4.2 強欲な理

 あれから、一週間が経過した。そんな昼下がりの事である。ノーヴの怪我はかなりの大事だったと思うが、しかし生きる為の狩りを中断する訳にはいかないズーは、今日も霧の森で勤しんでいた。

 七日の間、ズーは短いスパンで定期的に通っているへファイスの工房に、一度も足を運んでいない。ノーヴを塔へと送ったエズラに謝罪したのだが、彼は見るからに自失といった具合であり、それ故か、応じてくれなかった。ズーは、彼に責められているのかも知れないと判断して、彼の気持ちを逆なでないよう、工房から姿を消したのだ。少なくとも、”神様”が戻ってくるまでは、エズラをそっとして置いた方が良いだろう。心中に渦巻く罪悪感をへファイスに一任する形になってしまった事実に対しては、確かに心苦しい。それでもズーは、こんな時こそ、見た目にそぐわずエズラの事を心底気にかけているへファイスに頼るべきだと、そう思いなしている所だった。

 ただ、こんな状態であるにも関わらず、自分自身が余りに冷静だから、ズーはほとほと嫌気が差す。罪悪感に自己嫌悪が重なって、思うように狩りも進まない。

 ズーは、わかっているのだ。本当は、エズラにしつこいと思われても、きちんと彼に謝罪をしなければならないのだと。彼にとってノーヴが如何に大切な存在であるかは、手に取るようにわかる。だからこそ、怪我をさせてしまった原因が自分自身にあるという揺るぎない事実に対して、責任を取らなければならない。

 皮肉である。こんな時ばかりは、冷静なズーの持ち味が、自分自身に味方する事はないのだから。淡々と事実を受け入れるだけで、行動を移すべきだという所で、冷静さは立ち消えてしまう。ズーは、へファイス謹製の極めて高精度な鉄砲の先端を、乱暴に地面へと突き立てた。

 体を震わせ、仮に不要な邪念を払拭しようと足掻く。そうしていると、数ヤード先にいたであろう何かが、カサリと動く音を彼女へ伝えた。見れば、比較的大きい鹿の類であり、鉄砲を構えた時には、緑の中に溶け込んでゆく所だった。どうやら、無駄な行動のお陰で、標的の逃走を促してしまったらしい。

「畜生……」

 忌々しい気持ちから、ズーは誰とも指定せず、そう吐き捨てた。もしかしたら、自分に言ったのかも知れないが、彼女自身にも、それはわからない。

 と、ズーは、森の奥に向かって逃走したとばかり思っていた鹿の類が、おかしな方向に向かって走っている事に気付く。てっきり、ズーから見て、直線的に逃げたとばかり思っていたのだが、対象は左方向に駆けている。だから、すぐに様子が変だと思った。つまり、鹿の類に気配を与えたのが、ズーでないという証左だ。

 ガサガサと、右前方の草木が蠢く。それに混ざる形で、不良品の鉄砲のボルトが軋む音を、目いっぱい大きくしたようなそれが、森の中に轟いた。

 音源が、正体を現す。それは、特徴的な鎧を纏った、乱暴者で名高い男達だった。

「光の町の狩り人。お前に聞きたい事だある」

 囲んでいる。その事実は、ズーにとってみれば、振り返らずにもわかる事であった。何ヤード後ろに何人いるのか把握する事さえ、容易い。何しろ、無数の野生と命の駆け引きを行ってきたのだ、そんな事がわからなくて、町一番などと呼ばれていたら、自らその座を降りたい位である。

 だから、前方から近寄る鎧の男達が大きな音を立てているのに対して、背後からやってくる彼らは意図的に気配を殺しているという事も、すぐに理解できた。

「そんなに”大勢”で大挙したら、獲物が逃げてしまうだろう。話なら、別の所でアプローチして欲しかったな」

 相手は意図的に”忍び寄って”くるのだ。どう考えても不穏な状況であるが、しかしズーは、あえて毅然と、大きな声で言った。下手におろおろしても無駄だ。ならばいっそ、ここでこそ冷静になるべきなのだ。

