第13話

パーシヴァルの話




「起きろ、おい、起きろ! 起きんか馬鹿者!」

「…………ファ? あー……あー、マスター、オハヨーございます。んじゃそーゆーことで……」

「ええい、寝るな! いつまで寝るつもりだ! 起きろと言っておろうが、このごくつぶし!」

「……オレ、低気圧なんスよ……」

「は?」

「……訂正。オレ、低血圧なんスよ……」

「なんだ、その、ていけつあつ、というのは?」

「……これだから前近代社会に来るのはイヤなんスよ。……あー、もう、なんの用なんスかマスター?」

「起きろ! もうとっくに日も高いというのにいつまで寝とるつもりだ!」

「……んなこと言われても、オレ眠いんスから……」

「ええい、この役立たず! それでも悪魔か!」

「あーもう、悪魔だから、ッスよ! 朝の光を浴びて元気ハツラツになる悪魔なんて、イメージぶちこわしでしょーが!」

「いいから起きろ! しまいにゃ殴るぞ!」

「イデエッ! な、なんで殴ってからそゆこと言うんスか!?」

「言行一致だ! ええい、もう昼を過ぎるぞ!」

「だーもう! 寝てらんねェッ!」

 エリックは不機嫌に寝台からはね起きた。

 眼前には、エリックに輪をかけて不機嫌なパーシヴァルの顔があった。

「ようやく起きたか」

 パーシヴァルは、わざとらしくため息をついた。

「そもそも、悪魔が睡眠をとる必要なんかあるのか?」

「そらまあ、寝なくったって別に死にゃあしないッスけどね。でも、惰眠をむさぼるのって、カイカンじゃないスか」

「どこがだ」

「サボるのって、楽しくないッスか?」

「さぼる? ってなんだ?」

「あー、だからあ、怠ける、っていうことッス」

「ふざけるな。おまえを怠けさせるためにわざわざ召還したんじゃないぞ」

「あーはいはい、そらまあそーでやんしょうけどね。――んで?」

「なんだ」

「なんの御用でやんしょ?」

「用は特にない」

 パーシヴァルはきっぱりと言い切った。

「へ? ……だったらなんで起こすんスか?」

「いい若い者がもうじき昼を過ぎるというのにいつまでも寝台でグダグダしてるんじゃない」

「よ、用がないならこんなゴーインに叩き起こさないで欲しいッス……」

 エリックはブツブツ言いながら、しぶしぶ寝台からおりた。

「で、マスター、オレの朝ごはんは?」

「おまえ、悪魔なのに三食きちんと食べる必要があるのか?」

「あー、そらまあ別に、必要がないっちゃあ、ないんすけどね。でもオ、ほら、そこはそれ、気分ってもんがあるっしょ? あーもう、フゼーのないヒトだなあ」

「フゼー? 風情のことか? よけいなお世話だ。悪魔に風情をうんぬんされるいわれはない」

「へーいへいへい。わっかりましたよー、っと」

 エリックは口をとがらせて言った。

「しゃあないしゃあない。んじゃオレ、自分で勝手に食うッスよ」

 エリックは、パチリと指をならした。とたん、ハンバーガーとポテトとコーラという、ある次元、ある世界における黄金の三点セットが乗ったトレイが虚空から出現する。

「うわ!? ……すごいな。さすが悪魔だ」

 パーシヴァルは感心したように目を丸くした。エリックは、ニヤリとパーシヴァルの眼前に顔をつきだした。

「マースター❤」

「な、なんだ?」

「カーワイイッ❤」

 エリックは、ヒョイとパーシヴァルに抱きついた。パーシヴァルは、完全に硬直した。

「な、な、な、なん、なんのま、真似だ? ど、ど、どうしたんだエリック?」

「おお、なんてナイスなリアクション」

 エリックはケラケラとパーシヴァルの背中をたたいた。

「ただのハグじゃないッスかあ。もー、うろたえちゃって、かーわいいったらないッスねえ」

「な、なに? はぐ? な、なんのことだ?」

「ただのアイサツッスよお」

 エリックは、楽しげにパーシヴァルの髪に指をつっこんでかきまわした。

「おい、こら、なにをする。せっかくとかしたのに。そ、それも挨拶か? ず、ずいぶんと変わっているんだな、おまえのところの挨拶は」

「ああ、いいなあ、このウイウイしい反応!」

 エリックは、名残惜しげにパーシヴァルから身を離した。

「オレがオンナだったらほっとかないッスよ。もう、この、チェリー君め❤」

「ちぇりいくん?」

「あー、ドーテー君、ってことッス」

「どーてーくん……どうていくん……童貞君……」

 パーシヴァルの顔面が、すさまじい勢いで真紅に染まった。

「そっ、そっ、そんなことまでわかるのか、悪魔というのは!?」

「へ? ……は? ……ヘェッ!?」

 エリックは、ひざから下を空中にはね上げ、そのままの姿勢で見事に静止した。

「ギョエエエエエッ!! マ、マジッスか!? マスター、オタク、マジで、モノホンの、ドウテイ!? シロートドウテイとかじゃなくて、純粋に、言葉の真の意味での童貞ッ!?」

