第11話
アヴェロンの話
琥珀卿アヴェロンは、最前から激しい頭痛とめまい、および胃の痛みに襲われていた。
何しろ、魔法陣の中からまばゆい光とともに出現した少女との会話ときたら――
少女「さっそくですが、次元撹乱者達の現在位置をお教え下さい」
アヴェロン「知らん」
少「ご存じない、ですか? では、この次元を担当する次元管理人は?」
ア「知らん」
少「では、この次元の次元撹乱防御レベルは?」
ア「知らん」
少「次元間相互ミーム汚染及びミーム拡散撤廃条約には加盟していらっしゃいますか?」
ア「知らん」
少「そうですか、では、次元間相互ミーム汚染及びミーム拡散撤廃条約に加盟の手続きをおとりになられますか?」
ア「――おい」
ここでようやっと、アヴェロンの目に光が戻った。
「条約加盟、だと?」
「はい。ええと、正式には『次元間相互ミーム汚染及びミーム拡散撤廃を目指す、多重多元次元間不可侵条約』ですが」
「――おまえ」
「ゾラとお呼び下さい。簡易認証番号は、58398593217です。正式な認証番号は――」
「言わんでいい。とにかくゾラとやら、おまえはその、悪魔の外交官か何かなのか?」
「わたしは、悪魔ではありません!」
少女――ゾラは、ムッとしたように言った。
「あんな無節操な次元汚染、および撹乱者達といっしょにしないで下さい!」
「では、おまえはいったい何なんだ?」
「次元管理協会の一員です。そのほうが呼びやすいなら、天使、とお呼び下さっても結構ですが」
「…………知らんな、そんなものは」
「…………え?」
ここに至ってようやっと、ゾラの顔にもアヴェロンと同じ、当惑の色があらわれた。
「え――それじゃあどうして、救援要請のビーコンを起動させたんですか?」
「……なんだと?」
「次元管理協会に対する救援要請のビーコンです」
ゾラは当惑しつつも、はきはきとした口調で言った。
「それが起動されたから、わたしはこの次元に派遣されたんですが」
「…………まさか」
アヴェロンは、今晩最大級の、頭痛とめまいに見舞われた。
「なんだかよくわからんが――この魔法陣は、悪魔を呼びだすためのものではないのか?」
「ど、どうしてあんな、次元撹乱者なんかを呼びだしたいなんて思ったりするんですか!?」
ゾラはポカンと口を開けた。
「…………人の身にはかなえられぬ願があるから、だろうな」
なぜだかアヴェロンは、ひどく素直にそう答えた。
「だ、だからって、あんな奴らを呼びこんだら、大変なことになりますよ!」
ゾラは大きく目をむいたまま、気の毒そうにアヴェロンを見つめた。
「あ――も、もしかして、あなたが次元管理協会に救援を要請するビーコンを作動させたのって、その――偶然、なんですか?」
「…………偶然、というか、とんでもない失敗のような気しかしないが」
「とんでもない!」
ゾラは大きくかぶりをふった。
「それはまさしく、不幸中の幸いでした」
「…………馬鹿馬鹿しい」
アヴェロンは、弱々しくため息をついた。
「それでは念のため聞いてみるが、おまえはディン朝最後の一人、イズ・アル・ヨーディンを、この世から消し去ってくれるとでもいうのか?」
「あなたはどうしてそんなことがしたいんですか?」
「…………」
あまりにもまっすぐにそう問いかけられ、アヴェロンはしばし絶句した。
「……邪魔だから、だ」
「それは、あまりいい理由ではありませんね」
真面目な顔でそう言われ、アヴェロンは、自分でも意外なことに、思わず吹き出してしまった。
「あまりいい理由ではない、って、おい、それじゃあ、どんな理由だったら『いい理由』とやらになるというんだ?」
「それはとてもむつかしい質問です」
ゾラは生真面目にそう答えた。
「文化的背景、歴史的背景、および人物相関関係、その他もろもろの不確定因子を全て把握して、なお最善に至るかどうかという非常にむつかしい質問です」
「――フン」
アヴェロンは、軽く鼻をならした。
「少なくともおまえは、人一人この世から消し去るのは許されないことだ、などと、頭ごなしに言ったりはしないわけだ」
