第10話
イズの話
「で、おん嬢様」
ナタリーがニヤニヤと言った。
「とりあえずあたくし達は、何をすればよろしいんでござあましょうかしら?」
「そうだね、じゃあ、とりあえずはアヴェロンがわたしの邪魔を出来ないようにしてもらおうか」
イズは即答した。
「殺すんでもなんでも、方法はそっちに任せる。とにかく、あの陰険腹黒が、私の邪魔をしないようにしてくれ」
「アヴェロン様――」
「アヴェロン、ね――」
ナタリーとカンナの目の焦点が一瞬ぼやけ。
次の瞬間。
「――ん、んまあ!」
「――ゲッ!」
二人の顔色が変わる。
「どうした?」
イズは眉をひそめた。
「あ、あの、おん嬢様」
ナタリーの顔色は、むくんだ水死体の肌のような色になっていた。
「そ、その、アヴェロン、とおっしゃるのは、その、現在の琥珀卿、アヴェロン・ティン・エルネストーリア様のことでござあましょうかしら?」
「そうだよ。なんだよ、おまえ達まさか、そんな高貴な身分のものは殺せないだなんて、寝ぼけたことをぬかすんじゃないだろうな?」
「『素材』の身分なんてどうでもいいわよ。ただ――」
カンナがうめいた。
「タイミングがサイアク。そいつ、ついさっき、『天使憑き』になったばっかじゃないの! ああん、もう、昨日呼び出してくれたら一瞬で八つ裂きにしてみせたのに!」
「――え?」
イズの眉間にしわがよった。
「どういうこと? あいつ――アヴェロンのやつ、なんかやらかしたの?」
「人もあろうに――」
「事もあろうに――」
「天使なんぞを呼びだしておしまいになられて!」
「ああ、ええと、ちょっと待ってね――ああ、ナタリー、不幸中の幸い。来たのは下級の下っぱよ。あたしたちが負ける相手じゃないわ。ただ、『天使協会』の連中を呼び寄せられたら――」
「おお、冗談じゃござあませんわ。あたくし、あのかたがたと顔をあわせるのだけはふるふるごめんこうむりますわ」
「あたしだってそんなのごめんよ。ああん、ごめんねダーリン、あんた、タイミングが悪いわよ。どうして昨日のうちに呼びだしてくれなかったのよお」
「――なんだかよくわかんないんだけど」
イズは顔をしかめた。
「つまりおまえ達は、アヴェロンには手出しできないってわけ?」
「はあ、そうなりますわねえ。申し訳ありませんわねえおん嬢様。昨日だったらよろしかったんですけどねえ」
「昨日だったら、って――」
イズは唇を噛んだ。
「おい」
「はい」
「おまえ達が言ってる、その『てんし』ってのは、いったいなんなんだ?」
「…………え?」
「…………あら」
ナタリーとカンナは、そろって顔を見あわせた。
「ええと……あら、カンナさん、この世界ってば『悪魔』の概念はあるのに『天使』の概念はござあませんことよ」
「あら……本当だ。へえ、ちょっと珍しいパターンかも」
「と、いうことは――アヴェロン様はもともと、天使なんかを呼びだすつもりではなかったのでござあましょうねえ」
「そりゃそうよね。どんなに有能なやつだって、存在していない概念なんかを意図的に呼びだす事が出来るはずないもの」
「あらあら、まあまあ、それは大変な不運でしたわねえ」
「それってあたし達にとって? それとも、その、アヴェロンってやつにとって?」
「あらやだカンナさん、もちろん両方にとって、でござあますわよ、ほほ」
「おい」
イズはため息をついた。
「わたしは質問をしているんだぞ。ちゃんと答えろよ」
「あらん、申し訳ござあません」
ナタリーは空中で、イズに向かって馬鹿丁寧に一礼した。
「ええと、『天使』というのはですねえ――ひとことで申し上げて、あたくし達の天敵、で、ござあますわねえ」
「天敵?」
イズは片眉をはね上げた。
「へえ、おまえらにもそんなものがいたりするんだ」
