第22話
イズの話
「ヒョエエエエエエエッ!」
唐突に、空中から、情けない悲鳴が響いた。
「な、な、何するんスかおネエさま!? い、いきなりブッコ抜くなんて、あんまりッスよ!」
言葉が終わるや否や、エリックは空中の見えない壁に思いきり叩きつけられた。実体化と同時のこの仕打ち、エリックでなくとも、抗議の一つもしたくなるところであろうが、エリックは逆に、ピッタリと口をつぐんだ。よけいな事を言って、必要以上に痛い目にあおうという趣味はないのである。
「あらあん、かわいい坊やですこと」
ナタリーは、ニヤニヤとエリックの頬をつっついた。エリックは、電流を流された実験動物のように、ピクピクと頬を痙攣させた。
「カンナさんったら、さっそくつまみ食いですかあ?」
「こんなのおやつにもなんないわよ。だいたいあたし、男はキライ」
「食わず嫌いはいけませんわよ」
「あたしいらない。あんた、欲しけりゃやるわよ」
「いいええ、あたくしは、おん嬢様一筋ですわあ」
「勝手に決めるな」
イズは顔をしかめた。
「ところで、と。こいつ、いったい何? おまえらの仲間?」
「仲間? っていうか、下っぱよ、下っぱ」
カンナは、パチリと指をならした。とたん、エリックの体が大きくはね、強制的にイズの前にひざまずかされる。
「ほーら、下っぱ、元気よく自己紹介」
「え? あ、あー、あーはいはい。オ、オレは、エリックッス」
「もっとちゃんとご挨拶なさい」
「リョ、リョーカイ。オ、オレは、エ、エリック・レント。下級悪魔。ランクはD*(アスタリスク)。特技はハッキング――じゃ、わっかんないッスよねえ。え、えーとつまり、他の人の夢を渡ったり、のぞいたりするのが得意ッス。えー、こんなもんでいいッスか?」
「あんたのマスターは?」
「お、おネエさま」
エリックは、あわれっぽい声をあげた。
「オ、オレにも一応、守秘義務ってもんが――」
「無力よねえ、力なき理想論って」
カンナは楽しげにのどをならし、パチリと指をはじいた。とたん、エリックの体が服の中に吸い込まれる。
「ビエッ!? なにちゅるんでちか、おネエたま!?」
舌足らずな声が響く。エリックは、小さくなった体に意地悪くからみつく服の中から、年端もいかぬ幼子の顔をやっとのことでつきだした。トレードマークの巨大なミラーのサングラスも、完全に顔の下にずっこけてしまっている。
「こうしとくと、力の差が目で見てわかるでしょ。わかりやすくなってよかったわね」
カンナは再び空中で指をはじいた。その指の動きにあわせ、エリックの頭がピンッ、と、後ろにはねる。
「エーン、おネエたま、いたいでちゅ」
「ああんらーあ。かわいちょかわいちょ。おーよちよち。痛かったでちゅねー、悪いおねえたんでちゅねー。おーよちよち。痛いの痛いの、とんでけー❤」
ナタリーが嬉々としてエリックをなでくりまわす。エリックは、ヒクヒクとうつろな笑みを浮かべた。主観的にも客観的にも、ナタリーがエリックを慰めている、というより、ナタリーがエリックをとって食おうとしている、とでも言ったほうがなんぼか正しい。
「い、いいまちゅいいまちゅ。オ、オリェのマチュターは、ゆめもいの、パーチヴァリュ・ヴァリャントっちゅ」
エリックは、あっさりと抵抗を放棄した。
「なんだって?」
舌足らずなエリックの言葉がよく聞き取れなかったイズが、眉をひそめる。
「こいつのマスターは、夢守りの、パーシヴァル・ヴァラントですって」
と、カンナが通訳する。
「おー、かわいちょかわいちょ」
ナタリーが、大仰な身振りでエリックを抱きしめる。
「こわかったでちゅねー。悪いおねえたんでちゅねー。メッ、でちゅねー。ほら、ごらんなさいなカンナさん。あなたはいつも、やることが荒っぽいんですよお。ごらんなさいな、こーんなに怯えちゃって」
「あんたの顔が怖いんじゃないの?」
「あらん、そうでしょうかしらあ?」
「――夢守り?」
イズは、ナタリーとカンナの掛け合いを完全に無視してつぶやいた。
「へえ――夢守りねえ。拒絶の結界師? それとも、守護のほう?」
「きょじぇちゅッチュ」
エリックは神妙にこたえた。イズは、クスリと笑い、ナタリーの腕に抱かれたエリックのあごの下をくすぐった。
「よしよし、いいこいいこ。ねえ、カンナ、質問にも答えてくれたし、そろそろもとに戻してやんなよ」
「えーっ、このほうが、かわいいですわよお」
ナタリーは、ニマニマと笑いながらエリックに頬ずりした。エリックは、真っ青な顔でカンナを見やった。
「お、おネエたま、ちゃんともとにもどちてくえまちゅよねえ?」
「それはあんたの態度次第ね」
カンナはニヤニヤとエリックの鼻の頭をつっついた。
「いいんじゃないのぉ、このままでも。結構かわいいわよ」
