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4.1 兆候

 乾いた空気は程よい暖かさを含んでおり、あちこちを、穏和にに流れる。そんな朝、マヴィは光の町の一角にて、適当な場所にあった石の段差へ腰かけて、空を眺めていた。トラキアの、流線形が特徴的な鎧は、とっくに纏っていない。仕事は終わったのである。つまり、白銀の塊が取れなくなった町などに、マヴィの食指は動かない。故に、陳腐な町に長居する道理もない。だから彼は荷支度を既に済ませて、行動の遅い部下達が同じように終えるのを、今か今かと待っていたのである。それが終わればすぐに、町を逐電するつもりなのだ。

 マヴィは多くの場合において、背を向ける事をしない。だが、自分にしては極めて希有だが、こればかりは、逃げると表現するに相応しいだろうと思いなす。町に興味をなくした、という理由だけならば、得も言えぬ敗北感に苛まれる事など、なかった筈だ。

 先ず言い訳するとすれば、こんな陳腐な町にいたのでは、軍団長として君臨するに相応しい剣の腕も、とんとん拍子に錆び付いてしまう。トラキアは軍事力が物をいう国であるし、マヴィ自身もそのように考えている為、言い訳にしては全うだろう。ところが、言い訳とするからには、町を”去りたい”別の理由もある。マヴィは、何よりも、氷のような旧友と同じ町にいるという事実を認識し続ける事が、少しでも精神を削ってくるので、辛抱ならなかったのである。

 故の、逃げ。これ以上、この町に滞在したくない。よもや、敗走と表現する方が、正しかったかも知れない。

 旧友に心を絞られるなど、今の今まで考えもしなかった事であるから、マヴィは余計に苛々した。空はといえば、マヴィの騒めく心に構うことなく、気持ちの良い青色一色で満たされている。殊更に腹立たしくなって、地面を蹴っ飛ばす。すると、石ころでも跳ね飛ばしたのか、遠くの方でカツと、何かが鳴いた。

 マヴィは待つことが嫌いである。そして、待たせる事も嫌いだ。よく言えば誠実となりうるだろうし、悪く言えば愚直とも言えるだろう。そんな人間は往々にして、自他に厳しい。少なくとも、マヴィ自身はそうであるし、自覚もある。だから彼は、ふと、もう幾らか時間を無駄にするならば、部下達に対して何か罰則でも設けるべきかと、考えついた。そんな矢先、絶妙な頃合いで準備が終了した部下達がやってくる。彼らは運よく厳しい咎を逃れたらしい。

 屈強な男達。彼らは一様にマヴィの部下であるが、優秀である。マヴィの心境をくみ取った証左だろうか、彼の眼前へ続々と、そして迅速に集う。準備完了を伝える合図として部下達は、かたく握った拳を、それを含む腕ごと自分の胸に押し当てて、マヴィの前へ綺麗に整頓する。マヴィは、自分の少ない手荷物を右肩からぶら下げて、部下達と同じ格好をとってから、移動を開始した。彼の流線型の鎧は、四人の部下の牽引する木車に、彼らのものと一緒に積んである。


 トラキアの調査団の面々は胸を張り、黙々と、列をなして歩く。ガラガラガタガタと音を立てて、木車の見るも無骨な車輪は、光の町の石畳の地面を転がる。しかし、生命と尊厳を守るトラキアの鎧による重みで、木車自体が跳ねたりする事はない。音以外は、大人しいものであった。

 そんな様を傍から見れば、余りに目立つと、マヴィは思う。塔から湧き出る町民の信仰対象を根こそぎかっぱらい、挙句の果てに、採取不可能にしてしまったのだ、町の憎悪が集中するのは、当然であろう。故にか、トラキアの調査団を見送る、三六〇度からの視線は、その全てが冷め切っている。まるで、つららが飛んでくるようだ。マヴィは先頭を歩いていたが、だからこそ、それが良く分かった。一瞬ばかり、氷の如く冷たい旧友の姿が浮かんできたから、彼は首を振って、その姿を払拭した。

 とは言え、トラキアの調査団は、これから国に帰る。決してのさばっている訳ではなく、寧ろ逆の構図と言えよう。

 ふと、冷たい視線を投げてくる中に、一際冷たい女性の姿を、マヴィの双の眼は捉えた。だから、右手を肩よりも高く上げて、そのまま進行方向に振って、背後を歩く部下に停止しないように指示してから、自分だけは立ち止まった。無言の指示を受け止めたマヴィの部下達は、全員彼の意志にそぐうように二本の脚を前後に動かし続けた。

 マヴィはふらりと、民衆の中で最も痛い冷気を放つ女性に近づいた。そして、彼女を見て言う。

「お前の望み通り、我々はお前達に危害を加えなかった。満足したか」

「いいえ、我らの郷は、あなた達の到来と共に揺らいで、あなた達が去る事で崩れました。それに満足するような愚か者は、あなた達だけです」

 パーゴスは、起伏の全くない口調で、しかも一定の調子を維持しつつ返答した。

 その台詞が衝撃的だったのだろう。マヴィがパーゴスに近づいた段階から既に、マヴィ避けるように道を空けていた住人達は、今度は凄い形相で二人を交互に見ている。何が始まったのかという焦燥なのか、それとももう始まっているから焦っているのかわからないが、住人達は確実に恐れや驚きは感じているのだろう。

