第19話

パーシヴァルの話




「……エリック! おい、エリック!」

 パーシヴァルは小声で、ぼそぼそとエリックを呼んだ。

 返事は、ない。

「……うう……」

 パーシヴァルは不安げな顔で、エリックが手の甲にはりつけた、奇妙な札のようなものを見つめた。パーシヴァルにはさっぱりわからないが、その札には、別の世界では『ポップな』と表現されるであろう字体で、『Don’t Look Me!!』と印字されている。

「私これから、どうすればいいんだ……」

 パーシヴァルがそううめくのも無理はない。エリックのはりつけた札のおかげで、パーシヴァルの姿は人間の目には完全に見えなくなっている。それは、いいのだが。

 とうのエリックはといえば、パーシヴァルと一緒に宮殿の門をくぐったとたん、「タグづけタグづけ~♪」と、これまたパーシヴァルにはさっぱり意味のわからないことを言いながら、どこへともなく飛び去っていってしまったのだ。

「首に縄をつけておけばよかった……」

 冗談とは到底思えない目つきと声色でパーシヴァルがうめく。事実彼に、冗談を言っているつもりはまったくない。

「あの馬鹿は……」

 言いながらパーシヴァルは、不安げにあたりを見まわし――。

 反射的にひざまずいた。

 どう見ても見間違えようのない、漆黒と白銀とに彩られた人物を見出して。自分の姿が相手にはまったく見えていないことなど、パーシヴァルにとっては何の関係もない。

 パーシヴァルはひざまずいた。

 ディン朝+96







最後の生き残り、イズ・アル・アディンの姿を見て。

 当然のことながら、イズはパーシヴァルにまったく気づかずに通りすぎた。

 だが。

「……あらん」

 イズの後に付き従うナタリーは、パーシヴァルを見つめ、にんまりと笑みを浮かべた。

「――」

 背筋に激しい悪寒を感じたパーシヴァルが、イズの前では伏せていた目を上げたとき、そこにはすでに、二人の後ろ姿の影さえなかった。







「――さてと」

 カンナは、唇の両端をグイと持ち上げ、無造作に指を鳴らした。

「さっきからチョロチョロチョロチョロ、何か用でもあるわけ、下っぱ?」

 カンナの指先が空気を震わせるのと同時に、周囲の風景は一瞬にして切り替わった。白っぱくれた、窓一つない小部屋の中、カンナは唯一の調度品である、真紅の、巨大な円形のパウダービーズのクッションに深々と身を埋め、目の前の物体に冷淡な目を向けた。

 目の前の物体とはすなわち、ズックの袋につめこまれ、かろうじて首だけ突き出した状態で床に転がされているエリックである。

「こ、こりゃどーも、お、おネエさま、お初にお目にかかります」

 エリックは声を上ずらせながらヒョコヒョコと頭を動かした。どうやらお辞儀をしたつもりらしい。

「あんた、下っぱの割には気配消すのがうまいじゃない。そうよねえ、ピーピングって、楽しいわよねえ。――でも」

 カンナはクッションごと空中に舞い上がり、冷淡な目でエリックを見下ろした。

「まだ二つ名もない分際で、中級にちょっかいかけるってのはね」

 カンナは、楽しげに笑い声を上げた。

「ただの、バカよ。ヴァカ」

 言葉と同時に、エリックの眼前に、ストリとナイフが突き刺さる。エリックの顔が、周囲の壁と同程度に白っぱくれた。

「そ、そ、そ、そんな、ご、誤解ッスよ。オ、オレはただ、おネエさまとお近づきになりたかっただけで――」

「あたし、男には興味ないの」

 カンナは肩をすくめた。

「汚いしうるさいしウザイし。ちっちゃい女の子のほうがよっぽどいいわ」

「あ、オレも、神聖ロリティカ帝国の住人ッス」

「あら同志」

「光栄ッス」

「胸は無乳派? それとも微乳派?」

「あ、微乳派ッス。スポーツブラの似あう子って、いいッスよねえ」

「気があうじゃない」

 カンナは含み笑いをもらした。

「――で」

 エリックの目の前に突き刺さっていたナイフが、音もなく舞い上がり、そのまま虚空にかき消える。

「なんの用よ?」

「いーいネタがあるんスよ」

 エリックはニヤニヤと笑った。

「でーもねーえ、ちょっとばっか、オレの手には余るんスよ」

「へえ」

 カンナは気のない相づちをうった。

「あたしも今、ちょうど、千年に一度の逸材を抱えてるの。手伝いが欲しいのはむしろこっち――あ、やっぱりいらないわ。あんなおいしい『素材』ですもの。競争相手増やしてたまるもんですか」

「おネエさまの『素材』って、新月様でしょ?」

「見てたのね?」

 カンナがエリックをにらみつける。エリックが、悲鳴を上げて首をすくめる。

「ゴ、ゴメンチャイッ! で、でも、お、おネエさま」

「なによ」

「おネエさまの『素材』は、確かにすごいッスけどお」

 エリックは身をよじり、首の筋をたがえかけながらカンナを見上げた。

「おネエさまは、モノホンの処女と童貞の、キヨラカな初夜を、ライブで見学したくないッスか?」

「――なんですって?」

 カンナの灰色の瞳がきらめいた。とたん、エリックは、ズックの袋から出され、紺色のクッションの上にチョコリと座らされた。

「悪くないわねえ。でも、ルックスは?」

「男のほうは、オレのマスターなんスけどね。えーっと、いいッスか?」

「ああ」

 カンナは、ひらりと片手をふった。

「いいわよ、ほら」

「どーもッス。えーっと、こんな感じッスね」

 カンナの眼前に、実物大のパーシヴァルのポートレートが浮かび上がる。カンナは、軽く鼻を鳴らした。

「ふーん、十人並みね。これで童貞? へーえ」

「オレが見たところ、あら絶対、モノホンのドーテーッス。つーか、自分からバラしてるし。いやねえ、この人こう見えて、けっこーカワイイ人なんスよぉ。ちょっとつつくと、すーぐムキになっちゃって、そのくせ悪魔のオレに、いそいそお茶入れてくれたりなんかして。寂しんぼさんなんでしょーねー、うん。友達いないみたいだし。いやー、いーい使い魔になってくれそうなんで、オレ割と期待してるんスよ」

