3.5 修復

 夜色が濃くなってきたから、工房の中も、蝋燭をつけないと周囲が見えにくくなってきた。そんな訳でエズラは、ノーヴの怪我をどうするか、割と密な話し合いをしているズーとへファイスを置いてけぼりにして、次々にキャンドルへと火をつけてゆく。すると、部屋の中は橙色に照らされて、影が伸びたり縮んだりした。その真ん中で横になっているノーヴだけは、紫色に包まれたままである。

 近づいて見れば、何やら寝言を言っている。口が僅かに動いていたが、エズラには、内容まで聞き取れなかった。いつもならば微笑ましいのだろうけれど、これが寝言でなかったらと思うと、背中が寒くなる。朧な意識の病人や怪我人だって、こんな具合になる事もあるだろう。

 ノーヴの銀の髪。それが、紫色の光を蓄えて、机上を照らす。キャンドルの仄かな明かりで伸ばされたエズラの影は、彼女の髪に触れる前に、その象を消失させていた。自身の影を目で追っていたら、ノーヴの肩が、ピクリと、とても小さく動いたように見える。だからエズラは、顔を近づけて、よく確かめようと思った。

 その時だった。

 ノーヴの細い体が、上下にバタバタと、暴れ出した。一瞬だけ心臓が止まりかかったエズラだったが、直ぐに彼女の肩を押さえて、机から落下しないようにする。それに気づいたのか、ズーがエズラの左脇に素早く回り、彼女の足を掴んだ。エズラの両手から伝わってくるのは、とても細かい振動だ。人が意図的に暴れようとしても、こんな動きになるとは思えないほどの。だから、神様というよりは、まるで精巧な機械か何かのように見えてしまって、エズラはブンと、自分の頭を一振りした。彼女は機械ではない。神様かもしれないけれど、そうした隔たりさえも、全部取っ払いたい。要するに、エズラの友達でいて欲しいのだ。

 その内に、微振動が収まってきたので、ズーの真似をして、エズラも手を引く。すると、寝言を言っていたノーヴの口が、一度大きく開かれた後、確かに喋りだす。

「……して下さい。あなた方が塔と呼んでいる場所です。私の体は元の状態に修復されます。深刻なダメージの為に、移動が困難です。”U.V.T”に、私の体を運搬――」

 延々と、同じ言葉を繰り返すノーヴ。彼女の目が、ゆっくりと開かれると、真っ赤に染まった眼が、不気味な光を放っていた。何の冗談でもなく、赤い光が、彼女の目から漏れ出しているのだ。明らかな異常事態である。口調も、エズラが聞いた事のないものであり、人間味がない。予め用意された言葉を読み上げるような、単調なそれだった。

 エズラは、普段のノーヴからは到底考えられない様子の彼女を前にして、非常に奇妙に思った。いや、彼女自身、元々奇妙な存在であるのだけれど、少なくとも、自分が原因でノーヴがこうなってしまったと考えれば、奥歯を噛みしめずにはいられない。謝っても、ノーヴは多分話を聞ける状態ではないだろうから、どうしようもなく自分が無力に感じられたエズラは、とうとう、自分をぶん殴ってやりたい気持ちに駆られた。かといって、このまま突っ立っている訳にはいかない。だからエズラは、自分の中のスイッチをパチンと切り替えて、左右に立つへファイスとズーを押しやり、ノーヴの脆い体躯を優しく抱き上げる。支えられた瞬間、ノーヴはやはり同じ言葉を連呼しつつ、だらりと、四肢を引力に任せていた。

 エズラの心は、一瞬だけ、ポキリといきそうになる。それでも何とかこらえて、彼は工房の出入り口を見据えた。確かにノーヴは、神様の治療方法を口にしているのだ。ならば、彼の行く場所は、決まっている。

 一歩踏み出したら、後ろから、へファイスが「頼んだぞ」と、いつもの彼からは絶対に想像出来ない、それこそ吹けば消えてしまいそうな声で言った。確かに彼の思いを受け取ったエズラは、後ろを見ずにコクリと頭を動かして、後腐れなく工房を後にした。




 一歩地面を踏むたびに、ダラリと垂れ下がったノーヴの四肢が、上下左右に振り回される。痛々しい傷口を見れば、白銀の液体が溢れて、やはり、紫色に光っていた。だけどエズラはもう、人目など気にしていなかった。仮に誰かに見られても、止まるつもりなど全くない。

 相変わらずノーヴの口からは、抑揚のない声で、同じセリフが繰り返される。こんな声で喋る彼女は見たくないけれど、指示に従えば治るのならばと、慎重かつ丁寧に、運ぶ。エズラはまだ、彼女に世界のいい所を見せてやらなければいけないのだから。

