第9話 鳥谷さん家の家族会議。

ついにこの日がきた。

ついにこの日がやってきてしまった。

それはかつて、誰もが通った道。

そしてそれは、子を持つ親なら子の数だけ通らなければならない道。


「パパ?」

「なんだい?」


鳥谷さんの楽しみは、仕事を一分でも早く片付けて家に帰り、息子の拓海と一緒に遊んだり、宿題を教えてあげたり、その日あったことを聞きながらご飯を食べたりすることだ。

遠からずいつか息子は自分から離れていく。それは止められない。

でも今はまだ、息子は自分の近くにいてくれる。それならばその今を精一杯、息子の為に使ってやりたいと思う。

今日から小学4年生になった息子は、去年に比べて目に見えて分厚くなった教科書や、触手がちな新しい担任教師についての期待や不安を興奮しながらひとしきり話したあとに、ポツリと言った。


、、、ってなに?」


鳥谷さんの全身から汗が噴き出した。


ついにこの日がきた。

ついにこの日がやってきてしまった。

しかし、拓海はまだ9歳。

9歳だぞ。

まだ先だろうと、高をくくっていた。

ゆっくり準備すればいいと、高をくくっていた。


子育てには試練がつきものだ。

不条理や非合理なことばかりだ。

自分の無力さ、非力さを痛感することばかりだ。

自分はもっと上手くできる。そんな自信を粉砕されることばかりだ。

でもああ、神様!

なんたってこんな大きな試練を突然、よりによって息子との平和で救われたこの時間にお与えになるのですか?


『スマン…。』


先祖代々祀っている邪神ポバンガが留学中のセブ島から19m帯短波で謝ってくる。


「たっくん。そのね、その言葉」

「ウンボボ?」

「それをおいそれとっ! 口にしてはいけませんっ!!!!」

「ご、、、ごめんなさ、、、」


しまった! 理由も言わずに叱ることはしないって決めてたのに! 怒鳴ることだけはしないって決めてたのに! 自分が父親にされたことだけはけっしてしないと、決めてたのに!


「違う! 違うんだ! 突然大声を出して、パパ、悪かった。ごめん。このとおりだ。でもね、その言葉はあまり口に出してほしくないんだ。」

「う、うん。わかった。気をつけるね。」

「分かってくれてありがとう。それでね、その、その言葉、誰から聞いたんだい?」

「今日からね、新しいクラスになったの。」

「そうだね。今日から4年生だもんね。」

「それでね、クラスメートがたくさん入れ替わったんだ。」

「うん、うん。」

「始めて一緒のクラスになった林原くんとお掃除の時間にね、一緒にゴミを捨てに行ったの。」

「うん。」

「ゴミを捨てたあとまだ時間があったから、中庭でおしゃべりしてたら、」

「うん。」

「林原くんがね、ウンボ、ええと、その、ウなんとかって知ってる?って」

「…うん。」

「知らない、っていったら林原くんも、僕も知らないって。」

「…うん。」

「知らないけど、すごく大人なことで、すごく気持ちいいことらしいって。」

「…う、、、うん。」

「だったら二人で調べてみようってなったの。」

「へ、、、へぇ。」

「古代図書館や天竺に探しに行ったんだけど、」

「ず、、、随分遠くまで行ったね…。」

「うん。すっごく気になったからね。でもマナーモードにするの忘れてて畜生道に落とされちゃった。」

「そ、、、そう。ともかく怪我がなくてよかったよ。」

「でも、結局分からなかったんだ。だから林原くんと、帰ったらパパやママに聞いてみようって約束したんだ」


誰とも何処とも知れぬ林原家も、今頃突然の試練に苦悶しているかと思うと同情を禁じ得ない。

いや、それよりもパパや「ママ」にも?


