N.O.U.V.T
5.1 Deadlock -> Debug | Clear.
エズラの手は、ぐっしょりとしている。
今まで彼と手をつないだ時に、こんな事はなかったと記憶しているから、ノーヴはよほど『どうして、そうなってしまうの?』と聞きたい気持ちに心を鷲掴みにされたのだが、今はどうやらそういう事を聞く場面ではないらしい。鉄のゴツゴツと、エズラが睨み合っている。この雰囲気は多分、”緊張感”というものだろう。
やがて、鉄のゴツゴツは、
「こんなものを隠していたか」
と、男の声で言いながら、銀の水が入った容器に向かって、ギシギシと妙な音を立てて、近づく。なぜだか、ノーヴはこの先悪い事が起こるんじゃないかと思い、突然変な気持ちになって、彼にすがるつもりで、びっしょりとした手を目一杯握った。
すると、エズラはゴツゴツの方に体を向けつつ、
「僕はどうなってもいいけど、ノーヴはここから出してあげて欲しい」
などと言うものだから、一体何の話をしているのか、全く解釈が追い付かなくて、ノーヴは頭の中を滅茶苦茶に丸められてしてしまった。世界はやっぱり、不思議な事ばかりなのだ。
そこから、時間の流れは速かった。
銀色のゴツゴツに身を包んだ、多分男が、エズラとすれ違いざま、彼に何かをした。何をしたのかはわからなかったが、それからすぐに、ノーヴの腹部に酷熱が生まれた。そしてゴツゴツは、銀の水の入った容器に向かって前進する。熱いお腹を押さえている内に、男は、ノーヴの視界から消えた。
「ぐっ……ぅ――!」
エズラが唸りだした。先ず、どうしたのか彼に聞こうと思って、声を出そうとしたのだけれど、上手くいかない。熱いお腹が気になって、仕方がないのだ。だからノーヴは、自分の腹部にどうして熱が発生したのかを確認する事にした。頭を下に向けて。
ノーヴは、見た。
自分の体に、金属が刺さっている。平べったくて、けれど芯には少しだけ厚みがある、長い金属。その隙間から、銀色の液体が垂れる様を見て、あの時と同じだと、ノーヴは思う。
でも、きっと大丈夫だと、ノーヴにはわかっている。正常ではないけれど、問題ない。また”ノヴァ”にどうすれば良いか尋ねれば良いのだから。問題は、エズラの体にも同じ鉄が刺さっている事。彼は人であって、自分とは違う。だからきっと、ノヴァに”直”して貰えない。
それにしても、死とはやっぱり、無慈悲な概念である。ノーヴはそれを見た事があるから、ちゃんと知っている。エズラは唸り声を途切れさせたかと思えば、ノーヴから離れる方向に、倒れ込んだ。彼に刺さっていた鉄は、彼に引っ張られるようにして前に行ってしまう。彼と同じものが突き刺さっていたノーヴからも、勢い良く抜けたので、思いのほか強い反動によって、彼女は後ろに尻もちをついてしまった。
ノーヴは、腹部で蠢く灼熱を出来る限り無視して、エズラの状態を確認する為に、よろよろと這いずって、彼に寄る。エズラは苦しそうに蠢いている。でも、徐々に死に対する抵抗力が失われてゆくのか、彼の四肢をコントロールしている力は極めて弱々しい。そうして、恐らく彼の最後の瞬間は、やって来た。
エズラの四肢から、全てが抜け出ていった。彼の脚とか腕とかを触れば解る事であるから、そうしているノーヴは、当然把握した。彼から生命力が抜け出て、代わりに彼に死が舞い込んできたのだ。彼を穿った鉄は、その穴を中心として、エズラの周囲に真紅の吹き溜まりを作った。その吹き溜まりは、かなり速度は遅いが、着々と領土を広げていった。
尊いエズラの、突然の死。ノーヴの心は、無下な現実を受け止めきれず、砕けた。
一等初めに、虚空が舞い降りた。ノーヴはそれを、腹部の激痛に耐えつつ、黙って噛みしめた。続いて彼女の中に生まれたのは、悲哀だった。エズラが目の前で死んでいる事実を再確認したノーヴの中で、ジワジワと、広がったのだ。彼女は、どうしてそうなってしまったのか、余裕がなくなった頭の中身の、残る部分で一生懸命に考えた。
最後に心から這い出てきたのは、憤怒だった。
エズラが死んだ原因は、すぐにわかった。鉄の塊がエズラの体に傷をつけた事で、彼に死をもたらしたのだ。だったとすれば、どうして鉄の塊は彼の体を傷つけたのだろうか。――そんな事は、決まっている。今現在、銀の水の前で、腕を組んでそれを鑑賞している男の行為で、エズラの体に傷がついたのだ。その証拠に、鎧の男達が持っている鉄の塊を、彼だけが持っていない。それは、エズラの体に突き刺さっているのだから。
