異形の戦い

「おい、どうしたんだよ? シーナ!」

 突然自分の口を押えて、只ならぬ様子で呻き始めたシーナに、シュンは慌ててそう声をかけた。


「近づいてくる……そこのタヌキなんかよりも、もっと強くて……エゲツないのが!」

 シーナは紅髪を震わせてゼイゼイと肩で息をしながら、シュンに答える。

 まるで強さを増していく耐え難い悪臭に、必死で嘔吐を堪えているような様子だった


「シーナ……」

 シュンは不安になって来た。

 さっきまでのシーナとは大違いだった。

 彼女の顔からすっかり余裕の表情が消えていた。


「馬鹿な!? これだけ強い『魔気』がなぜに突然? なぜ今まで気づかなかった?」

 さっき『ヤギョウ』と名乗った獣、直立歩行するタヌキもまた、狼狽した様子で辺りを見回している。


「二人とも、どうしちゃったのよ!?」

 切羽詰まった様子のシーナとタヌキを交互に見回し、メイもまた不安の声を上げる。


 ターン!


 再び、銃声が木霊した。

 今度は、さっきよりも近い。

 

「君たち! 逃げろ! 君たち! 逃げろ!」

 必死の形相でそう叫びながら、シュンたちの方に駆けて来る人影があった。


「あ……! おまわりさん!?」

 メイは息を飲む。

 さっきメイに話しかけてきた男を連れて行った、若い警官の一人だったのだ。

 警官の様子は尋常ではなかった。警帽はどこかに落としてきたのだろうか。剥き出しになった頭は怪我したのか、赤い血がタラタラと額を伝っている。

 制服は正面から引き裂かれていた。刃物のようなもので切り付けられたのだろうか。裂かれた傷口の辺りもこれまた青黒く血に濡れていた。


 ザッ ザッ ザッ


 その警官の背後の闇から、さらに、何かが近づいてきた。


「ひっ」

 警官の顔が、恐怖に歪んだ。


「あーあ。一回その『ニューナンブ』ってやつと遊んでみたかったんだけどなぁ……」

 背後の影が嘲るような様子で、警官にそう言った。


「早く……逃げろ! 君たち!」

 警官はシュンたちに再びそう叫ぶと、何かを決めた・・・表情で歩みを止め、背後の影に向き直った。

 そして自身の拳銃を両手で構えて、影に向かって照準を定める。


「全然大したことないでやんの……これなら『あいつら』の使ってた変な札や手裏剣の方がよっぽどマシだぜ……もういいわ、飽きた」

 影は動じる様子もなく、ゆっくりと警官に近づいてくる。

 

「くっ!」

 警官が影を睨んで、


 ターン! ターン!


 再び銃声。弾丸が闇の中の影を貫いた、かに思えたその時、


 ザシュ


 異様な音が闇を伝って、


 ず……ず……ずず……


 銃を構えた警官の上半身が、おかしな角度で、腰のあたりからズレて・・・ゆき、そのままゴロリと地面に転がった。


「うおわあああああああ!」

 シュンは、我知らず絶叫していた。


「いやああああああああ!」

 メイもまた悲鳴を上げた。


「ぐ……ぐ……! あいつか……やっぱりあいつがウチの仲間を……」

 シーナは震えながら、金色の瞳を見開く。

 一体どんな凶器を使ったのか、警官の身体を瞬く間に二つに切断した、闇の向こうの影を睨みつける。


「間違いない。やはり我らの『敵』……!? だが何故じゃ、なぜヒトの世に在って、これだけの力を……!?」

 ヤギョウと名乗ったタヌキもまた、驚きの声を上げる。


 ザッ ザッ


 影が、シュンたちの方に近づいてきた。

 チカチカ瞬く外灯の冷たい光が、影を照らした。


「あ、あいつ……!」

「あの人は……!」

 シュンとメイが愕然。


「何を驚いてるんだ? さっき『またね』って言っただろ? お嬢さん……」

 姿を現したのは、男だった。

 一人公園にいたメイに話しかけ、警官に見咎められて職務質問に連れて行かれた、あの男。

 ヨレヨレのスーツを纏った三十半ばの見た目。だがその半身は、先ほどメイが出会った時とは、遥かにかけ離れた奇怪なものだった。

 右肩から腕部にかけてが、異様に膨れ上がっている。ワイシャツとスーツを引き裂いて露出した男の腕は、ゴワゴワとした黒い毛に覆われている。

 手の形も異様だった。図太くこれまた黒い毛におおわれた五本の指の先から生えているのは、長さは30センチを超えていそうな、鋭い、刃物のような黒光りする『鉤爪』だった。

 ポタリ、ポタリ、その湾曲した鉤爪からは、赤い血と、引き千切られた内臓のようなものが地面にしたたり落ちている。


「あいつで……おまわりを……!」

 シュンは恐怖と混乱で目の前の出来事が、何か遠い世界で起きている絵空事みたいに思えて来た。

 警官の身体を瞬く間に両断したのは、あの男の長い鉤爪だったのだ。


 目の前で見る人の死。

 異様な風体の殺人者。

 バケモノ……!