「た、、、たっくん? ひょっとしてもうママに聞いたりしちゃった?」

「うん。おやつ食べながらママに聞いたよ。」

「そしたら?」

「今日はこれからさなぎにならなきゃだからパパに聞いてって。」


ハッ。どうせそんなこったろうと思ったよ。ええ? 由美子。

お前はいつだってそうさ。問題は先延ばし。見て見ぬふり。その連続さ。

分かってないな。膨れ上がった爆弾はいつか必ず爆発する。必ずだ。

いつからだろうな? 睦まじく一つのベットで寄り添っていたのが、別々の部屋で寝るようになったのは。

知っているぞ。お前がクローゼットに隠し部屋をこしらえたことを。そこに隠しているものを。そして、それを昼間っから浴びるように飲んでることを。

一杯だけにしているうちはまだいいだろう。それが二杯になったときは、いいか。覚悟しておくがいい。


「そ、、、っかぁ、、、。よ、よし。それじゃ、パパが教えてあげようね。」

「ほんと!? やっぱりパパは何でも知ってるんだ!」

「ええとね。その言葉は、人前で言うのはあまりよくないって思われてる言葉なんだよ。なんでかっていうとね、ええと、まず、ちょっと恥ずかしいことを表してる言葉なんだ。」

「恥ずかしい?」

「うん。大人は公衆の面前じゃ、つまり人前だね。言わないのが当たり前のマナーなんだ。」

「そうなんだね。僕、絶対言わないようにする。」

「うん。その方がいいよ。場合によってはおまわりさんに捕まっちゃったり、電気椅子に送られたりするからね。」

「そんなに悪いことなの?」

「うーん、悪いことではないんだ。でも人前でひけらかしたりするのはダメなことなんだ。」

「気をつけなきゃいけないんだね。」

「うん。特に昼間はよくない。普通は夜にすることなんだ。」

「ふつうはよる、と。」


あれ。たっくん。いつの間にメモなんか取り始めてるの。

そのメモ、何年後かに掃除してる最中なんかにたまたま見つけちゃって、昔はどんなこと書いてたのかな?って開いた途端にすごい切れ味で襲いかかってくるタイプのやつだけど大丈夫?


「それでそれで?」

「ええとね、二人でするものかな。」

「二人でしかできないの?」

「絶対に二人かって言われるとそうじゃないんだけど、、、二人でするのが普通なんだ。三人とか四人だと、おかしい人だとか、危ない人だと思う人も多いだろうね。」

「普通は二人、、、例外もある。二人だったら誰とでもいいんだね?」

「えええー……と、普通は大切な人とするものか、なぁ。そうじゃない人ともできないことはないんだけど、やらない方がいいことだね。」

「ふーん。じゃあ、それをやる前は大切な人じゃなかったけど、やった後に大切な人になったりすることはあるの?」

「あーーーー、そうだねぇ、あ、、あるかもねぇ。。。」

「ぼくとパパでもできること?」

「それはできないかなぁ。」

「なんで? パパはぼくの大切な人だよ?」

「ありがとうたっくん。たっくんもパパのとっても大切な人だよ。でもね、これは男の人と女の人でやることなんだ。それにね、大切っていっても、いろいろな大切があるでしょ。たっくんがパパを大切に思ってくれたり、パパが同じくらいたっくんのことを大切に思ったりする大切とは、ちょっと違うタイプの大切なんだ。」

「うーん? よくわかんないけど。」

「ははは。まだたっくんには難しいかもしれないけれどね。」

「じゃあじゃあ、パパとママはしたことある? ママは女の人だし、パパの大切な人でしょ? ………大切な人、だよね?」


もう子どものこういう所嫌い。ホントやめて欲しい。

イエス/ノーの質問が世界を平和にすることなんて、決してありはしないんだよ? たっくん。


「そ、、、、れは、、、、」

「それは? それは!?」

「あ、、、、るよ。 あるよ。」

「へーーーー!」

「よ、よそで言いふらすのはなしだよ!」

「うんっ!」


ハッ。もう何年もご無沙汰だがなぁ? 由美子よ。 かつては毎日、お互い猿のようにやっていたな?