 だが、それらの反応は、マヴィにとって全く問題とならない。だからマヴィは、凛として続ける。

「そうか。しかし、お前達の”理想の郷”は、まだ壊れていない。我々はこの場を後にするのだ、それには満足してくれよ。私の旧友」

 マヴィにとって、氷のようであるが、しかし、パーゴスは旧き友だ。だからマヴィは自分なりに精一杯の誠意をもって、かつ、自分の尊厳すらも傷つけないように、彼女へ告げた。それを受けて、パーゴスはどう思ったのだろうか。彼女の瞼が開かれた気がしたので、マヴィは少しだけ冷たい瞳の奥まで見えたような気がした。尤も、あくまで”気がした”だけだったが。

 昔と変わらず、些かも表情を変化させなかったパーゴスが、マヴィへ背を向ける。そして彼女は、慄いているらしき住人達の群れに、溶け込んでいった。彼女の姿が見えなくなるまで直立していたマヴィは、自分の部下が組んでいる長い列の中ほどに混ざりこんで、それから、旧友との別れの余韻を味わった。

 それは、決して良いとは言えないものだったが、マヴィの中に巣食う苛立ちを、多少は緩和してくれた。




 木車は、順調に進んでいた。それでも、重さ故か、移動にはかなり時間がかかった筈だ。その証拠に、いつからか、隊列の頭上には黄色い月が輝いて、孤高を主張していた。風もだいぶ冷たくなっていたが、この辺りの気候はそこまで激しくないだろう、マヴィは、過酷な気象条件の戦地に、幾度も赴いている為、そのように判断した。

 無骨で大きい車輪は、相変わらずガタガタと騒々しいが、重厚感と繊細さを兼ね備えた鎧や、発光する未知の物質を、しっかりと運んでくれている。だから、この先も順調なのだろうと確信して、マヴィは少し気が緩んでいる最中だ。一心不乱に白銀の塊を集めたのだ、その疲労がかなりの時間差をもって、たった今訪れるというのは、仕事に対する高尚な姿勢の象徴であったら、喜ばしい。

 木車は、トラキアの国の軍人達で構成された調査団を光の町に立ち入らせたルートに沿って、逆走する。そして、そのルート上にある狩り人の庭、つまり霧の森へと差し掛かった。

 幸い、そこは暗黒ではない。背の高い広葉樹が均等な間隔を保って立ち並んでいたが、しかし、調査団の視界にはしっかりと光が入り込んでいた。今日の月明かりは極めて明るいのだ。だから、幅広くて長い剣を腰にあてがっているだけで、マヴィは未知の野生達を下す自身がある。視界さえあれば、霧の森で有名なオオカミ達などは恐れるに遠く遠く及ばない。部下達だって、そうでなければ困る。

 と、マヴィは進路上に一層明るい地点を発見したので、すぐさま警戒を強めた。この明るい月の光を反射したオオカミの瞳がぎらついているのかと思ったからだ。

 だが、それは違った。その違いに、彼はすぐに気付いた。

 先ず、その光に殺意を感じない。百戦錬磨のマヴィは、殺意のある瞳というものを幾重にも切り捨ててきた。だからこそ、今こうして彼は自分の脚を使役して歩いている。そんな彼にはわかる。その光は殺意ではない。ともすれば、意思があるのかどうかさえも、怪しい位である。

 次に、その光は黄色くない。飢えを満たす為に殺意を宿らせたオオカミの瞳を、マヴィは知っている。自身を鍛える為に、また、戦地でも、野獣達を下した経験がある。だからこそ、妖しく光るそれがオオカミのものでないと理解できる。

 最後に、光は見たことがあった。


――なぜ、白銀の液体がここにある?


 それは、紫色に光っている。マヴィはその紫色の光を知っていたが、余りに唐突にそれを前にしたものだから、驚きを隠せない。調査団は全員が、その光に気付いている筈だ。何しろ、今までにない程に力強く紫色の光がそこから放たれているのだから、気付かない訳がない。もし気付かないなんて言った者がいたら、それこそ引っ叩きたい位だ。

 マヴィは無我夢中で、光源に駆け寄った。後ろからバタバタと慌ただしい足音が追い抜いて行ったから、恐らく全員も、必死にそのようにしたのだろう。そしてマヴィは、白銀の液体を間近で見て我に返り、ようやく冷静さを取り戻した。

 白銀の液体が、草の隙間から見える土の上で、伸びている。どうやら、染み込む事はないらしい。地面の凹凸に沿って、その場にとどまろうとする張力により、フチを丸めていた。何気なしに触れてみたものの、見た目や質感は、紛う事なく、塔で採れた白銀の液体に他ならなかった。なぜ、ここにあるのかという理由ばかりは、それこそ紛うべき事柄であったが。

 しかしマヴィは、都合の良い事を思い出した。この森を庭として使っている人物を、彼は知っている。

 光の町で一番と名高い狩り人である、ズーだ。

 光の町の住人は、この森のどこかに潜んでいる荒ぶる野生達のように、すぐに逃げたりしない。であるから彼は、腰に下げた鋳鉄の水筒から水を全部こぼして、その中に濃い白銀の液体を出来る限り溜め込んで、その場を後にした。

 マヴィは、光の町に戻るつもりはない。なぜなら、そこには氷のような旧友がいるから。だが、この森に頻繁に来ているであろうズーと出会う為に、大勢の部下を引き連れて来る戻る事は、決心する。

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