『著作者人格権の不行使』※書き手バージョン。

 そもそも、「著作者人格権」とはなんぞや?というところからスタートする人が多いのでは無いだろうか。著作者人格権というのは、作品の内容に対する著作者の権利であり、当然保証されている。譲渡もできない。著作物の財産権、いわゆる「著作権」も等しく、譲渡することは不可能である。


 さらに、そもそもだが。「自分が書いた作品の権利を、放棄するようなバカがいるか?」と思っている著者も多いと察する。


 この辺りは、創作以外で、企業広告などを制作している商業ライターと、創作ライターの間で大きく認識が変わってくる。例えば「企業広告」として納品した文章に対して、お金を払っているクライアント企業が「このイメージに変えたい」となった時。「ここのコピーを変えていいですか?」と著作人格権を持つ制作者に“確認する”なんてことをしていたら、仕事が進まない。制作者だって、ワザワザ聞かれても困惑するだけだし。


 だから、基本的に「納品後は、好きにしてくださいね」という契約書を事前に交わす。むしろ、ダラダラ縛られると「手離れが悪い」と、敬遠されるのだ。商業ライターの場合、1本あたり1000文字であれば、だいたい取材込みで2万円以上だが、無駄な拘束時間が増えたところでギャラは変わらないので、むしろ「あとはお願い」となるケースがお互いにウィンウィンだ。


 逆に創作系であれば、魂を込めて書いた作品であるにも関わらず、一切口出しする権利をあれこれ言えなくなるというのは、解せないだろう。「著作者人格権の不行使」ってことは、自分が創ったキャラクターが勝手に使われる可能性だけじゃなく、内容そのものを改変されたり、世界観を壊されたり。さらには、自分の創作物を自分自身で使うことができなくなることにも“同意した”と見なされからだ。


 だから「著作者人格権の不行使は“自分が生み出した子どもを放棄するに親しい行為だ”」と、憤る。


 ただし、“出版し、宣伝します”という段になると、大人の思惑が絡んでくることもわかる。そこはメリットデメリットのさじ加減をクリエイター側がコントロールするしかないし、マネジメントしたりするようなビジネス領域だ。もし、苦手なら専門のプロダクションなりに任せればいい


 ──書き手にとっての、正義。それはただただ、「自分の世界観で面白いモノを書くこと」でしかない。書き手の権利が制限される。「著作人格権の不行使」の条項なんていうのは、無用の長物である。


 そう、それでいいのだ。

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