「しょんにゃあ、おネエたま、そらあんまいッチュ。このかっこのまんまマチュターのとこりょへかえったりゃ、オリェ、なんていわえうか」
「その時には元に戻してやるわよ」
カンナはニヤッと笑った。
「あんたがいい子にしてたらね」
「でも、まだ、このままでいいですわよねえ。ほっほっほ」
ナタリーが、グルンとエリックをふり回した。とたん、エリックがもともと来ていた服が消え、エリックの全身を、黄色い、ポワポワとした、頭に二つの丸い耳のついた、クマ、らしき着ぐるみが包む。
「いっやーん❤」
ナタリーが嬌声をあげた。
「かっわいいですわあ❤」
「へえ、ナタリー、あんたそういう趣味があったの」
カンナが、物珍しそうな顔で言う。
「あたくしだって、女ですものお」
「ふーん、やっぱり悪魔にも、男女の別ってあるんだ」
イズは、面白そうに三人を見つめた。三人は、ちょっと顔を見あわせた。
「ええ、まあ、一応、ねえ?」
と、ナタリーが軽くうなずいた。
「ま、その気になれば変えられますけどお」
「コロコロ変えるやつもいるけどね。あたしやナタリーは、たいてい女の姿でいるわね」
「オリェは、せいべちゅまでかえうのは、けっこーちんどいんで、めったにやんないッチュねえ」
「へえ、なるほど。つまり、ナタリーとカンナは、性別を変えられるけど、別に変える気がない。エリックには、そもそも性別を変える力がないってことか」
「かえらえまちゅよお」
エリックが口をとがらせる。
「がんばえば、オリェだって、おんにゃのこになえうッチュよお」
「あたくしは、がんばらなくても変えられますわよ」
「あたしも」
言い終えるや否や、二人の姿が変わる。
白いシャツ、黒いベスト、黒いズボン、黒い靴、赤い蝶ネクタイ。のっぺりとした魚のように平たい顔。鼻の下にはひょろりとした二本の口髭。
「ロック・ナイ」
と、もとはナタリーであった者が名のる。
そして。
黒い革ジャン、ズタズタに裂けたジーンズ、薄汚れたスニーカー、ペンキをぶちまけたかのような柄のTシャツ。指にはどくろを模したメタリックな指輪。真っ白な短髪と、青白い、冷笑を浮かべた顔。
「キャル・カディス」
と、もとはカンナであったものが名のる。
ナタリーとカンナの面影をどこかに残した、だが、まぎれもない男の声。
「おお、ちゅごいッチュ」
ロックに身を変じたナタリーの腕に抱かれているエリックが、感心したようにパチパチと拍手をする。
「と、まあ、ざっとこんなもんよ」
言うなり、キャルがカンナへと戻る。一拍遅れて、ロックもナタリーに戻る。
「なるほど」
イズは軽くうなずいた。
「なかなか面白かったけど、話を元に戻そう。ええと、つまり――夢守りが、拒絶の結界師が、はてみの君に惚れてるってことなのか?」
「そーれちゅ」
エリックが、コクリとうなずく。
「それで、悪魔の力を借りて夜這いでもかけようっていうのか?」
イズはサラリと言った。
「そうらったりゃ、おもちろいんれちゅけろねえ」
エリックは、残念そうにかぶりをふった。
「うちのマチュターってば、ものちゅごいオクテなんれちゅよ。なにちろ、じぶんがはてみのきみにほれてりゅってことにちゅら、きがちゅいてないんチュかりゃ」
「へ? それじゃあそいつ、おまえを呼び出して、いったい何をどうしようっていうわけ?」
イズは首を傾げた。エリックは、幼子の顔のまま、大きくため息をついた。
「きくもなみら、かたうもなみらのものがたいッチュ。マチュターってばね、はてみのきみが、わりゅいゆめをみうのがいやなんれちゅって。はてみのきみに、ぐっちゅりねむってほちいんれちゅって。ただそえだけのために、ジブンのたまちーかけようとちたんチュよ、うちのマチュターは」
「はてみの君が、悪夢を見ずにすむようにするためだけに、自分の魂をかけた――?」
イズの瞳にあやしいかぎろいが浮かぶ。
「それは間違いないのか、エリック? おまえのマスターは、はてみの君を悪夢から守る、ただそれだけのことのために、自分の魂と引き換えにしておまえを呼び出し、従わせたのか?」
「あい、そーれちゅ」
「――ふうん」
イズは、チロリと唇をなめた。
「面白いな。――なるほどね」
「あ、あの、えと、あの、えと」
エリックは、不安げに目をしばたたいた。
「ま、ま、まじゅいれちゅかねえ、そえって?」
「まずくはないさ」
イズはクツクツと笑いながらエリックの頬をつっついた。
「なかなか面白いじゃないか。はてみの君に惚れたって? あんな、ちょっと目を離したら、透き通ってそのまま風の中にまぎれていっちゃいそうな人に? あの人の事は好きだし、すごい美人だとは思うけど、あの人に本気で惚れちゃったら――」
イズは、ため息をつくように笑った。
「とんでもなく、苦労するだろうねえ」
「そうッチュねえ」
