第29話

リリエラの話




 瑠璃宮は、まどろんでいた。

 瑠璃宮の主にして、瑠璃宰相、そして、瑠璃の君でもある、リリエラ・ティ・ローディニアは、自分が夢を見ている、ということを知っていた。

 そして、その夢が、常ならぬものである、ということも。

 夢は、うねっていた。

 もだえていた。

 のたうっていた。

 ぬらり――と、夢が破れた。

 ぬるぬると、魚じみた顔がのたくりこんでくる。

「ほっほっほ。こぉんばぁんわぁぁ、るぅりのきぃみぃ、るぅりのきみぃ、瑠璃の君、で、よろしいんでござあますわよ、ねえーぇ?」

「――誰だね、そなたは?」

 リリエラは、ぬらぬらと夢に這いずりこんでくるものを、強く厳しい、瑠璃色のまなざしで貫いた。

「あったくしぃ、で、ござあますかあ? ほ、ほ、ほ。誰でもよろしいじゃござあませんの、ねーェ? どおーせ、目が覚めたら、なああああーんにも、覚えてらっしゃらないんでしょうから。ほ、ほ、ほ、ほーっほっほ」

「そなた、『客人(まろうど)』だな?」

 リリエラは、すでに答えのわかっている問いを投げかけた。夢にのたくりこんできた女怪は、ねろねろと笑みを浮かべた。

「さあっすがあ、御慧眼ですわーあ。ほほ、たしかに、あたくしはまろうど、ですわね。ほっほ、御招きもなしに失礼いたしましたわ。ほほほ、これじゃあ、客人(まろうど)、というより、押しかけ女房か何かみたいですわ、ねーエ?」

 ズルリ――と、女怪の全身があらわれた。ぼんやりと濁った色の、もつれた水草をまとわりつかせたかのような髪。のっぺりと平たく、目と目のあいだの離れた、むくんだような魚じみた顔。胸と腰とが大きく張り出した、あざといまでに『女』を強調した肉体。全身にまとわりつく、むき出しになった内臓のような色の、ひだの多いぬめぬめとしたドレス。

「ほほほ、お邪魔でしたかしらあ?」

「――何をしに来た?」

「――楽しいたんのしい、お喋りを」

 女怪はグツグツと、のどの奥で笑った。

「ほほ――んまあーあ、そっれにしても、なぁんて、なああああーんて、透明な夢なんでござあましょ。ほほ、あたくしみたいな手合いには、すこぅしばかり、お綺麗で御清潔すぎますわね。ほほ」

「透明なら、綺麗なのかえ?」

 リリエラは、薄く笑った。

「味もそっけもありはせぬよ。楽しい秘密の一つも隠せぬ」

「えーえ、透明なだけ、ならね」

 女怪はヘラリと舌を出し、唇をなめまわした。

「透明ではあるが、単純ではない。――ほほ、まことに結構、で、ござあますわねええーえ」

「――座らぬかね? そなたも立ちづめでは疲れるであろう?」

 リリエラは、何もない空中から、こともなげに椅子を取り出してみせた。

「ああんら、まーあ」

 女怪は、わざとらしく感嘆してみせた。

「さっすがは、瑠璃の君。それってやっぱり、青い、高貴な、純粋な血の御力、ってやつでござあましょうかしらあ?」

「……そなたもやはり、勘違いをしているね」

 リリエラは、小さく嘆息した。

「わたしにこんなことが出来るのは、わたしの血が濃いからではない。――逆だよ」

「逆――と、おっしゃられますとお?」

「血が――濃すぎないから、さ」

「えエ?」

「わからぬかえ? ――それならそれでかまわぬが。――さて」

 リリエラは、何かを押しやるような仕草を見せた。女怪の目の前に、さきほど空中からつかみだされた椅子が滑りよる。女怪がそれに腰かけるのを待って、リリエラは口を開いた。

