第2話 都会の日常
「休憩ありがとうございました。」
「あれ、まだあと十分以上あるよ。もういいの?」
「あ、はい。えっと、後で店長にお話があるんですけど、
営業後に少しいいですか?」
「えっ、なにそんなにあらたまっちゃって。もしかして、、、
寿退社しますとか?」
「店長、私、彼氏がここ2年位いないの知ってるじゃないですか。
そういう話じゃないんで~。」
「だよね~。よかった~。んじゃ、営業後ね。」
そう言うと、店長はバックルームにお昼を食べに行った。
私の働くお店は『1010』と書いて『せんじゅ』と読む。まるで某百貨店のパクリのような名前である。美容室なのに微妙な感じだ。店長はちょっと変わっている人だ。何というか掴みどころがないのだ。でも、生まれも育ちも北千住の店長の地元愛は感じる。
スタッフは、私を含めて4人の小さな美容室だ。席も4席だけだが4人でなんとかお店を回している。ほとんどが店長のお客さんで、地元の友人やら親戚、ご近所さんだ。店長は、33歳の時にこのお店を開いた。早、13年なんとか大型店にも負けずにやっている。店長の人柄のお蔭だろうなと良く思うことがある。前にも言ったように掴みどころがない人なのだが、人の話はよく覚えていて久しぶりのお客さんの事もちゃんと覚えている。
それに、一度顔を見たら忘れないという特技がある。しかも、名前もちゃんと覚えているのだ。この人の頭のHDDはどうなっているのだろうと度々感心する。
今は、月曜日のお昼。なかなか暇である。はっきり言ってお客さんはゼロだ。
今日はスタイリストの店長と私と有希ちゃんの三人が出勤。高卒のアシスタントの孝一君はお休みだ。
さっきまで、フロアの鏡を磨いていた有希ちゃんが歌い始めた。
「ちいさいころは かみさまがいて~
ふしぎにゆめを かなえてくれた~
やさしいきもちで めざめたあさは~
おとなになっても きせきがおこるよ~♪」
有希ちゃんは、お店にお客さんがいなくなると鏡を磨いていつもこの歌を歌う。
それを、受付の椅子に座って眺める。
荒井由実の『やさしさに包まれたなら』だ。ジブリを見て育った私たち世代でこの歌を知らない子はいないだろう。
私も、いつもは箒にまたがってキキの真似をするのだが、今日はそんな気分にはなれなかった。有希ちゃんはちらちらとこちらを見ていつものを待っているのだが、なかなかのってこない私に、
「キキ~!ほら、箒に乗ってよ~!」
と、近づいてきた。
「今日はそんな気分じゃないんだよ。」
「どうしたの?ノリが悪いなあ~」
「実は、さっきの休憩中にお母さんから電話があってね、」
「うん」
「父さんが、癌で手術するから一度帰って来いって。」
「うん。店長には言った?」
「まだ。営業後言おうと思って。」
「そっか。うちらの事は気にしないで休んでいいからね。」
「うん。ありがとう。でも、」
なんか、有希ちゃんの優しさに涙が出てきて言葉に詰まった。
「うちらももう10年の付き合いなんだから、遠慮しないでよ。
いっつも美味しイカ送ってくれるおじさんと、おばさんにお礼伝えといてね。」
「うん。うっ、わがっだ。ありがとぅ。有希ちゃん」
涙が止まらなくってきた。有希ちゃんの優しさと、父さんのショックのせいだ。
有希ちゃんは同期で、同じ青森県出身。私は八戸市だけど、彼女は青森市だ。
お互い慣れない環境で、ライバルだけど助け合ってここまで続けてきた親友だ。
辛い練習も有希ちゃんがいたから耐えられたと思う。
もともと、美容師になるのは口実で実家から離れたくてこの仕事を選んだ。
べつに何でもよかったわけじゃないけど、寮があって東京ってだけで選んだこの仕事が10年続いたのは有希ちゃんの存在があったからだ。
でも、有希ちゃんほ本当に美容師になりたくてこの仕事を選んだ。だから、私より、倍も練習したし、勉強もしてた。今となっては店長の右腕。ナンバー2だ。
涙が止まらなくて、声を抑えて肩を震わせ泣いているとお客さんが入ってきた。
「いらっしゃいませー。田中さん。今日はカットですか?」
有希ちゃんが接客してくれた。私は、急いで化粧を直しにバックルームに戻った。
ちらっと鏡に映った私の顔は、マスカラとアイライナーがにじんでパンダみたいになっていた。
バックルームに入ると、店長は一服していた。
「店長、田中さん見えました。」
私は、ひどい顔だったので俯いて店長に言った。
「あいよー」
店長は、煙草の火を消し歯を磨いて、
その間私は、鼻をぶーぶーかみながらまだ涙が止まらなくてヒックヒックしていた。
「落ち着いたらでいいからな。」
店長はそう言って何も聞かずにフロアに戻っていった。
しばらくは、涙が止まらなかった。
この涙は、父親の癌というショックな出来事以外にも理由があった。
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