~風、甘く薫る頃~3話


 夜、目が覚めると、時々セルロイはいなくなっていることがあった。ルーミスが翌日にそれを聞いても、トイレに行っていたとか、そんなことを言うだけで、セルロイの行動は明らかにおかしかった。

 そしてある日の夜、セルロイの隠していた事を、ルーミスは知ることになる。

 一日自転車を漕いで疲れて寝ているルーミスの横を、セルロイが音も立てずに焚火の明かりの届かない暗闇の中に消えていく。暗闇の中で蠢く人影に話しかけるセルロイ。

「もう来るなと言っただろう?」

 少し怒りをふくんだ口調のセルロイ。

 セルロイの言葉に臆することもなく答える人影。

「それはわかってはいます。しかし、殿下にはすぐにでも国に戻って頂きたいのです!」

「もういい! 国がどうなろうと俺の知ったことか! 俺はもう兄弟喧嘩にこれ以上関わるつもりは無い!」

 一息に言い切り、セルロイはその場を立ち去ろうとする。

「殿下、私はどんな手段を使ってでも殿下に国にお帰り願う覚悟で来ております」

 影の発した言葉にセルロイは足を止める。

「何が言いたいんだ?」

「あの娘……ルーミスと言いましたかな?」

「お前! ルーミスに何かあったらただじゃすまさないぞ!」

 怒りを露わにした表情で影に向かって怒鳴りつけるセルロイ。

『それは殿下次第です。では殿下また近いうちに……』

 影の言葉は闇の中に消え入り気配も消える。

 セルロイは気配が無くなった事が解るとルーミスの寝ている方に振り向き、歩き始めようとした、その時何かの気配を感じる。

「誰だ!」

 そっと暗闇から姿を表すルーミス。

「セルロイ……今の話しどういうこと?」

 苦虫を噛み潰したような表情でセルロイは黙ったままだ。

「そう……ちゃんと答えれないのね。分かったわ、よくわからない人とこれ以上は一緒に旅を続けれない。今までありがとう、明日の朝には別れましょ」

「ちょ、ちょっと待てくれルーミス! 分かった、ちゃんと話すよ。その代わり最後までちゃんと聞いてくれ」

 コクリと頷くルーミス。

 二人はキャンプ地にまで戻り、セルロイは焚き火に薪をくべて話し出す。

「で、どこから聞いてた?」

「兄弟喧嘩がどうのって……その辺りから」

 はぁ~、深いため息をつくセルロイ。

「そうか、じゃあ俺が何者かってのは、だいたい解ったんだな?」

 コクリと頷くルーミス。

「まあ、もう隠しても仕方ないな。俺はセルロイ・ハルノミア・ラントルース」

 セルロイは躊躇いながらも自分のフルネームをルーミスに明かすが、ルーミスは特に驚く事もなくセルロイが言葉を続けるのを待っている。

「えーと……ルーミスは俺の名前を聞いても何とも思わないのか?」

 キョトンとした感じでセルロイを見るルーミス。

「え? 何で? 私なんかおかしな事した?」

 セルロイはその返事が面白くて思わず笑ってしまう。

「はーはははっ。今まで俺が名前を全部言って、そんな態度を取ったのはルーミスだけだよ。こんな事なら最初から名前をちゃんと言っておいてもよかったかもな」

 未だに意味が解っていない様子でセルロイを見るルーミス。

「いや、すまない。大体今まで俺の名前を聞いたやつは変に媚を売ってくるか、そうでなければ変な物を売りつけようとするか、身代金目的で誘拐をたくらむ奴しかいなかったから、ルーミスみたいなのは初めて見たよ」

「いったい何を言ってるの? あなたそんなに有名なの?」

 ルーミスはセルロイの態度に少し怒ったように答える。

「いや、本当にすまない。話を戻そう。俺はセルロイ・ハルノミア・ラントルース。ラントルース王国の三男で、第三王位継承者だった」

 さっき闇の中での話を聞いていたとはいえ、ルーミスもさすがに本当に目の前のセルロイが王子である事は驚いたが、それでもルーミスにとってセルロイは、セルロイでしかなかった。