「ああ、もちろん、知的存在の存在を消滅、もしくは停止させるのは、一般的に言って非常に罪深い行いです」
ゾラは、やはり生真面目に言った。
「しかし――時にはその必要が生じる事もあるのです」
「なかなかさばけたやつだな。そうとも、私には今、その必要が生じているんだ」
「必要――なんですか?」
「なんだと?」
「邪魔だから、いなくなって欲しいんですよね?」
ゾラは小首を傾げた。
「だったら、その人があなたの邪魔をしないようになれば、別にその人が生きていたってかまわないんじゃないでしょうか?」
「――存在そのものが邪魔なんだ」
「どうして邪魔なんですか?」
「――」
アヴェロンは考え込んだ。
そして――すぐに気づいてしまった。
非常に簡単な理由だったという事に。
「――私はイズが嫌いなんだ」
「嫌い?」
ゾラは、反対方向に首を傾げた。
「どうして嫌いなんですか?」
「――」
琥珀卿アヴェロンは、なぜ、ディン朝最後の一人、最後の『新月様』となるであろう、イズ・アル・ヨーディンを嫌っているのか。
今まで誰も、そんなことをアヴェロンにたずねたものはいない。
そう――アヴェロン自身ですら。
「どうして――だと?」
「はい。人を嫌うからには、何らかの理由があるはずです」
「――理由なんてない」
「……え?」
「理由なんてない。――虫が好かない。ただそれだけのことだ」
そう答えながら、アヴェロンは自分でも少し違和感を感じていた。
琥珀卿アヴェロンは、妹のジェニアを翡翠の王、ナルガの妻としたい。
だが、ナルガの心の中にはただ一人の女――ディンの新月、イズしかいない。
だから、イズが邪魔だ。
だから、イズが嫌いだ。
それで説明がつく。いい悪いは別にして、そう説明すれば一応説明がつく。
なのに、なぜ。
理由はないなどと言ってしまったのか、自分は。
「――そうですか」
ゾラは、首をひねりながら、いささか無理やりうなずいた。
「すみません、次元汚染チェッカーを起動させてもよろしいでしょうか?」
「いやだと言ったら?」
「拒否する理由をおうかがいします」
「理由はない」
「それは困ります」
「おまえが困ったって私は困らない」
「…………」
あまりにも困り切った顔で自分を見つめてくるゾラを見て、アヴェロンは、またしても吹き出してしまった。
「何だか知らんが、勝手にやってしまったらどうだ? おまえのような得体のしれない物の怪を、とめたりする力は私には――」
はた、とアヴェロンは言葉を切った。
その力があるのかないのか、自分でもわからないことに気づいたからだ。
この世ならぬものたちを退ける『琥珀の破邪眼』をもつエルネストーリア家の、当主、なのだ、アヴェロンは。
だが。
目の前の得体のしれない少女をいくらにらみつけてみても、いっこうこたえた様子がない。
「――血が薄まった、という事なのか、これは?」
「え?」
「こっちの話だ。――勝手にしたらどうだ、と、私が言ったら、私はなにか不利益を被るのか?」
「いいえ、まったく」
「なら、勝手にしたらどうだ」
「ありがとうございます」
空中でペコリと一礼したゾラは、どこからともなく一枚のICカード――アヴェロンには妙な紙切れにしか見えなかったのだが――を取り出し、さっと空中を滑らせた。
「――ああツ!?」
「どうした?」
「ご、ごく最近、汚染源の侵入があったことを確認しました」
「…………つまり、どういう意味だ?」
「ええと、あなたがたの言葉で申し上げますと」
ゾラは、深刻な顔でアヴェロンを見つめた。
「この世界に、悪魔が侵入しました!」
「――なんだと?」
アヴェロンは、非常に嫌な予感を覚えた。
悪魔に魂を売ってでも願いをかなえたいという人物を、一人知っていたからだ。
「――おい、ゾラとやら」
「はい、なんでしょう?」
「おまえは――悪魔を見つけたら、いったいどうするつもりなんだ?」
「排除します」
間髪いれず、ゾラはこたえた。
「――なるほど」
アヴェロンは瞬時にして、すべての要素を天秤にかけはじめた。
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