 ズーは鉄砲から、込めていた弾丸を取り出して、弾薬鞄にしまい直した。そして、肩に鉄砲を担ぎ、帽子の位置を少しだけ調整しながら振り返る。どうやら、背後の連中にも聞こえていたらしい。大きな声で応じて、正解だった。彼女の感覚が正しかった事を証明するように、わんさかいるトラキアの軍人達が、潜むことを止めて、見える位置へと出てきた。

 並んだ軍人達は、皆一様に、流線形の鎧を纏っており、しかも、下辺に行くにつれて細長くなっているひし形の盾と、幅広くて分厚い上に長さもある剣を、携えている。数々の装備には、トラキアの国の象徴である国旗が描かれていた。

 ズーは、かの国の職人も優秀なものだと感心したが、そんな事にかまけて心を充溢させている暇がない事を、これまた野生との駆け引きで研ぎ澄ませた直感にて理解し、表情を変える事なく、ただ静かにしていた。それを鎧の隙間から見ていたのであろう、恐らくは彼らを率いている男性が、ずいっと寄ってきて、言う。

「流石は町一番だけあるな。我々を前にしても、微塵も恐れを感じていないと見受けられる」

「恐れる必要がある話でも?」

 さも平静といった感じで応じたら、鎧の男性が、「ハハハ!」と、豪快無比に笑った。

 男の鎧の胸部には、本体が赤くて縁取りが金色の、ひし形の布がくっついている。だからこそ、彼が集団を率いているリーダーなのだろうと判断できた訳であるが、そんな事よりも、盾と剣を携えて歩き回るような様相であるから、彼らは戦争でもしに行くのだろうかと想像してしまう。明らかに、調査団としてやって来た時と、身なりが異なっているのだ。

「随分立派な装備だな。お前達はこれから戦でも始めるのか?」

 いい加減で、大笑いしていた男性がそれを中断した所で、彼は何を思ったのだろうか、ズーから見て、立ち位置を左方へと一歩程ずらして、口調を強くする。

「初めに言っておくが、お前の返答次第では、お前の町は滅ぶ。我々がここに来たのは、なぜ”白銀の液体”がこの森に落ちていたかという事を聞く為だ。お前はこの森を庭のように使っているそうだが、光の町の住人であるお前ならば、何か知っている筈だ」

 ズーの血の気が引いた。一瞬も待たないで、全身が冷たくなる感覚を味わった。彼女は、町の住人へ、ノーヴの事を話している。それは、乱暴者から神を守る為でもあり、エズラへの気遣いという事でもある。尤も後者に関しては、ズーの個人的な感情なのであるが、しかし、重要な点は、寧ろ前者である。要するに、ズーと町の人々は、結託してノーヴの存在を隠匿しているのだ。だから、ここで隠し事を彼らに知られる訳にはいかない。そもそも、ノーヴの存在をトラキアの軍人から隠そうと言い出したのだって、ズーなのだ。

 しかし現状から察するに、町の住人達と結託している事実が発覚したとは、限らない。何しろトラキアの軍人は、霧の森で白銀の液体を見つけた、とだけ言っているのだ。ノーヴが話題の比重でない以上、大きな問題ではない。いずれにせよ、ズーがやるべきは、乱暴者達に何も気取らせない為、しらを切る事だろう。

 ズーは、肩に下げた弾薬鞄に手をかける。

「本当に落ちていたのか。生憎だが、私が知っている事はこの程度だ」

 言いながら、ズーは鞄の金具を外して、中身をトラキアの軍人へ見せる。中には、狩りに使用する弾丸付きの薬莢が幾つかと、白銀の液体が入っていた。

「お前達が見つけたものは、狩りにも使われる。こうやって、弾丸に浸したりな。それが落ちているという事は、私か、他の狩り人がそれを落としたのだろう」

 リーダーらしき男が、図々しくズーの鞄を掴んで、引っ張った。そのまま自分の顔の前に引き寄せて、中身を凝視し始める。それからしばらく沈黙していたのだが、彼は鞄を掴む、手を覆っている鎧から力を抜いて、ズーの顔へ視線を戻した。