エリックは、コクリとうなずいた。
「れも、ジブンがほれてりゅってことにもきがちゅかじゅに、いっしょうなんにもできじゅ、ほれてりゅひとにゆびいっぽんふえりゅこともできじゅにちんじゃう、ていうのも、かなちーッチュよねえ」
「へえ、おまえ、なかなか言うじゃないか」
イズは、クシャリとエリックの頭をなでた。
「そう――わたしもそう思うよ。一生誰にも惚れずにすごすのも、一生惚れた相手に指一本触れることも出来ずに終わるのも、わたしはまっぴらごめんだな」
イズのつややかな唇がほころぶ。
「わたしは、一人寝は嫌いだ」
「……イジュたま、きえーッチュ」
エリックは、ポッと頬を染めた。カンナは舌打ちをしながらエリックの鼻の頭をはじいた。
「ガキンチョが、なに色気づいてんのよ。で? あんたこれからどうすんのよ? 浮世離れした世間知らずのお姫さまと、自分の気持ちにすらまだ気がついていない超絶鈍感野郎を、いったいどんな手使ってくっつけようっていうの?」
「えっと、んっと、えっと――」
エリックは、クルクルと首をひねった。
「そえがわかえば、くろーはちないッチュ」
「ああ、あんたって、ホンットに、ヴァカね」
カンナは、大きく鼻をならした。
「計画性のかけらもないのね」
「れたとこちょーぶで、なんとかなりゃないッチュかねえ?」
「あーんら、まあ、出たとこ勝負ですって?」
ナタリーは、腕の中のエリックをヒョイヒョイと揺さぶった。
「あんまりにもいいかげんで、あんまりにもいきあたりばったりで、あんまりにもなーんにも考えてなくて、逆に新鮮ですわあ。そういうのも、たまには面白いかもしれませんわねえ。どっちにしろ、あたくしには関係ありませんしい」
「わたしには――関係あるかもしれないな」
イズの声が、不意に低くなった。
「あら、何か面白いこと考えついたみたいね、ダーリン」
カンナは、ニンマリと目を細めた。
「あたしのネタ、役に立ったかしら?」
「ああ。ありがとうカンナ。これをうまく使えば、なかなか面白いことになりそうだ」
イズは、ゆっくりとエリックをのぞきこんだ。
「エリック」
「なんチュか?」
「おまえ、これからいったいどうするつもりだ? 本気ではてみの君と自分の主人をくっつけるつもりか?」
「そらもちりょん。らって、そうちたほうがおもちろいじゃないッチュか」
「面白い、か」
イズは、声をあげて笑った。
「そりゃ確かに。正直で、大変よろしい」
「ふえ」
エリックは、本物の幼子のようにきょとんと目をパチクリさせた。イズは、エリックの耳元に赤い唇を寄せた。
「いいこと教えてやろうか、エリック」
「あ、あい。なんれチュか?」
「はてみの君は、何も知らない」
イズは、エリックの耳たぶを、唇で軽くはさんだ。
「本当に、なんにも知らないんだ。だから――ね」
「あ、あい……」
「初めて知ったものに――夢中になるよ、きっと」
「――あ、ちょうか」
エリックは、不意に、何かに思いあたったかのように強くうなずいた。
「そえって、うちのマチュターもら。ちょうかちょうか、マチュターも、はじめてらから、らからあんにゃにとちくりゅったったんら」
「へえ、そうなのか? おまえの主人も、初めてだって?」
「そーれちゅ。うちのマチュター、どーてーッチュ」
エリックは真面目くさった顔で、とんでもない個人情報を暴露した。イズは目をしばたたき、カンナは肩をすくめ、ナタリーは小さな目を見開いた。
「はじめてどーち、キヨリャカでいいッチュねえ」
「どっちも初めてで、うまくいきますかしらねえ?」
ナタリーは、ニマニマと舌なめずりした。
「あたくしが、手取り足取り、教えて差し上げようかしらん?」
「よけいな事してぶち壊したら承知しないぞ」
イズはそっけなく言い捨て、ナタリーの腕からエリックを抱きとった。
「エリック」
「あい」
「おまえのやりかたで、やれるだけやってみな。いけるとこまでいって、それで、にっちもさっちもいかなくなったら、わたしに――それとも、カンナかナタリーに一声かけな。もしかしたら――」
イズは、鋭く含み笑った。
「力を貸してやろうって気になる――かも、しれない」
「あ、あい。あいがとーごじゃいまちゅ」
エリックはおとなしく礼を述べ、キョルン、と目をくるめかせた。
「あ、あのー、オリェ、もういってもいいッチュか?」
「ああ、いいよ」
イズは、無造作にエリックを床におろした。
「カンナ、もとに戻してやんな」
「了解、ダーリン。ほら、下っぱ、ついでに送ってやるわ。ありがたく思いなさい」
カンナがヒョイと片手をふるのと同時に、エリックは、キャンとも言わずに空中に飲みこまれた。
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