなるのさ」

「ははあ――なあるほど」

 女怪は、ゆっくりとうなずいた。

「アウラ、アウラ、いったいどうしたね?」

 リリエラは、優しくアウラに語りかけた。

「迷いこんでしまったのかい? それとも、わたしに何か用かね?」

「――」

 アウラは、じっとリリエラを見あげた。リリエラは息を飲んだ。

「まさかおまえ――わたしを、心配して?」

「ああらいやだ、心配なんてなさらなくても、よろしいんでござあますのに。あたくしには、悪意なんてこれっぽっちもござあませんものお。ほっほっほ」

「悪意がないからといって、害を成さぬとは限らぬさ」

 リリエラは、チラリと女怪をにらんだ。

「けどね、アウラ、おまえはもうお帰り。わたしは大丈夫だから」

「そおですともぉ。あたくしがついておりますわあ」

「「…………」」

 リリエラと、そしてアウラまでもが、あきれたように女怪を見つめた。

「ほっほっほ、本当ですわよお。信じて下さいませな、ねえ?」

 女怪は、ニヤニヤと言った。

「それに、瑠璃の君、瑠璃の君が、本当に恐れていらっしゃられるのは、あたくしなんぞじゃ、ござあませんでしょ? ねエ?」

「……さてね」

 リリエラは小さく苦笑した。

「どうだろうね」

「ほほほ、まあ、お孫様のいらっしゃられるところでは、ちょっとお話できないようなことも、ござあますでしょうから、ねーエ?」

「何を言うかと思えば」

 リリエラは、わずかに笑みを大きくした。

「これが演技なら大したものだが、やはりそなたも、瑠璃のことが少しもわかってはおらぬな」

「――えエ?」

「わからぬのなら、そのままでおるがよい。それでいっかなかまわぬさ。――さて」

 リリエラは、軽くアウラの頬をなでた。

「アウラ、私はこの者と、もう少し話をせねばならぬ。おまえは、もうお帰り。――帰り道はわかるかね?」

「――」

 ハタリ――と、翼がはためく。アウラは、リリエラの腕の中から静かに舞い上がった。まっすぐに上昇していき――。

 そのまま、虚空にとけた。

「んまあ、お見事」

 女怪は、ペチペチと湿った拍手をした。

「――見たか」

 リリエラは、ゆっくりと息をついた。

「あれが――瑠璃だ」

「ほほ――なあるほど」

「地を踏みしめる足も、物をつくりだす手も、声をあげる口もない」

「そのかわりに、すんばらしい、うつつではない世界とつながる、目と耳と鼻と、そして――翼がおありになる」

「翼――ね。翼で飛び、見、聞き、嗅ぎ、知る。――だが、伝えるすべを持たぬ。瑠璃は――瑠璃だけでは、決して立ちゆかぬ――」

「ほほ、よろしいんですの? そんな大事を、あたくしごときはしためなんぞにおっしゃったりなさって?」

「こんなわかりきったことを、いまだに知らぬ者がおるとでも言うのかえ? つまらぬことを言うのはおよし。――いいかげん、本題に入ったらどうだね? そなた、翡翠様と新月様とを、夫婦にしたいのであろう?」

「ほほ、御慧眼御慧眼。いけませんかしら、ねーえ?」

「――そうは言っておらぬ。ただ――都合が、悪いのだよ」

「ほっほ、それは、さきほどもおうかがいいたしましたわあ。御都合が――ねえ。それは――」

 女怪は、楽しげに目を光らせた。

「瑠璃にとって、ですの? それとも――」

 女怪の分厚い舌が、ベロリと唇をなめた。

「――琥珀にとって、ですの?」

「――同じことだよ」

 リリエラは、わずかに肩を落とした。

「ああら、そうなんでござあますのお?」

「同じことさ。『比翼宰相』の名は、あだやおろそかにつけられたものではない。片翼が破れれば――もう片翼も、共に落ちるが定めさ」

「ああら、それなら」

 女怪は、ニンマリと相好を崩した。

「共に落ちずにすむのなら――? いかがなされるおつもりで、ござあましょうかしらん?」

「――何の話だ?」

「なああああーんの話でござあましょうかしら、ねーエ?」

 女怪は、グナグナと、身を震わせて笑った。

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