~風、甘く薫る頃~1話
突然降り出した雨に濡れながら山道を走る自転車。
「もう!なんでこんな時に雨なんて降り出すのよ~」
季節は雨期に入り、突然の雨に襲われることもしばしばあった。そして、今もまたこの雨。それでもルーミスは雨の中を走りつづけた。
山道を走りながら、雨宿りできそうな場所を探すルーミス。
夏も近いというのに、標高が高い事と雨のせいなのだろう、かなり肌寒い。
道沿いには白い花びらを幾重にも重ね、その身体の真ん中にアクセントの黄色い飾りをつけた花が咲き誇る。
雨の中、必死に走っているルーミスにもその花は眼に留まったが、今はそれどころではなかった。
しばらく急な登り坂が続き、それをなんとか登りきった所に、ようやく雨宿りができそうな小屋が見つかり、その中に急いで自転車を乗り付ける。
小屋はどうやら、牧草を乾燥させて保存するための小屋のようで、牧草が高く積み上げられていた。
小屋に入りようやく一息ついたところで急に声を掛けられる。
「よう、あんたも雨宿りかい? お互いついてねーな」
突然の声に驚いたルーミス「ひゃっ!」と、言う声を出し、声のした牧草の山の上を見る。
「おっと、すまない驚かしちまったか」
牧草の上には豪奢な金髪で細身、いかにも優男な感じの男がそこには先客として雨宿りをしていた。
「まったく、よく降る雨だね~早いことやんでくれねーかな」
男が独り言のように呟くのをルーミスは無視し、鞄からタオルを取り出し、荷物や身体を拭き始める。
男はルーミスの態度を全く気にするようすも無く、また話しかけてくる。
「なーあんた、どこから来たんだい?」
ルーミスは自分に掛けられたら言葉だと気がつくまでに少し時間が掛かった。
「私のこと?」
「そうに決まってるだろ? ここには俺とあんたしかいないんだ。独り言でも言ってるように聞こえたかい?」
その態度にルーミスはカチンときてしまい、怒った口調で答える。
「人の事を聞く前に、まずはあなたから名乗ったらどうなの!」
ルーミスの態度に男は笑って答える。
「はーはははっ! 違いない」
今まで積まれた牧草に横たわっていた男は起き上がり、姿勢を正してさらに続ける。
「俺はセルロイ、えーと……そうだな出身はまあ、あれだ、遠くの方だ」
その男の答え方が面白く、さっきまで怒っていたルーミスも思わず吹き出してしまう。
「何それ? あなた変わった人ね」
そう言った後にルーミスも名乗る。
「私はルーミス。まあ、あれよ。私も遠いところから来たとこよ」
ルーミスもそう返すとセルロイも大袈裟に笑ってみせる。
「ルーミスか。よろしくな!」
しばらくの間、雨が屋根をたたく音だけが響き、二人は無言のまま時を過ごす。
ルーミスは鞄の中をあさり、食料を取り出し一つを自分でくわえもう一つをセルロイに差し出す。
「おなか減ってない?」
ルーミスに差し出された物を受け取るセルロイ。
それをしげしげと見つめながら、セルロイはルーミスがそれをどうするかを見ている。ルーミスはそれを指で少しずつ千切りながら口に運ぶ。それを見よう見まねで食べるセルロイ。
「なんだこれ! 初めて食べたけど美味いな! これなんて言うんだ?」
少し呆然とするルーミス。
「あなたよっぽど遠い所からきたの? こんな干し肉くらいどこにでもありそうだけど……」
「干し肉って言うのか! いや、美味い! 初めて食べたよ、こんなに美味い物がこの世の中にはあるんだな……いや、これだけでも旅に出て良かったよ!」
セルロイはそう言いながらも、がつがつと干し肉をたいらげる。
それを食べ終わるともう一つくれ、と言うように手を差し出すセルロイ。
「貴重な食料なんだからそんなに沢山あげれません!」
なんだよケチ。セルロイはそう言って諦め、また干し草の上に寝転がり雨音の響く天井を見つめる。
ルーミスも置いてある木箱に腰掛け、雨降り止まぬ空を見続ける。
天井を見つめるセルロイの手は、首にかかったセルロイには少し合わない位質素なネックレスにぶら下がった指輪を弄んでいる。
