第28話

アヴェロンの話




「道化、だと言っているな」

「道化、だと主張していますね」

「どこから来たんだろうな?」

「調べましょうか」

「調べようか」

「どちらを?」

「どちらでも」

「わたしも、どちらでも」

「じゃあ、俺は、あの魚みたいなほう」

「ナタリー・ロクフォードですね」

「ああ、そう、それ」

「じゃあ、私は、カンナ・キャラウェイを」

「あの髪の白いのか?」

「はい。ところで」

「ん?」

「琥珀宮にも、新しい人が入りましたね」

「ああ。アヴェロンにしちゃ珍しいな。ポッと出をひきこむなんて」

「もう、見に行きましたか?」

「これから行く」

「見に行ってもいいですか?」

「俺はかまわん。アヴェロンはどうだか知らんが」

「じゃあ、バレないように見にいきます」

「いつもそうしてるだろ」

「確かに」

「瑠璃宮には、何か変わったことは?」

「特には何も」

「なんだ、つまらん」

「平和でいいことですよ」

「そういうもんかな」

「そういうもんじゃありませんか?」

「そうかもしれんが、俺はつまらん」

「はあ、そうですか」

「じゃ、俺、もう行くから。またな、コール」

「それではまた。お元気で、ヤトク」







 室内に、盛大な拍手の音が響いた。

 と、いっても、拍手をしているのは、ゾラ・タッカーただ一人なのだが。

「素晴らしい演奏でした!」

 ゾラは、真夏の太陽も裸足で逃げ出すほど熱のこもった口調で断言した。

「ありがとうございます」

 琥珀宮の姫君、ジェニア・ティ・エルネストーリアは、はにかんだ、だがそれ以上にうれしそうな笑みを浮かべた。

「兄上のおかげです」

「いや、ジェニアもよくやった」

 琥珀宮の主、エルネストーリア家当主、琥珀卿にしてジェニアの兄、アヴェロン・ティン・エルネストーリアは、琥珀の瞳に優しい光を浮かべ、鷹揚な笑みを浮かべた。

「リュクティ(小型の弦楽器)でチェルラト(リュクティと同じ形で一回り大きい)に負けない音が出せるようになったんだからね。正直、そこまで上達しているとは思わなかった。おかげで私も思いきり弾けたよ」

「はい! ありがとうございます!」

 ジェニアは、崇敬とともに微笑んだ。アヴェロンは、チラリと目元を和らげた。ゾラは、胸の前でガシリと両手を組んだ。

「お二人とも、素晴らしい音楽の素養をお持ちなんですね!」

「それはどうも」

 アヴェロンは軽く受け流した。

「『ラ・マルセイエーズ』を聴いた時の感動に、勝るとも劣りません!」

「…………」

 もちろんアヴェロンはゾラの言う『ラ・マルセイエーズ』とは、いったいなんのことなのかなど知りはしない。が、しかし、だからといって自分から知らないことを明らかにしようとはしないのが、彼の賢明さであり老獪さであり用心深さである。

「『ら・まるせいえーず』って、なんですか?」

 ジェニアは無邪気にたずねた。ゾラは、満面の笑みを浮かべた。

「革命歌です!」

「かくめいか?」

「はい!」

 ゾラは、それですべてが説明できたということを心の底から確信しているであろう顔で、強くうなずいた。実のところ、ジェニアにとっては『ら・まるせいえーず』も、『かくめいか』も、双方等しくチンプンカンプンだったのだが、ゾラのあまりにも自信ありげな様子に、ジェニアはそれ以上の質問をあきらめた。

「ゾラは、何か楽器はやらないのか?」

 言葉の意味はよくわからないながらも、話が危険な方向へと転がりかけているのを直感で察したアヴェロンは、すかさず口をはさんだ。

「楽器ですか? あいにくとわたしは、そう言った方面には不調法でして。踊りも、フォークダンスしか出来ませんし」

「ふぉーくだんす?」

 ジェニアが首を傾げる。

「そういう踊りが、あるんですか?」

「はい」

 にこやかにゾラがうなずく。そのかたわらで、頭を抱え込みそうになっているアヴェロンには、幸か不幸か、ジェニアもゾラも、まったく気がついていない。

「どんな踊りですか?」

「ええと、大勢が輪になって、たいていは、男女が組になって、次から次へと相手を変えて踊っていくんですよ。振り付けは簡単ですから、誰でも踊れます」

「わたしでも踊れますか?」

「もちろんです」

「少し、やって見せてくれますか?」

「ええ、いいですよ。あ、でも、出来れば相手がいたほうが――」

「バルディク、相手をしてやれ」

 壁に溶け込むかのように静かにたたずんでいた従僕のバルディクが、壁からはがれてゾラの前に立つ。

 かなり小柄なバルディクは、ゾラを少し見あげる格好になった。

「まず、わたし一人で女性の振り付けを踊ってみます。次にバルディクさんに、男性の振り付けをお教えいたしますから、そうしたら、二人で踊ってみましょう。

 ゾラは、アヴェロン、ジェニア、バルディクに、それぞれきっちり等分にお辞儀をしてから、トコトコと部屋の中央へと歩み出た。

「ちゃーららっちゃーちゃらららちゃっちゃっちゃ」

 のどかな口演奏とともに、ゾラは風を相手にオクラホマ・ミキサーを踊りはじめた。







 瑠璃宮の辻守り、コール・ディン・アロアは、ゆらゆらふわふわと、瑠璃宮の屋根の上を散策していた。ふところから、流れるような仕草でペンセ(横笛)をとりだし、フイ、と口にあてる。

