汐風の流れる坂道で

鶴丸ハト

第1話 最後の夏と最初の春

まこと!3年間舐めてきた苦い記憶、あいつにたっぷり味合わせてやれ!」

 顧問が監督席から俺に向かって激励の言葉を飛ばした。

 今立っている畳の上は、冷房の効いた館内とは無関係に独特な熱気を放っている。今まで磨いてきた己の技を互いに出しあって、鎬を削ってきた者達の無念や費やした時間を感じるのはきっと俺に託された思いなのではないか。

 主審と副審が試合場の真ん中で挨拶をして持ち場に移動すると、いよいよもって俺の中の緊張はピークを迎える。

 場外から一礼をして中央の待機線まで移動し、主審の合図を待つ。当たり前だが、目の前の相手も自分と同じように張り詰めた緊張に包まれている。そして自信に溢れている。

 負けていられない。ぶん投げるのはこっちだ!

 相手はいつも全国への切符を前に現れて、いつも俺を叩き潰した。去年と一昨年の春と夏と、必ず俺を叩き潰したのだ。

 コレが中学最後の試合。いや、ここで勝ち上がるのだからそれは違う。最初の勝利にするのだ。

 「始め!」

 互いに高め合った集中の臨界点。試合の始まりを告げる合図。

 その言葉がかかると同時に、俺は意識を手放したのだろうか……。




俺が意識を取り戻したのは救急車の中だった。

 試合には夢中で、それ以上に酷い怪我をしたらしい。

 この時は何故か鮮明に覚えていて、意識がある以外に痛みやそういったものは全く無かった。移動中に診察台から落ちないよう括りつけられたバンドの窮屈さも感じなかった。

 怪我の具合も気になったが、あの時はそれ以上に勝敗が気になっていた。あの柔道の試合の結果だ。

 なんでも5分ある試合では決まらずに延長戦、所謂ゴールデンタイムまで縺れ込んだ試合は、俺が一本を決めて勝ち星を決めたらしい。

 ただ、勝ち星の決め方がいけなかった。

 ガチガチに固まって組んでいた相手を無理やり引っこ抜いて投げたことが原因で、左腕の関節が意図せずして極まっていたようだ。そのまま相手を投げた衝撃で、肘と肩の関節を砕いてしまったとのことだ。

 俺は勝ちが決まった瞬間に倒れ込み、救急車の中となったのだった。

 勝ったには勝った。だが、このような身体で全国の舞台へ立つことなんて到底出来ないのだ。そのまま、俺は中学の最後の夏を選手としても終えたのだ。

 それからは自分の中でポッカリ穴が空いた様になっていた。

 アレだけ励んだ立技、寝技も、選手生命を断たれてしまったのだから意味は失くなったのだ。それが怖くて仕方がなく、何か一生残せるものを探して探して、結果勉強に励んで学歴を身につけることだと思い立った。

 思い立つ頃には学年トップの成績を叩き出して高校試験に挑み、地元では一番偏差値の高い名門高校へ進学していた。

 両親も我武者羅に机に齧りつく俺を見て、高校の授業料には糸目を付けないことにして、入学した私立の名古木ながぬき学園への入学を許してくれたらしい。

 そして、あっという間に卒業して入学して、今に至るのだ。

 今こうして客観的に自分を省みてみると、熱血漢で直情的だったんだと感じる。いや、むしろ馬鹿なんだろう。

 これまで必死こいて勉強していた時に感じなかったことが今はよ~く感じられる。

 まず、手術をした左の肘と肩がかなり痛む。普通の生活を送っている分には全く感じないが、例えば布団から起き上がる時だ。左腕で起こそうとすると激痛が走る。満員電車でキツく押されても痛い。

 そして何よりも、物事に対する関心が薄らいでいる。

 燃え尽き症候群とかそういったものなんだと自分の中で完結させているが、それ以上に別に知ろうとも考えない。中学の友人からは付き合いが悪いしノリも悪くなったと言われているが、自分は至って普通に接していたと考えている。

 よくよく考えてみると、今までの俺はこうして自分を客観視できる人間ではなかったのだと感じる時点で、冷めた人間に変わったのだと理解できるのだ。

 中二病でも高二病でもなんでもないのだが、そういった自分が物凄くひもじく感じるのだ。このままではいけないと感じるのだ。しかし、そう思う心と冷め切った心とが表裏一体となって結局動けない腰抜けなのだ。

 きっとこうして腰抜けでいる間に、物事に打ち込んで積み重ねた時間と経験が無駄な物へとなってしまうのだ。

 こうして入学してからの一週間を、寡黙を装って浪費していくのだった。

 青に桜色がはらりと舞う空模様とは裏腹に、俺の心はどこまでも薄暗く灰色に淀んでいるのであった。

 

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