「使い魔、ねえ。ガキは、必ず一度は使い魔を欲しがるのよねえ、どういうわけだか。デ、女のほうは?」

「これがスゴイんスよ」

 エリックもまた、クッションごと空中に舞い上がった。あくまでもカンナの目下に位置するように、慎重に計算された位置に腰をおちつける。

「処女で、世間知らずで、巫女さんで、その上お姫様っていう超絶コンボ!!」

「なぁによぉ、それって、もしかして――」

「そのとーり!」

 エリックは、右手握りこぶしと左手手のひらとを、思い切り打ち合わせた。

「おそれおおくももったいなくもかしこくも、この国の生ける至宝、もっとも尊き翡翠の血をひく、はてみの君ッスよ!」

「……へーえ」

 カンナはニヤリと目を細めた。

「はてみの君って、あの王様の姉よね。それなら、まあ、文句なしの美人でしょうね」

「で、やんしょ?」

「なるほどね」

 カンナは、ヒョイと小首をかしげた。

「確かに、あんたの手には余るでしょうね、下っぱ」

「そーなんスよ。しっかもうちのマスターときたら、自分がはてみの君に惚れてるってことすら、いまだにちゃんとは認めてないッスからねえ。身分が違っておそれおおくて考えることも出来ないっつーんスよ。ナンセンスッスよねえ」

「バッカねえ。だからいいんじゃない」

 カンナはクスクスと笑った。

「タブーってのはね、あればあるほど燃えるのよ」

「おお、さすが、ガンチク深いお言葉ッスね」

「――で?」

 カンナは、人差し指でエリックを差し招いた。

「あんた、どうやってマスターにタブーを破らせるつもり?」

「なーに、べっつになんも考える必要ないッスよ。なんせマスターは、悪魔に魂売り渡してもいいっつーほど煮詰まっちゃってるんスよ? しかも、魂売り渡して何がしたいかっつったら、『はてみの君を悪夢から開放して差し上げたい』っつーんだから、これはもう、ナミダがチョチョぎれるじゃないッスか。も、カンペキ、ベッタボレのマッキーちゃんッスよ。こりゃもう、誰が何をしたってソッコーで臨界点突破ッスよ」

「へえ、なるほどね」

 カンナは、軽くうなずいた。

「で、夢の一夜の思い出を胸に、あんたのマスターが足のつま先から細切れにされてくところも楽しめる、ってわけね」

「ウゲ……い、いや、おネエさま、オ、オレ、スプラッターは苦手なんスけど……」

「あんたの言うとおりにことを進めたら、そういうことになるんじゃないの? だってあんた、初夜のあとどうするかなんて、どうせまるっきり考えてないでしょ? ま、あたしはそんなこと、べっつにどおでもいいけどぉ」

「……そこなんスよねえ」

 エリックは、大きくため息をついた。

「ねえおネエさま、どーすりゃいいッスかねえ?」

「知らないわよ、そんなこと」

 カンナは軽く肩をすくめた。

「あたしに一枚かませたいってんなら、もっときちんとしたプランを立ててきなさいよ。あたしはね、無駄足踏まされるのが大ッ嫌いなの」

「お知恵を、拝借出来ないッスかねえ?」

 エリックは、上目づかいにカンナを見上げた。カンナはニヤリと目を細めた。

「あんた、あたしの相場知っててそういうこと言ってんの?」

「そこをなんとか、まからないッスかねえ?」

「ムリ」

 カンナはあっさりと答えた。

「でも、そのネタはもらっとくわ。はてみの君に懸想する平民、ね。何かに使えるかも」

「ただの平民じゃないッスよ。夢守ッス」

「へえ――」

 カンナが目をしばたたく。彼女の内にある無数の仮想現実空間において、一瞬にして検索が完了する。

「じゃあ、結界師なのね」

「そうッス」

「ふーん」

 カンナは少し考え込んだ。

「ま、気が向いたら声かけてやるから、名前とメアドだけ教えなさいよ」

「アイアイ。オレはエリック。エリック・レント。メアドは――」

 エリックの指先から出た細い光線が、カンナの瞳に突き刺さる。

「――なるほどね。あたしはカンナ。妖鳥(ハルピュイア)カンナ」

「妖鳥(ハルピュイア)!? つ、つーと、サイト『セイウチと大工』の、あの!?」

「あら、あんた、見てるの?」

「見てるッスよぉ。こないだは、惜しいところでキリ番逃したんスよねえ。あらくやしかったなあ」

「へえ」

 カンナは機嫌よく笑った。

「これってば、奇遇、ってやつ?」

「ご縁があるッスねえ」

 エリックは、ニヤニヤともみ手した。カンナは音高く舌打ちした。

「なれなれしいまねしたら、バラバラにするからね」

「バ、バラバラにするって、な、何をッスか?」

「きまってるじゃない」

 カンナは、ニヤリと笑った。

「もちろん、あんたを、よ」

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