「メイくん、彼氏くん、さがっとき!」

「あ……!」

 シーナの言葉で、シュンは我に返った。

 しっかりしないと。メイを守って、無事にこの場所を切り抜けないと……!

 だが……シュンは歯噛みする、今はこいつに、シーナに頼るしかないのか?

 

 タッ


 そのシーナが、シュンとメイを背後にして男の前に立った。


「こいつはウチが片付ける! ウチのターゲット! 仲間の仇や!」

 燃え立つ炎のような紅髪を夜風に靡かせて、異様な右腕の男を指差し敢然とそう叫ぶシーナに、


「『仲間』?」

 男は少し不思議そうに首を傾げると、


「ああ、お前もあの妙な連中の一人か」

 そう言って、ニタリと嗤った。


「まったく、『力』を手に入れた途端に、妙な連中が変な武器で突っかかって来るから、参っちまうぜ。ま、全員喰っちまったけどな」

 ニタニタ嗤いながら、舐めきった様子でシーナを挑発する異腕の男。


「『力』……? 『手に入れた』……? まさか、こいつ!?」

 男の言葉を聞いて何かに気づいたのか、二足歩行のタヌキが愕然とした表情で異腕に目を遣る。


「絶っっっっっ対に許さん!」

 シーナは怒りに燃える眼で男を睨んで、


「いくで、メララちゃん、バースト!」

 左手に構えたランプを向いてそう合図をすると、


「わかったっす! シーナのあねさん!」

 ランプから少女の声が響いて、


 ボオオオオオオオオ……


 古びた灯油式のランプから、再び真っ赤な炎が噴き上がった。

 

「あの炎は……あの力は……やはり火の精サラマンドル……!」

 タヌキが再び驚きの声を上げる。


「だが何故じゃ? 魔の者の中でも、最も儚く移ろいやすい火の精が、何故あれだけの力を保って一つ所に留まっていられる? しかも人間と一緒に!?」

 納得いかない様子でしきりに首を傾げるタヌキに、


「へへっ! いい質問やなタヌキ!」

 シーナは得意げにニヘッと笑って、ランプに目を遣り、


「快適な居住空間と、エネルギー変換効率に優れた上質な燃料の適時供給。そして良心的な労使契約。ポイントはいろいろあるけどな……」

 タヌキむかってそう答えると、


「一番の理由、それはウチらがダチ・・だからや!」

 右手に持った銀色の錫杖を振って高らかにそう叫んだ。


「行け! メララちゃん、バニシング・バーニング・トルネードアラシ!」

 空中からシーナの号令に応えたランプの炎が、シーナの銀色の錫杖の先端に集まっていくと、


 ビョオオオオオ……


 錫杖の一振りと共に、空中で真っ赤にうねった炎の渦を形成すると、異腕の男に向かって突進して行く!


「なるほど、『同じ力』を使役する者か……『あの女』の言った通りだ……」

 眼前に迫る業火の渦を前に、男はボソッとそう呟く。


「だが……」

 男は不敵に嗤うと、

 異様な右手を頭上に構えた男は、目にも止まらぬ速さで異様な爪先を振りおろした。


 ビュン!


 男の斬撃で生じた疾風が炎の渦を縦に裂き、


 ビュン!


 横に裂き、炎を空中に四散させた!


「ううあ!」

 男の斬撃の生んだ旋風が、火の粉を孕んだ熱風になってシーナの全身を叩く。


「どうだ。俺の爪は空をも裂く! そんな火遊びで俺は焼けんぞ!」

 夜の公園に渡った男の高笑い。


「くう! やっぱり正面からじゃだめか! でも!」

 シーナの金色の瞳からは闘志は消えていなかった。


「まだまだや! メララちゃん、バニシング・バーニング・ホーミング追尾ツイビ!」

「わかったっすあねさん!」


 ヒュン……ヒュン…ヒュン…ヒュン……


 空中に四散したシーナの炎が、パチンコ玉くらいの小さな何百もの火球に変じて、異腕の男を包囲した。

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