「ふーん。で、その王子様がいったいなんでこんな所を旅なんかしてるの?」

 少し考えるかのように黙った後、セルロイはまた話し出す。

「俺の国はもともと平和で豊かな国だった。水は澄み豊かで、穀物も豊富に採れた。工業技術は他の国に比べるとちょっと遅れていたが、民は皆幸せに暮らしていた」

「いい国ね。でも、何でそんな良い国をセルロイは出て来たの?」

 小さく頷くとセルロイはまた話し出す。

「俺の親父、まあ国王になる訳だが。それは本当に厳しい人だった。まずは国民の事を第一に考え、またそうする事を当たり前のように俺達兄弟にも教育してきた。しかし、その教育はあまりにも厳しく、俺達兄弟はうんざりしていたんだが、今思えば本当にあの教育を受けれた事は俺自身には本当に良かったと思う」

 ルーミスはセルロイの話に静かに耳を傾ける。

「でも、その長く続いた平和な時期も終わりを告げた。そう、二年前に親父。いや、国王が崩御したのが切っ掛けだった」

 静かな暗闇の中に焚き木の爆ぜる音が響き、二人の顔をゆらゆらと揺れる炎が照らしだす。

 セルロイは、少し沈痛な面持ちで、そこから先の話を続ける。

「もともと俺達兄弟は仲が良かった。しっかり者の長男コーラル。頭の良い次男のアイン、そして俺。本当に仲が良かった」

 昔の事を思い浮かべ、少しその頃を懐かしむような顔をしたセルロイだったが、また話し出す時には暗い表情に戻っていた。

「最初はコーラル兄貴が後を継いで国を治めていた。もちろん兄貴も親父の教育を受けていたから、民に圧政を敷くような事は無く、国はうまく回っていた。しかし、コーラル兄貴はあまりにも今までの親父のやりかたに捕らわれ過ぎていたんだろうな。それは俺の眼から見てもそう思った。でも、アイン兄貴にはそれが我慢できなかったのかもしれない」

 そこまで話すとセルロイはまた少し黙ってしまう。セルロイにとってはやはり思い出したくもない話なのだろう。しかし、セルロイはルーミスに自分自身の話を包み隠さず話す事を心に決め、またそれを実行するために話し出す。

「アイン兄貴はコーラル兄貴の先王と同じ今まで通りのやり方が我慢できなかったんだろう。もともとアイン兄貴は新しい技術を取り入れてもっと国を豊かにする方法を常に考えていた。他国の新しい技術や、新しい材料の研究、そんな事を常に考え、技術こそが国を豊かにし、さらには民の為になる。そうアイン兄貴は考えていた。だからコーラル兄貴の親父のやり方から全く変わらず、それからずれる考えのアイン兄貴とは全く正反対だったんだろう。だから事あるごとにアイン兄貴はコーラル兄貴のやり方にくってかかってたよ。でも最初の頃はお袋がそれを宥めていたから、まだそれほど話は大きくならなかったんだが、そのお袋も半年前に死んじまった……お袋、最後まで二人の兄貴の事を心配してたよ。それから一ヶ月後だったアインが城を出て自分の領地にこもって不穏な動きを見せ始めたのは」

「なんで? なんでそんな事に……だって、二人とも国を良くしたかっただけなんでしょ? だったらもっと……」

「ああ、そうだろうな。俺もそう思う」

「だったらなんで? セルロイは二人の事を止めな……」

「そんな事、言われるまでもなく何度もやったさ!」

 セルロイは声を荒げる。

「すまない……だけど、俺だって……俺だってできるだけの事はやった。でも、一度こじれてしまった物はなかなかもとには戻らない。もう、どうにもならない……」

 セルロイはそこまで話すと黙って俯き、肩を震わせる。

「ごめん……そうだよね……セルロイが一番辛いんだよね……」

 ルーミスはセルロイに近づくと、そっとセルロイの背中に手を当てる。いつもたくましく見えていたセルロイの背中が、今は少し震えていた。その姿をルーミスは黙って見ている事しかできなかった。

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