 澄んだ笛の音が、風と戯れはじめた。







「ちゃらちゃらちゃらちゃん、ちゃーらちゃららららん、ちゃーらちゃっちゃーちゃらららちゃっちゃっちゃん」

「兄上」

 ジェニアは、クスクスと楽しげに笑った。

「面白いですね。すっごく簡単で、すっごく短い振り付けなんですね。それを、大勢で輪になって、どんどん相手を変えながら踊るなんて。今は、ゾラさんとバルディクしかいないけど――」

 ジェニアは、かわいらしく小首を傾げてアヴェロンを見つめた。

「ね、兄上、大勢で踊ったら、どんなふうになるのか見てみたいですね」

「そうだね――」

 軽くうなずきかけ。

 アヴェロンの琥珀の瞳が、一瞬にして凍った。

 誰にでも出来るような、短くて簡単な振り付けを。

 大勢で。

 輪になって。

 どんどん相手を変えながら、踊る。

 では。

 それでは。

 そこには。その輪の、その形の中には。

 そこには、身分もへったくれもない、ただ踊り続けるだけの群衆が出現するのでは――?

「――」

 アヴェロンは、息を飲む。

 アヴェロンは、初めてゾラを真剣に、ある種の恐怖と尊敬さえをも込めた目で見つめた。

 そこで踊っているのは。

 ちっぽけな、娘。

 そこで踊っているのは。

 異界からの、訪問者。

 そこで踊っているのは。

 今ある世界を壊す踊りを、何の気もなく、踊ってのける少女。

「――私の、考えすぎならいいんだが」

「え?」

「いや、なんでもない」

「そうですか? ――ねえ、兄上」

「なんだい、ジェニア?」

「兄上」

 ジェニアはアヴェロンに、屈託のない笑顔を向けた。

「一緒に踊っていただけますか?」

「え? ああ、うん、もちろん」

 アヴェロンは、ジェニアに、優しい微笑みを返した。

「それでは、姫、お手をどうぞ」

 琥珀宮の主、琥珀卿、アヴェロン・ティン・エルネストーリアは――。

 妹に、甘いのだった。







 瑠璃宮の上を、ぬらりと風がなでた。

 コールは、閉じていたまぶたをあげ、ペンセに強く息を吹き込んだ。

 旋律のない、鋭い音色が、まっすぐに夜空に吸い込まれた。







「――アヴェロン」

 琥珀卿、アヴェロン・ティン・エルネストーリアを、アヴェロンと呼び捨てることのできる者の数は、両手の指の数に満たない。

 さらに加えて、誰にも見とがめられずにその寝室にまで入り込むことが出来るのは、一人――もしかしたら、二人――しかいない。

「ヤトクか」

 アヴェロンは、薄く笑みを浮かべた。

「新入りを見に来たのか?」

「ああ、もう見た」

 ヤトク・ディン・ジュリキアは、無愛想な答えを返した。ヤトクが琥珀宮の辻守りだからこそできることだ。辻守りは、世の常の身分の外にいる。

「面白いやつだな」

「面白い――まあ、そうだな」

 アヴェロンは苦笑した。

「まだこの国に慣れていないんだ。大目に見てやってくれ」

「どこから来たんだ?」

「ギザインからだ」

「なるほど」

 ヤトクは、あっさりとうなずいた。

「ああ、そういえば、でかい知らせと小さい知らせとがある。どっちから話そうか?」

「重要なほうから聞こう」

「イズがナルガと言い交したぞ」

「…………」

 アヴェロンは、演技抜きで絶句した。

「まだ、公式には発表されていないが」

「――されてたまるか。このことは、瑠璃宮は――」

「知ってるだろうな。コールは何も言っていなかったが」

「……それは、そうだろうな。なるほど――」

「小さいほうの知らせはな」

「え? あ、ああ、なんだ?」

「イズが、道化を二人召し抱えた。魚みたいな顔をした女と、若いのに、髪が真っ白な女だ。名前はええと――魚顔のほうがナタリー・ロクフォードで、白髪がカンナ・キャラウェイだ」

「どこからわいで出たんだ、その二人は?」

「今調べてる。今回の報告は、まあ、そんなところだな」

「新月が、道化――翡翠様と言い交したことと、関係、あるのか――?」

 アヴェロンのつぶやきは、半ば以上ひとりごとだった。ヤトクは、軽く首を傾げた。

「気になるのか?」

「……なる、な」

「調べるか?」

「…………」

 アヴェロンは、眉間にしわを寄せた。辻守りのヤトクには、アヴェロンも、比較的表情を隠さない。

「翡翠と新月――瑠璃宮は、なんと?」

「さあなあ。反対するんじゃないのか? イズには玉眼の血なんて、一滴たりとも流れていないからな。少なくとも、家系図の上では」

「しかし――瑠璃のやることは、常に道理にあうとは限らんからな」

 アヴェロンは、チッと舌をならした。

「まったく、瑠璃宮のやつらときたら、いっかなつかみどころというものがない」

「そうか?」

「そうは思わんか?」

「さあな」

 ヤトクは無愛想に答えた。

「誰だって、理にあわんことをすることもある。単なる程度の問題だろう?」

「――ふん。それはそうかもしれんが。しかし、新月と、ねえ――」

 アヴェロンは、キリキリと唇の両端をつりあげた。

 それは、笑みと呼ぶにはあまりに凶悪に過ぎた。

「琥珀はお見限り、というわけだ」

「そうとも限らんだろう?」

 ヤトクは、不思議そうに首を傾げた。

「まだ、はてみの君がいる」

「はてみの君――か」

 アヴェロンは、ため息に限りなく近い吐息をもらした。

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