「そりゃいるわよ。ダーリン、あんたあたし達のことをなんだと思ってるの?」
「そりゃ悪魔だろ」
イズは冷ややかに笑った。
「で――ってことはつまり、アヴェロンのやつは今夜、まさに今夜、おまえ達の天敵をこの世界に呼び出しやがったってわけ?」
「はあ、でも、アヴェロン様にそんなつもりはまるっきりなかったんでしょうけどねえ」
「どういうこと?」
「だってダーリン」
カンナは肩をすくめた。
「この世界にはそもそも、『天使』っていう、あたし達の天敵に対する知識や概念そのものがないわ。どんなに優秀な召還師だって、自分の知らないものを意図的に呼びだしたりできるわけないじゃない」
「意図的に――」
イズはわずかに考え込んだ。
「――ってことは、アヴェロンは今夜偶然に、おまえ達の天敵を呼びだしちゃったってこと?」
「はあ、まあ、そういうことになるんでござあましょうねえ」
ナタリーはため息をついた。
「幸運も不運も、ずば抜けた御方ですこと」
「――え?」
イズは首を傾げた。
「アヴェロンがおまえ達の天敵を呼びだしたのは、幸運、じゃ、ないのか?」
「今この場であたし達に殺されずにすむ、って意味では、幸運でしょうよ、そりゃ。でも」
カンナはため息をついた。
「天使なんかに関わっちゃった『素材』が、まっとうな死にかたできるわけないじゃない」
「死んでからも、安穏としてはいらっしゃれないでしょうねえ、ほほ」
「――それって」
イズは目をしばたたいた。
「アヴェロンも死んだ後、その『天使』とかに、魂を奪われる、ってこと?」
「奪われる――と、申しましょうか――」
ナタリーはのったりと首を傾げた。
「――もしかしたら、次元汚染源になるという事で、ちり一つ残さず消滅させられるかも」
「それとも、もう原型なんて一かけらも残さないほどにその形を変えられるかも」
「へえ――あの陰険腹黒が、死んだあとそういう目にあってくれるって聞くのはとっても楽しいんだけど」
イズは唇を歪めた。
「でも結局、おまえ達は今のところアヴェロンには手出しが出来ないってわけ?」
「申し訳ありませんわねえおん嬢様」
「ねえ、他のやつにしてくれない? 他のやつだったら、どんなに残酷な目にでも奇抜な目にでも、ダーリンのお望み次第、一瞬ででも無限に時間をかけてでも、きっとあわせてあげるから」
「――アヴェロンは、だめ、か」
イズはため息をついた。
「じゃあ――今のところは、おまえ達に頼むことはないよ。少し考え直さなきゃ。しかし――アヴェロンのやつ、けっこう本気なんだな」
「え?」
「どういうこと、ダーリン?」
「あいつは今夜、ほんとはおまえ達みたいな悪魔を呼びだすつもりだったんだろうよ、きっと」
イズは薄く笑った。
「あいつがそんなことをしようとする理由なんてたった一つに決まってる。――あいつはわたしを殺したいのさ。『王殺し』の祟りを受けることがないような殺しかたでね」
「あらん、おん嬢様、それはまた、不幸中の幸い」
ナタリーが空中で、ゆらゆらと揺らめいた。
「天使達は、おん嬢様のような人間に、物理的な危害を加えることはいたしませんわ。それは、あのかたがたの間で、かたあく、禁じられておりますの。ですからおん嬢様は少なくとも、今夜その、アヴェロン様が呼びだした天使に殺される、という事だけはござあませんことよ」
「そりゃよかった」
イズは気のない声でこたえた。
「さて、と――どうするかな、これから」
「ゆっくりお考えなさいませな」
「そうよ、じっくり考えてちょうだい」
「だって――ねえ?」
「夜はまだまだ、長いんだから」
二人の女悪魔は、顔を見あわせてニヤニヤと笑った。
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