だとすれば、この男は許せない。ノーヴは、血肉が滾る真っ赤な色に、心を染めた。その心は、望みに変わる。尊いエズラを殺した男の死を、願う気持ち。更に、もう二度と輝かない世界など、終わってしまえば良いという、願い。
迷いなどなかった。ただ、この瞬間に、ノーヴは知った。この世界は、自分の存在などよりもずっと脆く、儚く、吹けば飛ぶ塵と同じようなものなのだと。端から彼女は、この塵のような世界の神様として存在していたのか。そう考えたら、自身の存在すら虚しくなって、もう、どうでも良くなってしまった。
それこそ、何もかもが。この世界の、全部が。
――ノーヴの体は、突然にして照度を強めた。紫の閃光は、この部屋の全てを埋め尽くさんばかりに広がる。彼女の光によって、この部屋のオブジェクトは影を作った。それでも、飛躍的に強くなる光を前に、影は直ぐさま蒸発した。やがて部屋全体は、網膜を焼く強度の光へ、完全に埋没した。そんなノーヴを前にした鎧の男達は、うろたえている様子で、自分の双の眼を覆う為に盾やらなにやらを顔の前に突き出しているのだが、彼らの無駄な努力は、ノーヴにとって、もはやどうでもよかった。なぜなら彼女は、自らが神だと認識している。そんな存在が見出した結論に、人間が抗える筈もないと思ったのだ。
あらゆる抵抗は無用である。ちっぽけな動きなど、彼女にとっては、取るに足らない。
ノーヴは、自分がこれ以上強い光を放てないであろうという事を、自覚した。それはつまり、彼女の発する限界の力に幾瞬で到達してしまった事を意味する。そのまま彼女は、自分の思った通りの事を巻き起こす。彼女は、その術を誰から教わる訳でもなく、知っていた。
光が、形を持った。ノーヴを覆う球体としてそれは現れ、高密度の何かを壁として解き放つ。だから、ノーヴから広がった紫色の球体は、部屋の中身や塔の一部をひっくるめて、何もかもを押し出した。やがて壁は、町にも到達した。抗える者など、この世界には誰一人として、存在しない。
一帯の崩壊。
光の塔を中心として発生した、正に神の天罰は、綺麗さっぱりと、何の残骸も残さずに、あらゆる痕跡を消し去った。残骸では、まだ足りない。欠片や埃さえも、ノーヴの紫はさらっていった――。
ノーヴの頭の中に、同じ言葉が羅列された。聴覚とか視覚から判断できうる概念ではない。兎に角、彼女の頭の大部分は、どこからか入り込んできた”意味”そのものに侵食された。不快でも、愉快でもない。単に、気になる。だからノーヴは、いつの間にか瞑っていた瞼を、持ち上げた。そして、全てを見た。
そこには、何もなかった。風や音もない。物体は勿論、エズラも、町の人々も、憎き鉄のゴツゴツも、纏めていなくなっていた。色さえ、存在しない。強いて言うなら、ずっと遠くまで、果てしなく広がる純白が、そこにあった。べったりと塗ったような、白。綺麗でないのに、また、不気味さもないのに、無欠だった。ひたすら、一片の欠落もない。現象なのか、光景なのかも、ノーヴでは判断出来なかった。
お腹に手を乗せて、ノーヴはさすった。手に、温度のない銀色が伸びて、べたべたとへばりついた。鉄の棒によって開けられた穴はまだ残っていたけれど、耐えるのに一苦労する酷熱は、感じられなかった。どうしてかなど、わからない。もし知っている者があれば教えてほしいとさえ、ノーヴは思う。
ノヴァなら、それを知っているかもしれない。白くて小さな、女の子だ。ふと、彼女の姿を思い出したノーヴは、頭に入り込んで来る意味が、自分を呼んでいる事に気が付いた。
『あなたの役割は、終了しました』
言葉の羅列では、なかったのかも知れない。兎に角、不可思議な方法を用いた何者かが、ノーヴに”話しかけた”。それはきっとノヴァだろうと、ノーヴは思いなす。
真っ白な空間。何となくだけれど、この場所を見た記憶が、ノーヴにはある。そして、ここで初めてノヴァと出会ったのだ。つまり、付近にノヴァがいる筈だ。あの時と同じように。
そう判断したノーヴは、すぐに会話の作法を思い出して、それに従う事にした。つまり、頭の中で喋るだけで良い、という事だ。
『塔は、どうなったの?』
謎は多い。だから、一つ一つの疑問を確実に解消する為、物知りのノヴァへ問う。するとノヴァは、
『U.V.Tは、崩壊しました』と、冷徹を彷彿とさせる調子で、言った。
聞きたい事は山ほどあるのに、ノヴァが疑問を増やしてくる。それでもノーヴは、湧いてくる疑問の全てを潰そうと考える。そうしなければいけない気がするし、何かを思い出せそうな予感もある。
