邂敵

 キーコ キーコ キーコ……


 すっかり日が落ちた。

 春先になってもまだ深々と冷え込む夜の聖ヶ丘公園。

 シーソーや滑り台や回転式ジャングルジムの配された児童遊園の真ん中で一人、ブランコの座面に腰かけてショートレイヤーの黒髪を揺らした少女が、所在無さげに遊具を前後させている。

 シーナの依頼で「囮」をつとめる、メイの姿だ。


「ふくくく……ええで。人気のない夜の公園に、いたいけなJCが独り。襲ってくれと言わんばかりのシチュエーションやんか……」

 メイの様子を見ながらそう言ってほくそ笑んでいるのは、公園のトイレの物陰に身を隠した燃え立つ紅髪のシーナだ。


「おいシーナ、本当に大丈夫なんだろうな……?」

 その傍らで心配そうにメイの様子を窺うシュンが、シーナに小声で念を押す。


「大丈夫やって、『敵』が寄ってきたら、ウチは匂いでわかるからな。今のところ、メイくん以外の匂いは匂わんし……」

 そう言って周囲の空気をクンクン嗅ぎまわるシーナに、


「で、寄ってきたらどうすんだよ?」

 疑わしい目でシーナを見ながらそう訊くシュンに、


「ふふ、その時はな、こいつの出番やで……」

 シーナが自信たっぷりな様子で、右脇に抱えたヒョウ柄のバッグから何かを取り出した。


「なんだよ、それ?」

 首を傾げるシュン。


「ふふ、ウチのな、マブダチや!」

 シーナは黒い布の被さった30センチくらいの筒状のそれを撫でて、訳の解らない事を答える。


「それよりシーナ、一つ気になるんだがな……」

 シュンが眉を寄せてシーナに続ける。


「なんやね、彼氏くん?」

 鷹揚にシーナがそう答えた、その時だった。


「ぐへへへ。お嬢さん、こんなところで、何してるの?」

 ブランコのメイに近寄って来る影がある。一人の男だった。


「あ、え、いえ、その……」

 困った顔で男にそう答える。


「ぐへへへ。こんなところで一人でいると危ないよ? お兄さんが送ってあげるよ……」

 ヨレヨレのスーツに身を包んだ三十半ばに見えるその男が、ニヤニヤ笑いながらメイに近寄って来る。


「あ、い、いえ、結構です」

 咄嗟にブランコから降りて、男から距離をとるメイ。


「ほら見ろ! 化け物より先に、普通に変質者が寄って来ただろがっっっ!!!」

 トイレの影でシーナに怒りの声を上げるシュンと、


「しまったぁ! 盲点やー!」

 頭を抱えるシーナ。


「もういい! 作戦中止! メイのところに行くぞ!」

 そう言って、シュンがトイレの物陰から飛び出そうとした、その時だった。


「おい、そんなところで、何してるんだ」

 パッ。男とメイを照らす懐中電灯の明かり。

 男とメイに話しかけて来たのは、公園の見回っていたのだろうか、二人の若い警察官だった。


「二人は、お知合いですか?」

 男にそう訊く警官に、


「ち、違います、この人がいきなり話しかけてきて!」

 メイが必死に警官に訴える。


「なるほど……ちょっとあなた、車のところで話を聞かせてもらえますか?」

 警官が、険しい顔で男を見て言う。


「あーあ、いいとこだったのに。お嬢さん、またね」

 男は訳の解らないことを言ってニヤニヤ笑いながら、警官の一人に連れられて行った。


「君も、一体こんな時間に何をしているんだ? 住所は? 電話番号は? ちょっとそこの交番で、話を聞かせてもらうよ」

 残ったもう一人の警官が、厳しい口調でメイを問いただす。


「あ、え、で、でも私……」

 突然の事態にキョドキョドのメイ。


「うおわ! どーすんだよ! メイが補導されちまったじゃねーか!」

 シュンがシーナに拳を振り上げる。


「あーうーあー!」

 想定外の事態に、変な呻きを漏らすしかないシーナだったが、


「ん?」

 くんくんくん……

 シーナの鼻が、再びあたりの空気を嗅いだ。


「彼氏くん、今頃、来たで!」

 シーナが静かにそう言って、スッと物陰から立ち上がった。


  #


 ザッ ザッ ザッ


「え?」

 メイは異変に気付いた。


「なんだ?」

 警官もまた不審な顔。

 公園の闇に紛れて、土を蹴り、落ち葉を蹴り、二人に駆け寄って来る黒い影があったのだ。


「何か来る、止まりなさい!」

 慌てた警官が警棒を構えてそう叫ぶが、


 すでに遅かった。


 ザッ!


 二人に駆け寄った黒い影が、凄いスピードで跳躍すると……


 ズン。警官の鳩尾に、そのまま激突した!

 

「ううお……!」

 堪らず突き飛ばされて倒れた警官の後頭部が、ゴチン!

