~風、甘く薫る頃~4話


あの夜から数日たっていたが、あの日からセルロイとルーミスの関係が何か変わったというようなことは無かった。少なくとも表面上は。いつものように何も無かったかのように、軽口をたたくセルロイ、それに少し怒ったように返すルーミス。

 しかし、セルロイはどこかふっと遠くを見るような表情をする時があった。その度にルーミスは黙ったままでいる事しかできず、いたたまれない思いを抱き続けた。

 何日か経った夜の事。セルロイは、またルーミスの寝ている時にキャンプを抜け出し、暗闇の中に消えていく。

「また来たのか? 何度来ても答えは一緒だぞ」

 闇の中の人物に話しかけるセルロイ。

「殿下、どうかお戻り下さい! もう、我々の力では内戦を回避する事は難しくなってきております。どうか、どうか国にお帰り下さい」

 闇の声は必死にセルロイに訴えかける。

「何だって!? あのバカ兄貴達、ついにそんな事になろうとしているのか!」

 闇の中の男は黙って頷く。

「まあいい。今更あんなバカ兄貴達の所に俺が帰った所で何ともならないだろう。だから、諦めてお前も帰るんだザラーム」

 ザラームと呼ばれた男は、なおもセルロイに話しかける。

「殿下、このままでは民達が内戦に巻き込まれ、多くの人命が失われます! 更にこの期に乗じて他国がラントルースに攻め込んでくる可能性も十分に考えられます! そうなってしまえばまたこの大陸は戦乱の世界に陥ってしまいまう可能性も十分に有り得ます! どうか、どうか殿下、その前に早く国にお戻りください!」

 黙り込み、ぐっとこらえるように俯きしばらく考え込む。そしてセルロイは、ようやく顔を上げ、ザラームに話しかける。

「わかった……俺が戻って何とかなるとも思えないが……戻ろう」

 表情は見えないが、ザラームからは明らかに気を緩めたようだった。

「殿下。では、早速国にお戻りください」

「ザラーム、すまない。明日の朝まで待ってくれないか? ちゃんと明るい所でルーミスにお別れがしたい」

 少し考え込むザラーム。

「もう逃げたりはしないさ。俺からのお願いだザラーム、聞き届けてはくれまいか?」

「わかりました殿下。明日の朝、兵と共にお迎えに上がります」

「すまないザラーム」

 では、明日の朝に……ザラームはそう言うと闇の中にすっと消える。

 そしてセルロイはルーミスの眠る所に戻り、眠りにつく事もせずに、焚火越しに見えるルーミスの姿を見つめている。

「できれば……いや、もうそれは言うまい」

 そう独り言を呟き、セルロイはやがて眠りについた。




「おはよう」

 セルロイにそう声を掛けられ眼が覚めるルーミス。

「おはよう……」

 まだ眠そうに眼をこすりながら身体を起こし、両腕を空に向かって突き上げ、あくびをしながら伸びをするルーミス。

「どうしたのセルロイ。こんな朝早くに起きて。珍しいわね」

「たまには……ね」

 そう言いながら朝食の準備を整えるセルロイ。

「ほら、もうすぐ朝飯の準備ができるぞ。顔でも洗ってこいよ」

 はーい。そう言いながら毛布から身体をだし、川に向かって歩いて行く。

 しばらくしてルーミスが戻ってくると、そこにはもう朝食の用意が整えられており、その量に驚かされた。

「ちょっとセルロイ。朝からこんなにどうしたの? 今日は何かのお祝いだったりするの? もしかしてセルロイの誕生日?」

 そんな風に少しおどけながらも、ルーミスには何となくセルロイの様子から感じる物があった。

「まあ、そう言う訳でもないんだけどな。たまには……いや、はっきり言おう。もう隠しても仕方のない事だしな」

 そうか……セルロイの行動がルーミスには十分に理解できていたので、それ以上の言葉を話すことは無かった。

「今日でルーミスとの旅も終わりにしようと思う」

 やはり、そう思いはしたが、ルーミスは口にすることなく、少し頷くだけでセルロイの次の言葉を待つ。

「もう、俺が国に戻ったところでどうにもならないかもしれない。でも、もう逃げる事はやめて兄貴達とちゃんと向き合おうと思う。それで、色々な事が簡単に解決できるなんて事は思わない。でも、最悪の事態を避ける事は出来るかもしれない」

「そう……わかった」

 短く一言答えるルーミス。

「なんだ、意外にあっさりしてるんだな? もっと悲しそうな顔するかと思ったんだが……俺の期待しすぎか?」

 どこか寂しげだが、しかし迷いのない笑顔をルーミルに向ける。

「そうね、期待し過ぎね。もともと一人で旅をしてきたんだから、それがもとに戻るだけだし。ま、まああれね、一人だといろいろ不便な事があるのは確かね……」

 ふーん。セルロイは少しにやけながらルーミスの顔を見る。

「な、何よ? なんか文句ある?」

「いやいや、なんでもないよ」

 一番最初に見た時と同じようなにやけ顔で、ルーミスの方を見ている。

その時背中に人の気配を感じ振り返るルーミス。

 するとそこには、白銀の鎧に身を包んだ騎士が十人ほど並び、その真ん中に黒い衣装を身に纏った人物が立っている。

「殿下、お迎えに上がりました」

 ザラームの言葉を聞くとセルロイは立ち上がる。

「わかった」

 そしてそのままルーミスの横を通り過ぎる。

 ルーミスも立ち上がり、セルロイの背中に声を掛ける。

「セルロイ。いつか、あなたの国にも行くかもしれない。だから……だからその時までに平和な国にしていてよね」

 振り返り、そしてルーミスに近づく。

「ああ、わかった。その時までには必ず」

 そしてセルロイはルーミスの右手を取り、跪きその手にそっとキスをして立ち上がる。

「では、また再会できる日を楽しみにしておりますルーミス様」

 最後は王子らしく振舞い、そしていよいよセルロイはザラームの方に近寄り、ザラームの傍らの馬に跨ろうとした時、またセルロイがルーミスの方に戻ってくる。

「おっと、かっこつけてて忘れる所だった」

 そう言うと、首にかかったネックレスを取り、ルーミスに手渡す。

「これって……」

「まあ、御守りみたいなもんだ。何かの役に立つかもしれない、持っていてくれ」

「いいの? 大事な物なんでしょ?」

「ああ、いいんだ。ルーミスに持っていてほしい」

「わかった。ありがとうセルロイ」

 それを受け取ると、セルロイはまた馬の方に歩き、跨ると他の騎士たちも馬にまたがるとザラームに声をかける。

「では、行こうかザラーム」

 ザラームは黙って頷くとザラームの乗った馬は駆け出しセルロイはその後に続き走り去っていく。

 ルーミスはその姿を見送る。

 受け取ったネックレスの鎖に通された指輪をじっと見る。

 指輪にはラントルースの紋章なのだろう、十字に植物の葉。恐らく国の花であろう梔子の葉がかたどられていた。

「そう言えばさっきの騎士の鎧にもそんな紋章が有ったわね……」

 そっと、誰にも聞こえないような呟き、今までセルロイと旅をした二ヶ月間が急に思い出される。

 暑かった夏も、少し陰りを見せ、新しい季節が訪れるかのようにそっと涼しい風がルーミスを包むかのように吹き抜ける。

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