第21話
イズの話
「おお、アブニャイアブニャイ」
エリックは大仰に首をすくめた。
「さっすが、モノホンは違うねえ。ちっと気ィ抜いたとたんにこれだもんね。おおこわ。確かに、えっらい美人だけど、マスターもまた、ナンギな相手に惚れたもんッスねえ」
「あんた、見られたのね」
背後から、カンナの小馬鹿にしたような声がかかる。エリックは、ヘラヘラとふりむいた。
「アラン、見てらしたのね、おネエさま」
「恥っずかしー。たかが『素材』の目をくらますことも出来なかったなんて。あんたのランク、D-(マイナス)? まさか、Eとか?」
「D+(プラス)ッスよ」
「何見栄はってんのよ」
「……D*(アスタリスク)ッス」
「小物の極みね」
「ふええん、そりゃないッスよ、おネエさま」
エリックは空中で、イヤンイヤンと身をよじった。
「確かに美人よね。すこぶるつきの」
カンナは、エリックを無視してつぶやいた。
「あれで、もうあと15年若かったら、ほっとかないとこなんだけど」
「同感同感」
「あんたの手には余るわよ」
「そうッスかねえ?」
「あたりまえでしょ」
カンナは、唇のはたを小さくつりあげた。
「それに、あんた知ってる?」
「へ? 何をッスか?」
「琥珀卿ってのは、天使憑きよ」
「ヘエ? 琥珀卿?」
「あんたって、ホンット、ヴァカね」
カンナは、音高く舌打ちした。
「今の話、ぜんっぜん聞いてなかったわけ?」
「え、いや、その、あの、えと、エ、エヘヘー❤」
「ばーっか」
心底馬鹿にしたような顔をしたカンナは、ふっと窓の中のガートルードの顔を見つめた。
「……あれでアラサーだっていうんだから、ほんと、化け物じみてるわよね」
「んーとにねー。オレ、あの人、王様のお姉さんじゃなくて、妹ちゃんかと思ったッスもん。ああ、いいなあ、妹!」
「天使憑きには本物の妹がいるみたいよ。それも、けっこうかわいい」
「オオオオオッ! ジュワストミィィート!!」
「のんきなガキね」
カンナは小さく鼻をならした。
「で?」
「はい?」
「あんた、あの、ガートルードっていうのに手を出すつもりなの?」
「いやあ、手ェ出すっつったって、ちっくら夢渡りをするだけッスよ。ま、とりあえず、今のところは」
「ふーん」
カンナは目をすがめ、ジロリとエリックをねめつけた。エリックは、実に居心地悪げに、空中でもじもじと身じろぎした。
「お、おネエさま、何か問題でも?」
「あたしにタダでアドバイスしろっていうの?」
「え? あ、い、いやその、ええ、ほら、その、ねえ?」
「なにが『ねえ?』よ」
カンナは、不意に身をひるがえし、水底に沈んで行くかのように地上への降下をはじめた。
「アラン、おネエさま、もう行っちゃうんスか?」
「……胡蝶の夢を見る目よ、あれは」
カンナはつぶやいた。その言葉がエリックに届くか届かぬかということには、いっさい頓着せずに。
「――『現世(うつしよ)は夢。夜の夢こそまこと』」
カンナの声が乗った風に、エリックはふわりと身をまかせた。
「ただいまダーリン」
カンナは何の前触れもなく、自室でくつろぐイズの目の前に実体化した。
「カンナか」
イズはちらりと目を上げた。
「ねえ、ダーリン」
カンナはニヤリと笑った。
「あたし、おっもしろいこと聞いちゃったあ」
「面白いこと?」
イズは、改めてカンナを見つめなおした。
「どんな?」
「はてみの君っているでしょ」
「はてみの君? はてみの君が、どうかしたの?」
「あのお姫様にねえ」
カンナはクスクスと、焦らすように笑った。
「なんだよ、言うなら早く言いな」
「ああん、せっかちねえ。あのね、あの巫女姫様に――」
「うん、はてみの君に?」
「はてみの君に――」
カンナは、大きく一呼吸おいた。
「――惚れてるやつがいるのよ!」
「…………は?」
イズは、カンナが突然、口の中から花束を取り出したかのような顔になった。
「え、な、何? も、もう一回言って」
「だっからあ、はてみの君に、惚れちゃってる身の程知らずがいるんだってば」
「ほれてる、って……惚れてる、ってことだよね?」
「そぉよぉ。あったりまえじゃない」
イズは、しばらくのあいだ身じろぎもせず、ゆるやかに両のまぶたを打ち合わせ続けた。
「あらあ、そんなに意外だったの?」
「……いったい誰が……ああ」
イズは、大きく一つうなずいた。
「伏人か」
「ピンポーン。あったりィ。さっすがダーリン、さえてるわねえ」