いやいいんだ。 今更お前となんざ、鞭毛の先っちょほどもしたいと思っちゃいない。

むしろ、お前とじゃもう逆立ちしてもできない、が正しいな?

お前もそうだろ? ええ?


「ふむふむ。人前でしちゃいけないことで、普通は夜に大切な女の人と二人きりですること。だね。」

「うん。それであってるよ。あとは、、、」

「まだあるんだ?」

「たっくん。ウのつくそれは、そんなにシンプルじゃないんだよ。そのときの衝動、つまり勢いだね。勢いでやったら大変なことになってしまうこともあるんだ。」

「そ、そうなんだね。ちゃんと考えてやらなきゃいけないんだね。」

「うん。とくに、自分の体のことと、女の子の体のことはちゃんと勉強しておかないといけない。」

「体? 男の子と女の子?」

「うん。男の子も女の子も体が成長していくと、今までになかった色々な変化が起きるんだ。そのうち、男の子と女の子が体育の時間に別々の場所に分かれたりすることがあると思うんだけど、その時間で習うことになるはずだよ。」

「へぇ。」

「あとは九頭龍様が上空に滞留しているときは絶対にやってはだめなんだ。」

「そうなの!? ……やっぱりウロコの問題?」

「うん。地脈と水脈が暴れるからね。万が一やってしまったらびっっっっしりだよ。」

「こ、こわいね!」

「他にも、歯が抜けてたり、手を怪我してるときも気をつけて。」

「どうして?」

「正しく神の名を唱えられないと呪いになって自分に返ってくるからね。だから歯が抜けてるだけじゃなくて、舌を火傷してるとか、くちびるが切れてるとか、顎が痛い、なんてときはやらない方が身のためだよ。」

「正しく神の名をとなえられる時じゃないとだめ、と。手は? 手はどうして?」

「手と手を繋いでいって66の円環を作ることがこの儀式の基礎でもあるんだ。円環を維持できなくなると月光を反射できなくなる。なんだかんだ光子も生き物だから、せっかく地球まで旅してきてくれたのに、ドタキャンはやっぱりね?」

「そっかぁ。きっと嫌な気持ちになるよね。うん。気をつける。他に注意することはある?」

「うーん、入門編としては大体こんなところかなぁ。上級編までの道のりはまだまだ長いし、大変だけど、大丈夫。虎の穴で鍛えられていくうちに、気付けば鬼のように強くて厳しかった教官を安々と屠ることができるほどの強大な力を手に入れられるからね。」