「何を話そうというのだね?」

「ほっほ、そうでござあますわねえ、瑠璃の君は、御存知であらせられますかしらあ?」

「何を?」

「新月様と翡翠様が、言い交したということを、で、ござあますわあ」

「――ああ」

 リリエラは、軽くうなずいた。

「知っておるよ。――それで?」

「瑠璃の君は、いかがなさるおつもりですかあ?」

「――さてね」

 リリエラは、ゆらりとこうべをめぐらせた。

「どうもこうも――わたしの一存で決められるようなことではないからね」

「ほっほ、まったまたあ、そんなご謙遜を。比翼宰相の片翼、リセルティンの長老、瑠璃宮の主、瑠璃の君にして――」

 女怪は、クゥクゥとのどをならした。

「――『人形使いのリリエラ』ともあろうおかたが、ねーェ?」

「――わたしに、何を言わせたい?」

 リリエラは、瑠璃の瞳をしばたたいた。

「忌憚のないご意見をおっしゃって下さいませな」

 女怪は、ニヤニヤとリリエラを見つめた。

「新月様と翡翠様の御成婚に――反対、なさるんですかあ?」

「わたし程度の者の反対で、どうにかなるようなら、それはそもそも、たいした『想い』ではなかったのだろうさ。――さてね。いったいどうしようかね。まあ――年寄りの繰り言ではあるが、お二人とも、愚かなことをなさったものだとは思うがね」

「ほっほ、愚かさは若さの特権ですわよ。あらいやだ、あたくしとしたことが、陳腐の極みのようなことを申し上げてしまいましたわ。お許しくださいませな」

「若かろうと、歳を食っていようと、愚かなことは、愚かなことだよ。若者がしでかす愚行と、年寄りがしでかす愚行とで、愚かさに違いがあるわけでなし」

 リリエラは、吐息と共にそうつぶやいた。

「――愚か者が、他人の愚かさをとがめることもある」

「ほほ――意味深長なお言葉ですこと」

 女怪は、小さな目を細めた。

「でも、おうかがいしてもよろしゅうござあますかしらん? どおおーして、愚かなこと、なんでござあましょ? 新月様と翡翠様、ほほ、お似あいの二人じゃござあませんこと? 瑠璃と琥珀との婚姻のような、禁忌なんぞがあるでなし、ねえ? そうでござあましょ? どうして愚かなこと、なんですかしらあ?」

「――誰も賛成せぬだろうよ」

「それはまた、どうしてそんなことになってしまうんでござあますかしらあ?」

「――都合が悪いからさ」

 リリエラはそっけなく答えた。女怪は、わずかに身を乗り出した。

「それは、誰にとってのことなんですの? いったい、『誰にとって』、都合が悪いんでござあましょ?」

「誰にとっても――だろうねえ」

「誰にとっても、ですかあ? ――ほほほ、それはまた、それはまた」

 女怪は、甲高く笑いながらのどをそらせた。

「ほおおおーんとおに、そうなんでござあましょうかしらん?」

「では聞くが」

 リリエラは、落ちつきはらって答えた。

「翡翠と新月が結ばれて、新月以外に、誰が利を得るというのだね?」

「ああんらああ、少なくとも翡翠様は、心の底からそれを望んでいらっしゃるようですがあ?」

「――そうかえ」

 リリエラは、ほっ、と息をついた。

「それも――知っておるよ。今の翡翠様も、はてみの君も、瑠璃の血のほうが濃く出たからね。瑠璃は――うつつを見るのが、下手なのさ」

「あらあ」

 女怪は、ぼってりとした唇をすぼめた。

「瑠璃の君ともあろう御方が、そおんなことをおっしゃられるなんて」

「瑠璃の長だからこそ、よくわかるのさ」

「ああら、まあ。――でもお」

 女怪は、わざとらしく首を傾げた。

「瑠璃の君には、うつつが、しっかり、しいいいいーっかりと、見えていらっしゃるように、あたくしお見受けいたしますけどお?」

「そう、見えるかえ? それはうれしいね。翡翠も、瑠璃も、琥珀も――うつつの見えぬ者が、長になってはならぬのさ」

「でもお、瑠璃の君、うつつでは見えないものが見えるからこそ、瑠璃の血には価値があるんでござあましょ?」

「うつつでは見えないものが見える、ということと、うつつが見えぬ、ということとは、まったく違うことだよ」

 リリエラの目が鋭くなった。

「そなた、なにゆえわたしのところへやって来た? 琥珀よりも、瑠璃のほうが組みしやすいとでも思ったのかえ?」

「ほほ、そういうわけでもござあませんけど。こちらにも、これはこれでいろいろと、都合というものがござあまして」

「都合――ねえ」

 リリエラは、うさんくさげに眉をひそめた。女怪は、クツクツとのどを震わせた。

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