「だって他にいないじゃないか。伏人のほかにはてみの君に会える人間っていったら、ナルガとちい姫――ああ、ちい姫、っていうのは、はてみの君やナルガの妹のことだよ――あと、比翼宰相と、あとはせいぜい、何か特別なことがあった時に、アウラとジェニアに許可が下りるくらいかな。だったらどうしたって、伏人以外考えられない」
「あらん、おん嬢様、それはちょおっと、早計というものではござあませんこと?」
ナタリーが、ねっとりと鼻にかかる声で口をはさむ。
「女だから、血縁者だから、って、ただそれだけの理由で除外するのは、すこぅしばかり、詰めが甘いんじゃござあませんこと? ほほ」
「言うじゃないか」
イズは、薄く笑みを浮かべた。
「理由は、他にもあるさ。まず、ナルガはわたしに惚れてる」
「いやあん、ごちそうさま」
「単なる事実だよ。ちい姫、ああ、つまり、二人の妹のノアと、あのアヴェロンの妹のジェニアは、まだ子供だ。それに――」
イズの唇に、苦笑の色がにじんだ。
「ジェニアは、アヴェロンを崇拝してる。あんな腹黒でも、ジェニアにとってはいい兄なんだろうね、たぶん。瑠璃の君は、ずっと亡き御夫君に操をたててるし、アウラは――」
イズは、わずかに言葉を切った。
「アウラは、夢見だから」
「夢見だから、なんなんでござあますの?」
「え? ――わからないの?」
イズは、驚きよりも当惑をあらわにして目を見張った。
「夢見、ってわかるか?」
「辞書的には理解しているつもりですわよ。受信イメージを他者に伝える能力を持たない受動的感応者でござあましょ?」
「え?」
「平たく言えば、はてみの出来損ないでござあましょ?」
「出来損ない……っていうのとは、少し違うと思うけど」
イズは、小さく眉をひそめた。
「ただ、アウラが見たものを、他の連中が利用することが出来ないだけだよ」
「やっぱり出来損ないなんじゃござあませんの?」
「おまえ、アヴェロンみたいなこと言うね。ま、あの陰険腹黒は、おまえほどわかりやすく言いやしないけど」
「あらあん、あたくし、わかりやすかったですかあ? いけないいけない、まだまだ精進が足りませんわね」
「そんな精進しなくていい。とにかく、アウラは夢見だから――わからないかな? 夢見のほうが、ある意味はてみより、異界のものを垣間見る血が濃いんだよ? なんていうか――よりいっそう浮世離れ、人間離れしてる。だからさ、だから――ああもう、だからとにかく、アウラは夢見なんだよ。人間に恋したりするもんか」
「ははあ、さようでござあますか」
「さようさよう。それで、と。アヴェロンは――」
イズは大きく肩をすくめた。
「あいつがはてみの君に惚れてるってんなら、ややっこしいことなんて何もない。とっとと婚礼あげちゃえばいいだけの話さ。この前も言ったろ? どういうわけだか、あいつはそれをいやがってるんだよ」
「ははあ、他に好きな相手でもいるんですかねえ?」
「……え?」
イズは、きょとんとナタリーを見つめた。
「な、なんだって?」
「え? ですから、アヴェロンさんは、誰か他に、好きな人でもいるんでしょうかねえ?」
「あ、あ、あいつに好きな人がいる!?」
イズは、すっとんきょうな声をあげた。
「ちょっと待ってよ、それ、なんの冗談!?」
「あらん? だって、どこから誰がどう見ても文句のつけようのない政治的に正しい結婚を嫌がる理由なんて、よっぽど相手の事がいやか、それともほかに好きな相手がいるかっていうのが相場じゃありませんの、ねーエ? ま、社会、および世間一般に対する理由なき反抗、って線もありますけどオ」
「……うう、考えたくない」
イズは思い切りかぶりをふった。
「わたしだったら、あいつに惚れられるくらいだったら、寝首かかれたほうがまだましだ。あいつが誰かに惚れてる? ウッゲーェ」
「あらあん、おん嬢様、つれないつれない」
「ああ、うん、そうだね。だから、そんな気色悪いこともう言わないで。――それで、カンナ」
イズは、目を輝かせてカンナを見つめた。
「はてみの君に惚れてるのって、いったい誰?」
「ダーリン、詳しく知りたい?」
「んー、まあ、ね。なんといっても、将来のお義姉さんなわけだし」
「そう」
カンナはニヤッと笑った。
「それじゃあ、呼び出しかけるわ」
「え?」
カンナは、空中にすばやく指を踊らせた。
異界からやってきたまろうどが、異界の技術を使ったのだ。
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