「……」

 パーシヴァルは、自分の靴を丸ごとのどにつかえさせてしまったかのような顔でエリックをにらみつけた。エリックはカッパリと、無防備に口をおっぴろげた。

「ヒョエエ、マジッスか!? だってマスター、オタクもう……えー、マスター、オタクいったい、今いくつなんスか? いっくらなんでも、三十路はこえてるっしょー?」

「……三十三歳だ。悪いか」

 パーシヴァルは険悪の見本のような顔でうなった。エリックは首をすくめた。

「べ、べっつに、なんも悪くないッスけどお……えー、でも、どーして? たたないんすか?」

「…………」

「あ、ちがう。んじゃあ、宗教的なカイリツとか?」

「は?」

「でもない。んじゃあ……」

「私に男色のけはないぞ」

「アラン、先に言われちったい。んじゃあなんスか、願でもかけてるんスか?」

「……別に」

「えー、んじゃ、なんで?」

「なんでって……私は、いまだ独り身だぞ?」

「……は?」

「まだ結婚していないんだぞ」

「いや……そりゃ、知ってるッスけど?」

「童貞でなにがおかしい?」

「……ギョエエエエエッ!!」

 エリックは奇声をあげながら、空中で縦横斜め、およそ考えうるすべての方向にきりもみ回転をした。あっぱれ見事なきりきり舞いである。

「マ、マ、マスター、マスターってば、結婚しなきゃセックス出来ないって、マジポンで信じてるんスか!?」

「セックス?」

「おトコイリのことッス」

「おとこいり……あ、お床入りか」

 パーシヴァルは大きくうなずいた。

「別に私も、結婚しなければ、だ、男女の同衾が不可能などと、そんなことまで思ってはいない。しかし――独身の私が童貞でなにがおかしい? そんなに驚くようなことか?」

「と、と、特別天然記念物発見!!」

 エリックはキンキン声でわめいた。

「ああ、カミサマ、こんなステキな『素材』に巡りあわせてくれてどうもありがとう!」

 エリックは空中にひざまずき、大仰にお祈りのポーズをとった。パーシヴァルはあきれたように首を傾げた。

「おまえ、悪魔のくせに神に祈るのか?」

「んなこたどーでもいいんスよ!」

「いや、よくはないだろう」

「いーから、忘れるッス。……ヒョエエ」

 エリックはようやっと床の上に降り立ち、ジロジロとパーシヴァルを眺めまわした。パーシヴァルは、苛立ちと気まずさとをないまぜにしたように身じろぎした。

「……そんなにおかしいか?」

 パーシヴァルは、幾分不満げに言った。

「私はただ、不実なことをしたくないだけだ」

「いーんやあ、べっつに、おかしくはないッスよ」

 エリックは、彼としては精一杯真剣な表情をつくって答えた。

「たーだね、めっずらしーなー、って思っただけッス」

「……まあ、そうなのかもしれんな」

 パーシヴァルはため息をついた。

「しかし、その……私は人と、特に、女性とつきあうのが、あまりうまくはないし、つきあうからには最後まで責任をとる必要があるだろうと思うし、いや、だから、その……それに、商売女を買う、というのは、どうもその、気が進まんし……」

「へええ。ケッペキなんスね」

「潔癖というか……ただなんとなくいやなだけだ」

「えー、でも、したくならないんスか?」

「……自分で処理できる」

 パーシヴァルはうつむいて、もぐもぐと口の中でつぶやいた。

「へええ……」

 エリックは面白そうに、同時に、ある種の感心さえをもこめてパーシヴァルを見つめた。と、いっても、その視線は巨大なサングラスによってフィルターがかけられているのだが。

「あ! そーいえば!」

 エリックは、パチリと指をならした。

「ねーねーマスター」

「な、なんだ?」

「ねー、はてみの君って、やっぱ、バージンなんスよねえ?」

「ばあじん?」

「あー、バージン、っていうのは、処女のことッス」

「……あ、あ、あ、あたりまえだッ!!」

 一瞬の当惑の後、パーシヴァルはエリックを思いきりはりとばした。

「イッデエッ! マ、マスター、怒る前には十数えて、それでもまだ怒ってた時だけ怒ってチョーダイよ」

「やかましいっ! な、な、なんというおそれおおいことを!!」

「えー、そんなー、だーってオレ、別に間男がいるかとか、そーゆーことを聞いたわけじゃ――」

「い、い、いてたまるかっ! 何を考えとるんだおまえは!!」

「やっだなーもう、なーにムキになってるんスか、大人げないなー。でも、そっか、やっぱ処女か。ふーん――」

 エリックはニヤニヤと笑った。

「処女と童貞! ああ、なんておいしいシチュエーション!!」

「……は?」

「こっちの話ッスよ」

「おまえの話は時々、もとい、非常にしばしばわけがわからんのだが」

「カルチャーギャップのせいッスねえ」

「は?」

「文化間の相違のせいッス」

「なるほど、それはそうかもしれないな」

 パーシヴァルは重々しくうなずいた。

「さあさあ、マスター」

 エリックはうきうきと、お祭りを前にした子供のように、床の上でピョンピョン飛び跳ねた。

「早くオレに命令してチョーダイよ。オレ、オタクの夢の実現のため、めっさがんばっちゃうッスよ❤」

「……なんだか急にやる気を出したな」

 パーシヴァルはうさんくさげに顔をしかめた。

「とりあえず、その得体の知れないしろものをどうにかしろ。それが悪魔の食事なのか?」

「あー、別に、この世界の食べ物も食べられるッスよ、ふつーに」

「でも、食事なんだろうそれ? だったらきちんと食べてしまえ。食べ物を無駄にしちゃいかん」

「アイアイ、リョーカイ」

 大変いいお返事とともに、エリックはハンバーガーに元気よくかぶりついた。

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