第23話
パーシヴァルの話
「ビエエエエエン! マ、マスター! よ、よーやっと戻ってこれた! マスター、オレもうずぇったいにマスターのそば離れない! お願い、守ってマスター!!」
エリックは、空中からパーシヴァルの眼前に放り出されるや否や、泣きわめきながらパーシヴァルの首っ玉にかじりついた。あっけにとられたパーシヴァルがエリックを見――たとたん、パーシヴァルは思いきり目をむいた。
「エ、エ、エリック、な、なんなんだその素っ頓狂な格好は!?」
「へ?」
エリックも、つられて自分の体に目を――やると同時にけたたましい悲鳴を上げた。
「ギエエエエエッ!? せ、設定ロックされてるッ! お、おネエさまがたの、イジワルッ!」
エリックは、すさまじい勢いで空中に指を躍らせた。別の世界の人間が見れば、それは、空中にある人の目には見えないキーボードを叩いているように見えたかも知れない。エリックの目的はただ一つ。ようやっと、大人の姿に戻れたというのに、しつこく自分の体にまとわりついたままの、黄色いポワポワしたクマの着ぐるみをひっぺがすことである。
「エリック――何か、あったのか?」
パーシヴァルは、あたりを見まわしながら小声でたずねた。幸いというかなんというか、エリックの悪魔としての魔力は、しっかりと効力を発揮しているらしく、行きかう人々の目には、パーシヴァルとエリックの姿は見えていないようだし、もちろん声も聞こえてはいないようだ。
「マスター……女って、怖いッスねえ……」
エリックはしみじみと言った。
「――女官に剣突でも食らわされたのか?」
パーシヴァルはきょとんと言った。エリックはガックリとずっこけた。
「あのねえマスター、こー言っちゃなんなんスけど、たかが『素材』ごときに、こーんなことができるわけないっしょ。――あ、やれやれ、よーやっと脱げた。――えーっと、あのね、マスター、もしかしたら、あんまりいいニュースじゃ――あ、いや、でも、どーかなー、うまくいきゃ味方に――」
「にゅうす、って、なんだ?」
「あー、えー、新しいお知らせのことッス」
「が、どうした」
「オレの他にも、召喚されたかたがたがいるんスよ」
エリックは、ブルブルと大きく身を震わせた。
「しかも、オレなんかより確実に格上」
「ほう――」
パーシヴァルは眉根をよせた。
「そうすると、何かまずいことでもあるのか?」
「ああ、マスターは大丈夫ッスよ。おれはイジメられるッスけど。でも、ま、それはさておき――いろいろあるんスよ、んーとに、ったく」
エリックは、グンニャリとパーシヴァルにもたれかかった。
「おい、こら、エリック」
「マスター……慰めてチョーダイ……」
「は? あー、えー、そのー……う、うちに帰って、ドゥカー茶でも飲んで一息つくか?」
「うう……」
「あー、ミーロ茶も、ユジャ湯もあるが――」
「もう一声……」
「おい、エリック、どうした? 具合でも悪いのか? ええと、おかゆでもつくってやろうか?」
「肉が食いたい……」
「そんなことを言えるくらいならまだまだ元気みたいだな。おい、こら、もたれかかるな」
「ハンバーガーとポテトとコーラが食いたい……」
「な、なんだ、それは?」
「オレって、カワイソ……」
「なんだかよくわからんが、どうもえらい目にあったようだな」
パーシヴァルは不器用な手つきで、エリックの背中をポンポンと叩いた。エリックは、深々とため息をついた。
「そーなんスよ。あーもう、エッライ目にあったッス……」
「そうか、気の毒にな。――ところで」
パーシヴァルは小首を傾げた。
「おまえがわざわざ翡翠宮までやってきた目的は、その、もう達成されたのか?」
「へ? あ、あー、そらもちろん。バッチシタグ付けしてきたし――」
エリックはヘラリと笑った。
「はてみの君のお顔も、バッチシこの目で拝見して来たッスよん♪」
「な――」
パーシヴァルの頬がみるみる赤く染まる。
「お、お、おまえときたら! な、なんと恐れ多いことを!」
「なーに言ってんスか。マスターだっていっつも見てるんでしょー?」
「わ、わ、私は、し、仕事で!」
「へいへい、そーいうことにしとくッスよ」
エリックはヒラヒラと片手をふった。
「と、と――とにかく」
パーシヴァルは、幾分わざとらしく何度もせきばらいをした。
