~瞳、紅くもゆる頃~ 2話


 パチパチと何かの爆ぜるような音、暖かく心地の良い柔らかい感触。意識が少しずつ覚醒してくる。

「ここは……どこ? 確か……自転車のブレーキが壊れて……」

 今どこにいるのかがはっきりとわからないルーミス。

 身体を起こすと、体中から痛みが沸き起こる。

「いたたたた……」

 その時、キィー。と言う音と共に扉が開き、誰かが中に入って来る。

「気が付いたか?」

 一人の老人がルーミスの寝るベットに近づいて来る。

 白髪にまばらに黒髪が目立つ髪、そしてそれと同じように長い髭にも白いものが混じっている。そして年齢を重ねた深い皺の多い顔には右の頬に深い傷跡。顔の傷以外にも袖口から見える腕や足のいたるところに深い傷跡が残る老人。

「あなたは?」

 ルーミスの問いに老人は何も答えず背を向け、暖炉の方に向いうと暖炉で温められた薬缶のお湯をカップに注ぎそれをルーミスに手渡す。

「飲んでおけ。まだ傷が完全に治ってるわけじゃないんじゃからな」

 カップを受け取り、中に入ったものを覗きこむ。茶色く色のついた物が中には入っており、見た目には紅茶のように見えたが、カップから漂う香りは紅茶のそれとは違った。

 恐る恐るカップの中に入った物に口を付け一口中の物を含む。

「にがっ!!」

「薬は苦いもんじゃ。我慢して飲むんじゃ」

 仕方なくルーミスはその薬を少しずつ飲む。

「それを飲んだらまた眠るんじゃ。次に目が覚めた時には身体も随分楽になっているじゃろう」

 そう言われている間にもだんだんとルーミスは眠くなり、またベットの中に倒れ込むかのように眠りに落ちていく。

 次に目が覚めた時、あの老人は家の中にはいないようだった。

 老人の言った通り、体は随分楽になり、ベットから起き上がっても身体にほとんど痛みは感じる事は無かった。

 窓から見える木々は緑より黄色や赤と、色づいた物の方が多くなってきており、秋の訪れを伝えていた。

 ルーミスは今まで自分の寝ていた部屋を出る。扉を開けると、その部屋は炉が置いて有り、その周りには仕事の道具なのだろう、手入れの行き届いたハンマーなどの道具、そして水の入った木で作られた水槽が置かれている。

「鍛冶屋さんなのかな?」

 道具の置いて有る向こう側にも扉が有ったが、その部屋は恐らく老人の部屋なのだろう。そして外へ出る扉が有る。

 ルーミスは鍛冶仕事に使う道具を一つ一つ、珍しそうに手に取って見つめ、そしてその道具たちを一通り見終わると今度は部屋を見渡す。見渡した部屋はそれ程大きくは無く、壁は全面煤で汚れているが、一つだけ煤に汚れず部屋の隅にひっそりと、壁に掛けられ、鞘に納まった剣に目が留まる。

 それに吸い込まれるかのようにルーミスは近づき、その剣に手を伸ばし、もう少しでその剣に手が触れそうになった時、後ろから声が聞こえる。

「その剣には触るな!」

 身体をビクッとさせて手を引っ込めるルーミス。その声の主はルーミスに近づき剣から引き離す。

「ごめんなさい」

 老人は何も言わずに背負っている荷物を降ろし、ルーミスの寝てた部屋の中に入る。ルーミスもその後に続き、部屋に入ると老人は暖炉に掛けられた薬缶を手に取り、その中のお湯をまたカップに注ぐ。またあの薬の匂いが辺りに漂う。それを老人はルーミスに手渡し、それを受け取るルーミス。

「身体はどうじゃ?」

 老人は低い声でルーミスに聞く。

「え? ああ。もう大分良くなったみたい」

 そうか。老人は低い声でそう呟くと今度は薬缶の代わりに大きな鍋を暖炉に掛け、ご飯の準備を始める。

「あの……お爺さん。助けてくれてありがとう。私はルーミス」

 黙ってルーミスに背を向けたままの老人。

 手に持ったカップの中身を一口すすり、ルーミスはまたその味に顔をしかめる。

「ラムジット」

 突然の言葉にルーミスは思わず聞き返す。

「え?」

「ラムジットじゃ」

 どうやら老人の名前のようだ、それが解ってようやくまた話しかける。

「ラムジットさん、何か手伝います」

 そう言って暖炉に近づき、鍋の中を覗き込むルーミス。しかしもうほとんど準備は終わっているようだった。鍋の中にはぐらぐらと煮え立つお湯。その横で器用に包丁を使って肉や野菜を切っているラムジット。まな板の上に乗せられたそれらを鍋の中に全部ほりこみ、塩と胡椒で適当に味を付けて後はただ煮込んでいる。暫く煮込んで鍋の物に火が通り晩御飯はできあがったようだ。それを色々な物が置かれたテーブル上を押し退け鍋を乗せる。ラムジットは椅子に座り、深皿に自分の食べる分を掬い食べだす。それを見ているルーミスに気が付いてラムジットは声を掛ける。

「どうした? 食べんのか? まあ、味は補償できんがな」

 そう言われてルーミスもラムジットの向かいの椅子に腰かけ、深皿に自分の分を掬い、それを一口食べる。

 一口で動きが止まるルーミス。思わず吐き出してしまいそうになるのを堪えるのが難しいほどの料理を何とか飲み込む。

次の一口を食べるまで、随分と時間がかかっているルーミスを見てラムジットは声を掛ける。

「味の補償はせんと言ったじゃろ?」

 何とか笑顔を見せて次の一口を口の中に入れ、一口一口と、皿に盛られたそれを飲み下す。かなりの苦痛を伴う食事を何とか終わらせ、食器を片付けるラムジット。片付けが終わり、ラムジットは暖炉の前の椅子に座り、陶器に入った酒をカップに注ぎ一人飲む。どこか気まずい沈黙にルーミスは何か話すことを探す。

「ラムジットさんはずっとここで一人で住んでるんですか?」

「ああ、そうじゃ」

 短い一言が返ってくる。

「家族とかいないの?」

 黙ったままでいるラムジット。また気まずい雰囲気になる。何かまずい事を聞いてしまったかもしれない、そう思った時にラムジットはまた話し出す。

「昔……。そう、もうずいぶ前に妻と娘は逝ってしまった」

「ごめんなさい……」

 ルーミスにはその言葉しか返せなかった。

「気にするな、もうずいぶん昔の話じゃよ」

 相変わらず暖炉の方に向きながらラムジットは話す。

「さあ、もう今日は寝るんじゃ。まだ体が完全に治った訳じゃないんじゃからな」

 ラムジットはそう言って、カップに残った酒を飲み乾すと、椅子を立って自分の部屋に戻って行く。暫くしてルーミスもベッドに倒れ込み眠りに付いた。

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