 ブランコの鉄柵に激突。


「うーん……」

 警官は目を回して、その場に昏倒した。


「ひ……ひ……!」

 突如の怪事に固まって声を詰まらすメイ。

 警官を倒した毛むくじゃらの大きな犬のような黒い影が、今度はメイの方を向いた。


「シュンくん! シーナちゃん! 早く来て!」

 ようやく我に返って、そう叫ぶメイに、


「おお、そのお声、そのお貌、そして身に纏われたその『魔気』……」

 黒い獣がしわがれ声で、メイにそう話しかけて来た。


「しゃ、喋った……」

 再び恐怖に固まるメイに、

 

「間違いない。あなたこそが、我らが魔王シュライエ様の人間界に遺された姫君。我らの……『吹雪の国』の女王となる御方!」

 獣は感極まったようにそう言うと、メイの元にむかって、すごい速さで駆け寄って来た!


「い、いや!」

 メイが悲鳴を上げた、まさにその時、

 

 ボオオオオ……!


 突如、夜の闇を炎の光が照らした。

 獣の足元に、真っ赤な火柱が上がった。


「うおわ! なんじゃ!」

 毛むくじゃらの獣が、驚きの声を上げる。

 炎が獣の体毛に引火して、瞬く間に火ダルマにしていく。


「メイ! 平気か!?」

 メイに駆け寄るシュン。


「シュン君!」

 シュンにすがるメイ。


「へっへー。どうやメイくん、彼氏くん。これが、ウチの実力や!」

 そう言って得意げに笑うのは、燃え立つ紅髪のシーナ。

 彼女が右手に構えているのは、炎に照らされて赤々と輝い一尺ほどの銀色の錫杖。

 そして、左手に携えているのは、先程ヒョウ柄のカバンから取り出していた、黒い包みの中身。

 灯油式の、古びた、ランプだった。


「もうええで、メララちゃん。戻って休みや!」

 シーナが炎に包まれた獣の方に向かってそう声をかけると、


「わかったっす! あねさん!」

 なんと、獣の身体からドスの利いた少女の声が聞こえると、


 ボオオオオオオオ……


 獣の身体を燃やしていた炎が公園の空中に立ち昇ると、みるみる内に、シーナの構えたランプの中に、吸い込まれていく。


「す、すげー! あいつ、口だけの電波じゃなかったんだ!」

「すごい!」

 シュンとメイも、シーナの技に驚きの声を上げる。


「みたか、比良坂流放魔術ひらさかりゅうほうまじゅつ、バニシング・バーニング・バーストホノオ! これがウチの術。ウチの必殺技や!」

 夜の公園に、シーナの勝鬨が響いた。


「ふん。こっち来る時はさんざん脅かされたけど、結局『コレ』の封印解くまでもなかったな……」

 シーナは、背中に背負ったボロ布に撒かれた長い棒に目を遣って、拍子抜けした顔でそう呟いた。


「結局、こいつは、一体何だったんだ?」

 シュンは獣の死骸を見下ろして、不思議そうにメイに尋ねる。


「わからない、でも、何だか変な事を言っていた。魔王とか、私が姫だとか、どこかの国の話とかを……」

 メイもまた震えながら首を傾げた。


 だが、その時だった。

 モゾリ。黒焦げになった謎の獣の身体がモゾモゾ動くと、


「あ熱つつつつ………貴重な魔毛を集めて作ったわしの礼服が、わしの一張羅が……」

 しわがれ声でブツクサ言う声が獣の内から聞こえて、


 ゴソリ。黒焦げになった毛皮の中から、何かが立ち上がった。


「この娘っこが、一体何してくれるんじゃー!」

 獣の中からあらわれて、両前足・・を振り上げてシーナにそう抗議してきたのは……


 子犬くらいの、二本の後脚で立った、小さな、タヌキだった。


「タヌキが……立った!」

「タヌキが……喋った!」

 再び愕然とするシュンとメイ。


「タヌキではありませぬぞ姫様、わしはヤギョウにございます!」

 タヌキがメイを向いてそう抗議した。


「な……! 仕留めてなかったか!」

 タヌキに気づいたシーナの顔も、再び厳しくなった。


「さっきはハッタリ利かせよって。でも、油断は禁物。お前はウチの仲間を散々食い散らかしてくれた仇やしな! 今度はウチがお前を焼きタヌキにしたる!」

 シーナが再び錫杖とランプを構える。ボオオオ。ランプの内の明かりが赤い輝きを増していく。


「『仲間』? 『食い散らかす』? 一体、何の話じゃ?」

 タヌキが不思議そうに首を傾げる。


「ぐぐぐ……すっとぼけよって! 問答無用!」

 シーナが怒りの声を上げた、その時だった。


 ターン! ターン!


 公園の側道の方から、乾いた音が二回、聞こえた。


 銃声だった。


「あれの音は!」

 シュンは不安そうに音の方を振り向く。

 次いで、


「ぎゃあああああああああああ!」

 シュンが生まれてこの方聞いたことも無い、この世のものとは思えない悲鳴が辺りに響いた。


「うぅっ! なんや、この匂い! 強い……酷い・・!」

 シーナが突如、口を押えて呻いた。


「なんじゃこの異様な『魔気』は……!」

 タヌキもまた驚きの声を上げて、不安げに辺りを見回した。

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