「虎の穴かぁ。早く上級生になりたいなぁ。。。あ、そうだパパ!」

「なんだい?」

「肝心なことをまだ教えてもらってなかったよ。」


…やっぱり、そこに行き着くか。

罪だよ。子どもの好奇心ってやつは。


「その、ウ、なんとかをもし女の子としちゃったら、どうなっちゃうの? 何が起こるの?」

「………ふぅ。たっくん。いや、拓海。この先は覚悟無しには話すことができない。何故ならこれを伝えるにはパパも、拓海も、大きな代償を払う必要があるんだ。」

「………。」

鳥谷さんの纏う空気が如実に変わったことに拓海は気づく。

先程までの、ややどぎまぎしながらも和やだった雰囲気は霧散して、肌がピリピリし、毛穴が泡立つような気配が部屋を満たしている。

…ごくり。

拓海が唾を飲み込む音が鳥谷さんの耳にも聞こえてきた。


恐ろしいよな。分かるよ。パパもそうだった。


「パパ………。正直、怖いよ。でもぼくはもう、後戻りなんてできない。」

「そういうと思ったよ。拓海はやっぱりパパの子だ。」


鳥谷さんはくしゃくしゃと息子を撫でた。そして息子の両肩を掴み、正面から見据える。

澄んだ目だ。

生きること、死ぬこと。そして殺すこと。あらゆることを受け入れる覚悟が、その目に映っていた。

それを受けて、鳥谷さんも決心と覚悟を固めた。


「付いておいで。」


鳥谷さんは本棚に並んだTo LOVEる・ダークネス の何冊かを、何かの規則があるかのような手順で引っぱった。すると…。


ガコンッ ガコンッ  ………ギギギィ。


地下へ続く長い階段が現れた。最初の数段より先は、昏くて見えない。一体、どこまで続いているのか。


「行こう。」

「は、はい。」


下り、下り、滑り、下り、トロッコに乗り、下り、ゴールテープを切ってハイタッチし、インタビューを受けて、また下る。

30分ほども下っただろうか。

現れたのは篝火かがりびに照らされたコリント式の石柱が並ぶ神殿。

けして豪奢ではないものの、重厚で荘厳である。

しかし内部は極めて簡素だ。

そこには踏み固められた土だけがただただ広がっている。


「パパ、これは…。」

「そう、神殿じゃない。………闘技場だ。」


鳥谷さんが指差す。


「ごらん、拓海。火の付いていない篝火がたくさん浮かんでいるだろう? 合わせて72本ある。」

「うん。」

「拓海はこれから、ソロモン王が従えた72はしらけだものと闘い、その全てに勝利しなければならない。」

「!」

「力。知恵。そして勇気。それら全てを振り絞らなければ、その手に勝利は掴めないよ。」

「………パパ。ぼく、やるよ。」


篝火が一つ、ボウッ、と強い風とともに眩く灯る。


「一柱目はアンドロマリウス。」


気付けば闘技場の反対側に音もなく、2匹の大蛇をからだに巻きつけた長身の男が現れていた。


「吾輩は地獄の公爵、アンドロマリウス。貴様が鳥谷一族の末子すえか。まみえたことを嬉しく思うぞ。」


拓海が眼鏡を外し、上着を脱いだ。

傷だらけの、しかし引き締まった躰が露わになる。


「アンドロマリウス公! ぼくの名前は鳥谷拓海! ビル・ゲイツ流忍術を受け継ぐ者! 求める答えのために! 貴方を倒す!」

「ふふふ。その威勢、父に似たものだな。」

「それでは両者とも、闘技場の大柱に額を付けて。」


鳥谷さんは、闘技場奥の祭壇から見下ろしている。


「拓海! 今宵この試練を乗り越えたとき、お前はそれの秘密を知るだろう! その力と、そしてなぜそれが秘密なのかを!」

「はいっ!」

「拓海! 信じろ! お前なら、きっとできる!」

「はいっ!」

「拓海! 全員倒したら、ハンバーグカレーだ!」

「はいっ!!! がんばるよっ!!!」

「ふふふ。はたしてそう簡単に、上手くいくかな?」


鳥谷さんは棍棒ばちを振りかぶり、大銅鑼どらを鳴らした。


ォォォオオオオオンンンンッ!


「始めいっ!」


闘技場両端の大柱に正体していた両者は同時に振り向き、相手に向かって風の如く一目散に駆けていく。


「うぉおおおおおお!」

「むぅうううううん!」


我が子の成長を目の当たりにできることは、親に与えられた至上の喜びである。


「くらえ! 地裂大破斬フィルダーズ・チョイスッ!」

「あまい! 双極相フォースアウト!」


鳥谷さんは、息子の一生懸命な姿に涙がにじんだ。


大きくなったな、拓海。

ここから出るときお前はもう、一人で立ち、歩き、飛び立つのだろう。

それは、やはり悲しいことだ。

でも、このじわりと胸を刺す悲しみも含めて、幸福しあわせなのだと思う。


「かかったな! 重力天断スクイズッ!」

「なんの! 磁鏡ゲッツー!」


行け拓海。

未来へ羽ばたけ。

高く。高く!

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