『U.V.Tって、何?』
述べた途端の事だった。ノーヴは背後に絶大な圧迫を感じて、そこを見る事を余儀なくされる。圧迫と言っても、味わう、触る、見る、嗅ぐ、聞くといった、所謂五感からではない。きっと、何か特別な感覚を刺激されたのだろうと、ノーヴは思う。
素早く振り返った。そのつもりだったけれど、ノーヴの動きは緩慢だった。鉄に貫かれて出来た、傷の影響かも知れない。ノーヴの先には、彼女よりも一回り小さい女の子がいた。間違いなくノヴァだと、彼女は確信する。きっとこの空間で、自分とよく似た造形を見た筈だと、ノーヴの曖昧な記憶が主張するのだ。
立っているのか、浮いているのか、近くにいるのか、離れているのか。不可思議で物知りのノヴァが、眼差しを向けてくる。とは言え、本当にノーヴを見ているのかは、わからない。ノーヴは、今まさに眼前の現象を事実として認識し、見られていると判断しただけなのだから。
『U.V.Tとは、N.O.U.V.Tプロジェクトの根幹を担う機構です。欠陥品たるあなたの力を浄化する為の、エクステンションでもあります』
一体、ノヴァは何を言っているのだろうか。ノーヴには、その欠片さえも拾う事が出来なかった。このままうやむやにされてしまう事を回避する為には、次々と質問を浴びせるしかない。そう思ったノーヴは、重ねて問おうとした。けれど、ノヴァは全てを知っていたらしい。ノーヴの胸中すらをも、だ。
『あなたは感情が発達しました。ですから、人らしさに偏っているあなたに、わかり易く説明しましょう。先ず、あなたの名前はノーヴではありません。”N.O.U.V.T”とは、”Nationwide Observational. form -Urgency Ventilation Tower-"の略称であり、名前の通り、塔からの監視業務を主とした、重要なプロジェクト、あるいはシステムを指します。あなたに”与えた”本来の名は、”O.S.-10011001”と言います』
ノヴァが、光をのみ込んでいるようにも、燦然としているようにも、見える。自然とは違った煌々たる有様を見て、ノーヴは気おされ、口を噤んだ。
『世界は、イリオスの所有物でなければなりません。その為に私は、世界を幾つかの区域に分別し、各”O.S.”に、管理を任せる方法を実行していました。しかし、紆余曲折を経た結果として、一〇二回目の世界で、単一の”O.S.”による管理が有効である可能性が、浮上しました。新規のアルゴリズムを組み上げた私は、仮説の真偽を立証する為、一〇三回目の世界から、方針を変更しました。”Nationwide”と言う文字列は、過去の管理法の名残です。あなたは、一五三番目の、全ての区域――世界の監視者です』
淡々と続く、ノヴァの発する意味。恐らくノヴァは、わかり易く押し広げてくれているのだろう。けれど、そうした所で、ノーヴはちっとも咀嚼できない。わかった事と言えば、自分の名前が良く分からない文字列で構成されている事位だ。
ノーヴは、沈黙した。
やっぱり、ノヴァはお見通しだったらしく、ノーヴの混乱を理解している証拠を、述べ始める。
『そこまで理解できれば、上出来です。あなたの存在を、私はオブザーバーと呼びます。オブザーバーは、確実にやってくる世界の崩壊を停止する役割を担っています。あなたは、一五三番目のオブザーバーであり、世界が避けられない崩壊を目の当たりにした際、この世界をリセットさせ、一五四回目の世界を始める業務を担っていました』
ノヴァのいう事が、なんとなくわかってくる。これも不思議な力なのだろうか。それはノーヴにはわからないけれど、もう、黙って話を聞く事に徹した方が良い事だけは、理解できた。少なくとも、自分の中に埋没していた重大な仕事を思い出しそうになっているから、このままノヴァに背中を押してもらうのが、良いだろう。
『沈黙し、理解する作業を継続して下さい』
全てを見通しているノヴァの言葉と同時に、まるで雪崩れ込む如く、ノーヴの頭の中へ、映像が侵入してきた。何か情報を埋め込んでいたのだろうか、何もせずとも、それが過去の映像だという事を、ノーヴは把握出来た。
展開された過去は、殺風景という言葉を思い出させてくれた。今ノーヴがいる白い世界と似たような、けれど、砂と緑色が雑然と転がっているだけの世界だった。
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