「嘯く。あそこまで大量に、しかも明らかに濃度が高いものを見たのは初めてだ」

 疑念の言葉が、ズーに突き刺さる。心底疑っている事は、動きや声音から、易々と把握できた。だからこそ彼は、堂々と胸を張ったままに、声を強くしているのだろう。しかし、だったとしても、やはり真実をトラキアの軍人へ明かす訳にはいかない。彼らに真実を吐露する事は、光の町の住人が、神を失う事になってしまう。何より、エズラからノーヴを手放させるなど、ズーにとっては認めがたかった。

「いい加減にしてくれ。私が知っているのはこれだけだ。知らないものは知らない。確かに私はこの森で狩りをするが、森の事を全部知っている訳じゃないんだ。仮に知っていたら、お前達に隠すなんてまどろこしい事はしないぞ」

 黙って聞いていた鎧の男が、腕組みをした。ギリギリと、耳を塞ぎたくなるような不快な音が、どこからか聞こえてきた。

 逃げ切った。ズーはそう思った。そして彼女は、閉口している男へ、

「今日は一匹も仕留めてないから、狩りに戻るぞ」

 と告げて、背を向ける。

 しかし、

「私はこれまで、己の身で獲得したものは、全て自室に飾る。なぜお前はそうしない?」

 と、謎の質問をしてくる。

「何が言いたい?」

 ズーは立ち止まり、半分だけ男へと体を向け、意味深長な発言をしてきた相手に、逆に質疑をした。すると男は、ふぅ、と微かなため息を漏らした後、応じてくる。

「お前は幾度も、狩りの大会において優勝してきた経験があるだろう。お前の獲得したトロフィーは、町長の書斎に飾ってあった。なぜお前は、自室にトロフィーを持ち帰らない」

「そんな事か。私の腕は、この町で生まれた。その証を町に献上して、何が悪い」

 トラキアの軍人が町長の書斎に立ち入っていた事実は腹立たしいが、それよりも、枝葉末節を気にしているらしい男に対して、ズーは気が抜ける思いだった。が、感じた通りに行動する訳にはいかない。人間は、野生のように正直でないと、彼女は知っている。


「ズー・ディアナ。お前の鋭い眼光は、お前の祖父にそっくりなのだな」


 男の声音が、一段階下がった。それを聞いたズーは、驚愕を禁じ得なかった。鎧の男は、良く見ている。決してどうでも良い質問など、していなかったらしい。

 ズーの祖父とは、即ち、この町の町長である。彼女の祖父は、自他共に認める非常に優秀な人物で、今の彼の地位は、その果て、必然的なものだ。しかしズー自身は、祖父とは対照的に、勉学や人をまとめるという事に関して、秀でていなかった。それでも祖父は、彼女に対して極めて大きな愛情でもって、良くしてくれて来た。ズーはその恩返しとして、自分の獲得したトロフィーを祖父の書斎に献上していたのだ。

 恐らく鎧の男は、何らかの方法で町長とズーの関係を知り、近づいてきた、という事なのだろう。ズーは、自らの気持ちが仇になってしまったかも知れないと思って、心の底から湧き出てきた悔恨を、噛んだ。

「今一度、問う。何を隠す、お前は」

 鎧の男は、容赦なく問い詰めてくる。対してズーは、沈黙するしかなかった。流石に、乱暴者達を束ねる者だけある。生半可な視線でズーを見ていた訳ではなかったらしい。だから、これ以上何かしゃべっても、この男の前では全て無駄だと思えてきて、鞄の金具を締め直し、ズーは立ち尽くした。

 そうしている内に、ズーを取り囲んでいた鎧の男達が、移動を遮るようにして、はばかった。どうしても、ここで白状させたいのだろう。だったとしても、ズーは何を言うつもりもない。

「まあ良い。”お前達”が何かを隠している事は、自明だ。ならば口を割るまで、お前を拷問する」

 鎧の男が、粗雑な動作で、力いっぱい、ズーの腕を掴みつつ、言った。


 嘘偽りなどない。故に、男の言う通りになった。

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