第17話 殺すことにします

 あの塔の最上階で、夕日を見たときに、アキに対して抱いた名前の知らない感情。それが、愛おしいという感情だと、塔からの帰り道でオレは気づいた。気づいてしまうと、その感情は無視できないほど大きくなり、他の感情を押しつぶす。


 それからの10日は、アキをとてつもなく意識してしまった。朝オレを起こしにくれば必要以上に慌てて起床し、朝食を食べるとなれば、顔を合わせているのが小っ恥ずかしくて急いで口の中に掻きこむ。散歩するときにアキに手を引かれれば動揺し、手を離されると残念に思う自分がいる。読書をしているとき、アキに読んでいる本の感想を尋ねられると、アキに感心してほしくて自分とはまったく違った感想を抱いている書評家によるあとがきを引用したりした。寝るときはアキを思って眠りについた。






 そして、アキと過ごす最後の日の晩オレはアキに思いを告げた。


「オレはお前が好きだ、アキ。お前といればこの退屈な町も退屈じゃなくなる」


 オレの言葉を、アキは困ったような笑顔を浮かべながらただ聞いていた。しばらく沈黙がオレの部屋を支配する。その空気に耐えられなくなって、オレは続ける。


「お前が俺を受け入れてくれないなら、明日からまた退屈な毎日に戻るなら、俺はシキの家に行って死を選ぶ」

「なんだよ、イギー。アンタそんな重苦しい奴じゃなかったじゃない」

「たしかにな。きっとお前との生活が俺を変えたんだな」


 アキは俯いて、なにかを考えている。そして、なにかを決意したかのように顔を上げ、ゆっくりと、しかし力強く、その口を開いた。


「イギー。アタシはアナタのことが好きだよ?でもその好きは、ハルとかシキとかナツに抱く好きであって、フユに抱く好きじゃない。だからごめん。アタシはアナタとはいられない。アナタがアタシといたいって思ってくれているように、アタシはフユといたいから」


 俺の表情がこわばる。笑って受け入れなければいけないとわかってはいても、どうしても笑顔を作ることが出来ない。大人気なく怒鳴って、縋り付きたいという感情を、理性で必死に押さえつける。


 退屈で死のうとしてたこの前までのオレ、お前弱すぎるよ。この世界にはもっと痛くて苦しくて切ない感情があるんだぜ。


「そうか、わかった。じゃあ明日オレとシキの家に行ってくれるか?そこでお別れだ」

「……うん」







 翌朝は最悪の目覚めだった。ここ一ヶ月毎朝起こしにきていたアキが来なかったことによって、眠りによって整理された前日の記憶が実感を伴う。


 アキは1階のキッチンにいた。テーブルの上には1人分の朝食が並んでいる。今、食器を洗っているということは、アキはすでに食べ終えていたのだろう。


「おはよ!」


 アキがいつもと変わらない様子であることに少し苛立つ。オレは苦しんでいるのに、アキは普段と一緒ってのはなんだか理不尽だ。

 オレは無言で席に着き朝食を口に運ぶ。洗い物を終えたアキは対面の席に着き、そんなオレを黙ってみている。


「いつ頃ハルのところに行く?一ヶ月ぶりに会うからアタシ少し楽しみ!」

「……ハルに会うのがか?」

「え?そうだよ?」

「ちげえだろ!お前が会いたいのはフユだろ!」

「……ごめん」


 それだけ言うとアキは黙ってしまった。オレは自分に嫌気がさす。アキがオレとの仲が気まずくならないように普段通り接してくれているのはわかっている。それなのに当たってしまうオレって、かなりダセえ。







 アキと歩く”シキの家”への道は、行き帰りの差だけではなく30日前と違ってみえる。あの日は夜だったし、あっちこっち見ているアキを見ていてもただ退屈だった。家々の違いに気づいても、退屈以上の感情は伴わなかった。

 今はアキがなにかを見つけるのを眺めていると悲しみを覚える。アキは、もう二度とオレとトンボを見つけることはない。オレはトンボを見つけて笑うアキを見ることは出来ない。来年の秋茜が飛ぶ季節にアキの隣にいるのは、オレじゃなくてきっとフユだ。

 一ヶ月前ただ退屈だから死にたかったオレは、一ヵ月後ただ悲しくて死ぬ。陳腐でありきたりな理由で自殺するなんてロックじゃないな、と人事のように思った。



 ”シキの家”につくと、ハルが俺を出迎えた。フユとシキの姿はみえない。


「お帰りなさいアキさん、いらっしゃいイギーさん。2人ともお久しぶりです」

「ただいま!ハル!」


 本当はアキはフユのことを聞きたい筈だ。それでもオレがいるからフユの名を出さない。


「それで?イギーさんは今も死にたいですか?」

「ああ、とても死にたい」

「アキさんはこの一ヶ月イギーさんといてどう思いました?」


 アキは黙って俺を見る。俺の顔に答えが書かれているかのようにじっと見つめる。


「アタシは……、アタシはイギーは死にたくないと思う。まだ生きたいと思う」


 オレはその言葉で体の中が熱くなるのを感じた。これは怒りだ。


「ふざけんな!オレを受け入れなかった癖に、お前がオレの死に方を決めるな!」


 オレの言葉に泣きそうになりながらも、アキは自分の言葉を撤回しなかった。

 睨み合っているオレとアキを見て、ハルはため息をつく。そして口を開いた。




「イギーさん、あなたは僕が殺すことにします」

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