「もう、用はすんだんだな。帰るぞエリック。それともおまえ、まだ翡翠宮の中を見物していたいか?」
「うう、いや、やめとくッス」
エリックは、青い顔でかぶりをふった。
「おネエさまがたのナワバリうろつくくらいなら、一般参加者の列をサークルチケット見せびらかしながら歩いたほうがマシッス」
「は?」
「まあ、つまり、なんつーか、オレにもいろいろと事情があるんスよ」
「ふむ、そういうものか。――さて」
パーシヴァルは、トン、とエリックを突き放した。
「自分で歩くくらいの元気はあるんだろう。行くぞエリック」
「へーい、リョーカイ」
エリックは、二、三歩足を踏み出し、唐突に、ニンマリと笑いながらふりかえった。
「あ、そだそだマスター」
「なんだ?」
「オレ、おみやげ持ってきてあげたッスよ」
「おい、こら、まさか、なにかちょろまかしてきたんじゃないだろうな?」
「しっつれーな。オレ、んなことしないッスよ。――ん? あ、でも、もしかして厳密に言えば肖像権の侵害ってことになるのかな、これ? あー、でも、この世界にそんな高尚な概念が出来るまでには、ずぇったいてきに、あと百年以上はよゆーでかかるんだろうし――」
「またわけのわからんことを」
「わけがわかったらびっくりッスよ。ま、とにかく、見て見てマスター、ほら、これ、よく撮れてるっしょ?」
「おまえ、いったい何を――」
顔をしかめてエリックのふりまわしている紙切れを見たパーシヴァルは、一瞬のとまどいの後、大きくあえぎながら目をむいた。
「おっ、おっおっおっ、おまえ、そっ、それは――!?」
「おったからおったから、かーみこーりーん❤」
エリックは、ヘラヘラと踊りまわった。
「はってみーのきーみの、プライベート・ショット! マスター、欲しい? 欲しい? ねえ、欲しいッスかあ?」
「おっ、おまえ、ど、どうやってそんなものを――!?」
「だってエリちゃん、悪魔だもん❤」
エリックは、軽やかにステップを踏んだ。その手の中で燦然と輝くのは、はてみの塔の窓から、もの思わしげに下界を見やる、はてみの君、ガートルードのバスト・ショット写真である。
「そ、それは――絵、か?」
「んーなわけないっしょ。写真ッスよ」
「しゃしん?」
「あー、この世界には、まだない技術ッスね。ま、それはともかく、いーでしょマスター。欲しいでしょー?」
「う――」
パーシヴァルの顔は、見る見るうちに紅潮した。
「あっれーえ、欲しく、ないんスかーあ?」
「……お、おまえ、は、はてみの君に無断でそんなものを……」
「あー、そかそか。欲しくないんスか」
エリックはわざとらしいため息をつきながら、がっくりと肩を落としてみせた。
「んじゃ、しょーがないッスね。やぶいちゃおっかなー、これ」
「ま、待て!!」
パーシヴァルは悲鳴のように叫びながらエリックに飛びかかった。エリックは軽々と身をかわした。
「あーっれーえ、なーんだ、やっぱり欲しいんじゃないッスかあ」
「う、い、いや、その、だな、その――」
パーシヴァルは、真っ赤な顔のまませきばらいを繰り返した。
「そ、その――お、おまえの言うことなんか信用できん。や、やぶいたように見せかけて、じ、実はこっそりとっておくつもりだろう!」
パーシヴァルは、もうひとしきりせきばらいを繰り返した。
「私によこせ。責任を持って処分しておいてやる」
「マースター」
エリックは、ニヤニヤと満足げに笑った。
「んーとにもう、素直じゃないッスねえ❤」
「ふ、ふん。な、何を馬鹿な事を言っているんだ。いいからそれをよこせ。命令だ。私が死ぬまでは私に従うと言ったな。契約を破る気か?」
「やっだなーもう、そんなにムキになんなくったって、ちゃーんとあげるッスよ。でも、その前に――」
「その前に?」
「――オホホホホ、つかまえてごらんなさーい❤」
エリックは、わざわざ裏声まで使ってしなをつくり、嬉々としてかけだした。そしてその後に――。
世界の命運を一身に担ったかのような形相のパーシヴァルが、恥も外聞も常識もかなぐり捨てて突進し、そしてその結果――。
翡翠宮のある廊下に、いきなり人を突き飛ばす、ひどく乱暴な幽霊が、なんと真昼間から現れるのだという、新たなる怪談が一つ生まれることになったのである。
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