~薄紅色の風吹く頃~ 1話

 少し強い風が丘の上に膝を抱え座る少女の赤茶けた、肩に掛かるくらいの髪をなびかせる。その風で少し乱れた髪を、手櫛ですこし整える。まだ春と呼ぶには少し早いが、それでも風は暖かさを含み、冬は終わりを告げ春の訪れを知らせるかのようだ。

 小高い丘の上で少女は遠く霞む海の向こうを眺める。海の遠くの方で大きな帆船が航跡を残しながら進んで行く。

海と反対側、丘の下には少女の生まれ育った村がある。小さな村で、それ程高い丘ではないが、その丘の上からは村全体が見渡す事が出来る。それ位の小さな村だ。生まれた時から一度も村を出ず、小さなコミュニティーの中で育った少女の瞳は、遥か遠く霞んだ景色のさらにその向こうを見つめるかのように、遠くを見つめている。

 しばらくその景色を見続けた後、徐に立ち上がり、その景色に別れを告げるように背中を向けると、自転車に歩み寄る。スタンドを起こし、自転車を押しながら歩き始める。

 少し歩いたところで、優しく吹く海からの風に呼ばれたかのように、また振り返り午後の、柔らかく暖かさを含んだ光に照らし出され、優しく輝く海を見つめる。

 そして、ふと遠くに流れる雲に眼が行き、その雲にどこか懐かしいものを見つけたような感情が押し寄せたのだろう、少し悲しみの様な、喜びの様な、それが入り混じったような表情を浮かべる。また、海からの風が少女の頬を撫でる。まるで、誰かに、そう、今一番触れてほしいと思う人に頬を触れられたような、そんな感覚を覚え、その頬に自分の手を添えるがその思いを打ち消す様に少し頭を振る。また少し丘から見える景色を眺め、そこから見える景色に別れを告げるように海に背を向け、自転車にまたがると、今度は一気に丘を駆け降りる。

 赤茶色の髪は風に流さる。行きなれた道なのだろう、少女はブレーキを掛ける事も無く、かなりのスピードで村までの道を一息に駆け降りる。

 村の周りには背の低い木製の柵が取り付けられ、東西南北にそれぞれ簡易的な木製の門が取り付けられているが、それは殆ど開きっぱなしになっている。

 その門を一気にくぐると、スピードを緩ませる事なく一気に村の中ほどにある自分の家の前まで走り抜け、そこでようやくスピードを緩めると、納屋に自転車を押し込み。家に駆け入る。扉を開け少し息を荒くする少女。

 慌てて家に駆けこんだ少女に優しく声を掛ける母親のリサ。

「お帰りなさい、ルーミス」

 母親は微笑みながらルーミスと呼んだ少女を見つめる。

「お母さん! 私、明日旅に出る!」

 ルーミスのその突然の言葉にリサは少し驚きながらも、優しく微笑んで答える。

「ルーミス、まだ儀式も何も終わってないのよ? だから明日出発するのはまだダメよ」

「でも、早く出ないと……」

「ルーミス、あなたの気持ちは解るけど……そんなに急いでもいい結果は出ないわよ?」

 ルーミスはどうしても旅に出たくて仕方なかった。そしてその気持ちをリサも十分に理解してはいる。だが、やはり旅立つ前の儀式というのは村の決まり事でもあり、長きに渡って伝えられてきた大事なものだ。だから、どうしてもそれを行わずに旅に出すことはリサには出来なかった。

「ルーミス、今から急に旅に出ても、支度も何も出来なくて旅の途中で困ってしまうわよ。だから、しっかりと準備をして旅に出なさい」

 そのリサの言葉にふてくされたような表情をしながらもルーミスは「はーい」と、返事をし、二階にある自分の部屋に戻る。

 階段を昇り、直ぐに有る自分の部屋の扉を開け部屋に入り、机の前の窓を開ける。窓を開けると海から流れてくる風が部屋の中を満たす。その風は少し潮気を含んでおり、潮の匂いは部屋の中に満たす。椅子に腰かけしばらく頬杖を付いてその景色を見ていたが、立ち上がりベットまで行くと仰向けに寝転がる。

 そして今、旅の途中であろうタリスの事を思い出す……


 少し強い海からの風に、桜の花びらが舞う。

『タリス、何で行っちゃうの? 旅になんか行かないでよ!』

 記憶の中のタリスにルーミスは話しかける。

『ルーミス……仕方ないだろ? これは村の決まり事なんだ』

 タリスはそうルーミスをなだめる。

『だったら私も一緒に行く!』

 タリスは少し困った顔で微笑み、ルーミスの頭を軽く撫でる。

『ルーミス、無理なことは解ってるだろ? ちゃんと一年経ったら帰ってくるよ。だからそれまで待っていてくれよ』

 まだ幼さの残るルーミスをタリスは宥める。それでも、ルーミスは引き下がる事無く、必死にタリスに語りかける。ルーミス眼は少し涙を含ませ潤ませる。その表情を見てタリスはルーミスに話しかける。

『必ず一年後には戻ってくる。約束するよ! だからそれまで待っていてくれよルー……』


「……ミス……ルーミス、ご飯よ。ルーミス」

 いつの間にか寝ていた事に気づき、リサの声で起こされたルーミスは機嫌が悪そうに答える。

「今行くー」

 窓を開け放して眠っていたのだろう。少し冷たい風が部屋の中を通り抜ける。身体を起こし、窓の方に歩み寄るルーミス。そこから見える家の前に植わっている桜は少しずつ蕾を膨らまし、薄らと綻ばせかけている。恐らく後少しすれば、春の訪れを知らせてくれるだろう。

 その頃にはルーミスの旅も始まる。だから、今は旅の準備をしよう。そして、タリスのいる所に追いつこう。

「あの方向音痴、今頃どこにいるんだろ……」

 少し冷たい風がルーミスの髪をくすぐる。ぶるっと、寒さに身体を震わせ、ルーミスは窓を閉めて部屋を出て食卓に向かう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る