ルーミスはそれをちらりと横目で見るが、気にすることもなく、まだ雨降りやまぬ景色を眺める。
雨のにおいに混じって、どこか懐かしいような甘い香りが漂う。
さっきまでは気がつかなかったが、何の香りかと、辺りをキョロキョロと見回すルーミス。
「うん? どうかしたか?」
そう言って身体を起こすセルロイ。
「え? いや、この甘い香り何だったかなって……」
そう言われてセルロイもその香りの元が何かを記憶をたどる。
「ああ、思い出した。こりゃ梔子だな」
「クチナシ?」
記憶をたどるルーミス。
「ここに来るまでに見なかったか? 白い花びらで真ん中に黄色いのがついてる花」
少し考えるルーミス。
「ああ、そう言えば道沿いにいっぱい咲いてたような気がする」
「そうそれ。この甘い匂いは梔子の匂いだよ」
さっき見たときは、あまりにも必死に自転車を漕いでいたのでこの香りに気がつかなかったが、改めてこの香りにふれ、初めて嗅いだ香りなのに、ルーミスはどこか懐かしい気持ちになった。
「私の村では見たことがなかった。こんなに良い香りの花が咲くなんて知らなかった」
ルーミスは梔子の甘い香りを身体の中に取り込み、それを記憶の中に刻み込む。
「俺のいた国だと結構いろんな所に咲いてて国の花にもなってる」
「ふーん」ルーミスはそう言った後、思い出したかのようにセルロイに話しかける。
「ああ、そうだ! 今までセルロイが旅をしてきた中で、タリスって人に会ったことがない?」
ルーミスの言葉に記憶を探るセルロイ。
「タリス、タリス……記憶に無いな。そいつがどうかしたのか?」
「私と同じ村の出なんだけど、なかなか旅から帰ってこないから探してるの」
「ははーん、そいつはあれかい? ルーミスの……」
「そ、そんなんじゃない!」
セルロイが最後まで言い切る前に、ルーミスが顔を赤くしながらセルロイの言葉を遮る。
「タリスとはただの幼なじみで、かなりの方向音痴で、それからえーと、えーと……」
にやにやとセルロイが笑っているのを、必死に否定しようと言葉を重ねるが、その言葉の一つ一つで余計にセルロイのにやけ顔がさらに緩んでいく。
「まあわかった。とにかくルーミスはそのタリスって恋人を探してる訳だ?」
「そうそう、そう言う……って恋人じゃない!」
ついセルロイの言葉を肯定しそうになり、慌てて否定するルーミス。
「ま、まあ探してるのは本当……恋人じゃないけど……」
声が尻すぼみになっていくルーミス。。
「よしわかった! じゃあ、俺もそのタリス探し手伝ってやるよ」
思ってもいなかった言葉に、「ほぇ?」と調子抜けた声を出すルーミス。
「いや、手伝ってくれるのは嬉しいけど……その……」
「うん? ダメか? ほら、旅はなんとかって言うだろ? まあ気にするな」
一人で勝手に納得して話を進めるセルロイ。
「ちょ、ちょっと……」
その時セルロイがルーミスの言葉を遮るように話し出す。
「お、雨やんだな? よし、じゃあ行こうぜルーミス」
セルロイはそう言って荷物を担ぐと小屋を出てすたすたと歩いていく。
「セ、セルロイ? ちょっ、私の話し……あーもう!」
ルーミスは仕方なく荷物を自転車に載せ、自転車にまたがるとセルロイを追いかけるように走り出す。
「おーいルーミス、早く来いよ! 置いて行っちまうぞ!」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 本当にもー」
雨上がりの空、雲間から少し日が差し込む。
先を歩くセルロイに追いつく為、自転車を漕ぐルーミス。
甘い香りがルーミスを包み込む。雨に濡れた濃緑の葉は、その身体をそよと風に揺らし、ルーミスとセルロイの旅を見送るかのようだった。
そしてルーミスはセルロイと共に旅を始める事になる。
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