少し普段どおりじゃない夜中。
ふゆむしなつくさ
ショートショート
夜が好きなんです。
ぽつりと浮き出た僕の言葉に、反応は返ってこなかった。特に会話を求めているわけではなく、こうして互いに適当な一言を零しあうのは、僕らの習慣だ。
肌寒い空気と澄んだ静けさを感じながら、右手に持った吸いかけの煙草を口へ運ぶ。時刻は既に0時を回っていた。
隣には、隣人の女子大生が壁にもたれかかりながら立っていて、僕と同じように、火のついた自分の煙草を咥えている。
「どうして夜が好きなの?」
今日は珍しく、女子大生が言葉の続きを促してきた。
何となく喋ってもいい気分だった僕は、
「普段意識しているわけではないんですけどね」
と前置きをしてから、それに答える。
「例えば、こうして何気なく煙草を吸っている時間。道の先まで見渡せる柔らかい暗闇の中に街灯と自動販売機の明かりが浮かんで、時々徒歩だったり自転車に乗っている人達が視界を端から端へ通り過ぎていく。僕らはそれを眺めながらアパートの壁にもたれて煙草をふかしていて、自分の吐いた煙を追って上へ目を向けたところで、少しばかり降り出した雨に気づく。そういう時間が、僕はたまらなく好きなんだと思います」
女子大生はふうん、と小さく答えて煙を空に向けて吐き出し、形ばかりの雨粒を視界に映す。普段より深く煙を肺に落として、僕も同じように空へ向けて吐き出した。星は見えなかった。
「それは、私がこうして隣にいるからとか?」
僕は首を横に振る。
「確かに、あなたが隣にいることがもたらしてくれている感覚もあります。けれどそれはあくまでオプションパーツのようなもので、きっと僕は一人でこの時間を過ごしていても、同じことを感じると思います」
「隣人甲斐がないなぁ」
僕の返答に、女子大生が屈託ない笑みを浮かべる。
「なら、昼間は嫌いなの?」
二つ目になる問いに、少し逡巡したあと、僕は答える。
「嫌いというか、苦手なんでしょうね」
「それはどうして?」
今日はやけに攻めてきますね、とはぐらかすように返しながら灰を落とし、少し考える振りをしてから口を開く。薄く張った寒さの中へ溶け込んでいく、甘さの混じった煙が心地良い。
「とてもありきたりですけど、眩しすぎるんです。湿った内面を容赦なく乾かされるようで、怖くて。僕みたいな人間に、あの明るさは優しくないんですよ。毎日会社に出向く度に、自分の体が行き交う人達に踏み潰されていくような惨めな気分になります」
「成る程、根暗なんだ」
「そのとおり」
僕の返答に、女子大生が堪え切れなくなって、ふふ、と笑みを零す。
短くなってきている煙草を口につけることもなく少しの間を置いて、女子大生が言葉を繋げる。
「まぁ私も、夜のほうが好きなんだけどね」
「なんだ、気が合うじゃないですか」
「どうなんだろう」
君と同じような理由で好きなわけじゃないから、気が合うとは言えないかな。と女子大生は透き通った声音で否定を示す。今度はこちらが質問する番のようだった。
「どうして夜が好きなんですか?」
「煙が映えるから」
女子大生はそこまで言うと、もうほとんどフィルターしか残っていないそれを名残惜しそうに薄い唇へ触れさせ、静かに吸い込んでから、少しずつ喉を通して外気にまぜあわせる。
静かな暗闇の中に白い煙が溶けていく光景は、女子大生の姿も相まって、控えめに見てもとても綺麗で、温かみを感じさせた。
「私は煙草が好きなんだ、煙草に恋してると言ってもいいかも。だから、煙が綺麗に映る夜が好き」
「何となく、わかってましたけどね」
「なにそれ、つまんないなぁ」
女子大生が非難めいた声をあげるのが可笑しくて、つい笑ってしまう。自然に笑みが浮かんだのは久しぶりだな、と不意に思って、心の中でだけ感謝を伝えた。
貧乏くさく、最後に火の熱さを感じながらも無理やり一吸いしてからアスファルトで火を消した。そこまで終えたところで、女子大生が首を可愛らしく傾けながら、僕のほうに手を差し出していることに気づいた。何も言わずにポケットから煙草の箱を取り出して蓋を開けて差し出すと、女子大生はその中から一本抜き取り、僕の100円ライターとは似ても似つかない綺麗なジッポーライターで火をつけた。
そしてそのまま、代わりに自分の煙草をポケットから出して、僕に差し出す。
差し出されたそれを一本受け取りながら、僕はいつものように感想を聞いた。
「おいしいですか?」
「まずいよ」
「でしょうね」
何度となく繰り返してきたやり取りに、思わず顔が綻ぶ。未だに女子大生からまずい以外の評価をもらったことがない。あぁ、一度『甘ったるい』と言われたことがあったか。
女子大生からもらった一本を、そのまま自分の煙草の箱に仕舞おうとすると、「今日も吸わないの?」と問いかけられた。
「あなたと隣人同士じゃなくなった時に吸おうと思ってるんですよ」
何気なく口をついて出た僕の答えに、女子大生が呆れたかのように零す。
「君って、馬鹿みたいなところで変にロマンチストだよね」
「そうかもしれない」
昼間の反動かもしれないな、と少しだけ思った。
渋い顔で僕の煙草を吸う女子大生を数分だけ眺めて、そろそろ戻ろう、と思い立ったところで、「明日も仕事?」と控えめなトーンで疑問を投げられた。
残念ながら、と答えると、女子大生は特に感慨もなさそうな声音のまま、
「そう。ねえ、私は明日も休みだよ」と言った。
「知ってますよ」
僕は女子大生がここ最近出かけている姿を見たことがない。単に取るべき履修が全て終わっているだけかもしれないけれど、四六時中寝巻き姿ばかりだったりするので、もしかしたら引きこもりかもしれない。だったらいいな、と少し思う。墜ちるところまで墜ちた時、傍らに同じような時間を送っている人がいたら、きっと心強いだろうから。
「どう?羨ましい?」
意地悪気に話す女子大生に、僕は「それはもう」と素直に返す。
「僕はニートになりたかったんですよ」
「今からでも遅くはないよ」
「それもそうですね」
検討も視野にいれておこう。
女子大生と別れて建物の中に戻って、自分の部屋に入り、そのまま布団に潜った。
どれだけ行きたくなくても、動かなければいけない朝は残酷な平等さをもって訪れてくる。
ただ今日は、普段よりも幾らか、良い気分を抱えて眠れそうだった。
こうして少しだけいつもどおりじゃない一日が終わる。
たまにはこんなことがあってもいいだろうと思いながら、静かに瞼を下ろした。
少し普段どおりじゃない夜中。 ふゆむしなつくさ @KinoAmehito
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