 石で出来た狭い道に入った。そこから一〇〇ヤード直進して、すぐに狭い道に向かって左折する。左右にある民家の壁に、ノーヴの頭や足が少しでもかすらないように注意しながら、時には横向きになったりして、迅雷に負けない位の速度で突き進む。

 風が冷たくなってきた。疲労から、大口を開けて呼吸をしていたけれど、喉がかさつく。もう、喉の奥が上下にひっついて、舌で器用に舐めてみたけれど、舌も一緒にくっつく。きっと、空気も乾燥してきたのだろう。それでも止まらず動き続けたエズラは、狭い通路を抜けて、大通りに溶け込んだ。まるでエズラの気持ちを汲んでくれたかのように、そこには誰もいなかった。夜が深くなったからだろう。進行方向、遥か遠くに、茶色の紙袋が風にもまれて転がっているだけだった。

 足が、パンパンにはってきた。それを酷使しながら、一度も止まる事がないエズラは、深夜に外に出て良かったと思う。最早、見つかってしまうとか、そういう話ではない。町の人達が、駆け抜ける行為の障害にならなくてよかったと思ったのだった。

 やがて、走り続けた結果として、エズラを支える大地は、石畳ではなくなった。踏めばジリジリと音のする、土の大地に変わったのだ。それを蹴っ飛ばしつつ、エズラの目前には、光の塔が迫ってきた。入り口へ至る坂道は、月明かりにガイドされていて、エズラを導き、そして招く。自然が味方をしてくれているように感じられるから、エズラは思わず胸の奥が躍って、叫びたくなったけれど、ぐっとこらえて、一気に坂道を駆けのぼった。そのまま、大口を開けた塔の暗闇に、自ら進んでのみこまれる。

 エズラが光の塔に入った瞬間、正にぴったり合わせてくるように、光の塔の内部で拡散していた、仄暗い紫色が強まった。月明かりがそうしてくれたように、しかしそれよりも更に明確に、エズラをガイドする。そんな事をしてくれなくても、何度も来ているから、ノーヴのいる広間には、目を瞑ってでもたどり着ける自身があるけれど。ただ、この時ばかりは素直に歓喜が湧き上がってきた。転んだり、ノーヴの体を壁にすったりして、少しでも彼女に傷がつく事を、その光が回避させてくれたからだ。

 光の恩恵を受けつつ、それに感謝する暇もなく、エズラは塔の中を、鉄砲の弾のようにまっすぐ、ぶれなく、突き抜ける。やがてエズラは、初めて未知の発見をした場所を視界に捉えた。つまり、彼女のいた広間を閉ざす、背の高くて分厚い石の扉だ。扉は、エズラが駆けこむ事を予測していたかのように、一等強い光を放ちながら開かれたので、止まる事なくノーヴの部屋に突入できた。

 広間のずっと奥。遥か数十ヤード先に、小さな段差がある。初めてノーヴと出会ったとき、彼女はそこへ腰をおろしていた。今まさに、段差に沿って紫の光が波打って、段差の上のある一点に、光が凝集している。急いでそこへと近づいて、光の柱をなしている所に、ノーヴの体をそっと寝かせる。すると、延々とノーヴの口から発せられていた”指示”は、とうとう止まった。

 不思議な事ばかりだけれど、自分の行動が正解だったと、この段階で実感したエズラは、全身のあらゆる所から満遍なく発せられた疲労と安堵に飛びかかられて、

「あー!」

 と大声を部屋の中心に投げつけてから、思い出したようにガタつく足に身を任せ、ノーヴから五~六歩ほど離れてから、へなへなと座り込んだ。頭を下に垂れ下げているけれど、ノーヴの状態を確認する為に頭を上げる気力が残っていない。全身のあらゆるエネルギーを絞り出して脚に送っていたから、少しも動けなくなってしまう。

 しばらく、足を伸ばしたり、うつ伏せになって冷たい石の地面から、ひんやりとした妙に心地よい感じをおすそ分けを貰ったりしていた。石の中か、それとも表面か、紫の光の粒がクルクル回ったり、鋭角な動きで近寄っては離れたり、忙しい。一粒一粒の光が、生きているみたいだ。

 体勢が少々つらくなってくる。押し付けた胸部が心地よかったけれど、ちょっぴり口惜しい気持ちをこらえて横を向いたら、遠くの壁に何本も走っている紫色のラインが目に入った。

 と、突然、紫色のラインが壁に沿ったまま上下に波打って、真ん中あたりでポッキリと折れた。柔らかそうな動きが突然堅苦しくなったものだから、思わず途切れた部分を、エズラは注視する。そうしていると、折れたラインの二つの先端が、行く先をまさぐる芋虫のように上下へ動いてから、下を向いた。動かなくなったかと思えば、今度は、エズラの方向に向かって、紫色の先っちょが、壁と地面を伝って、近寄ってきた。しかも、結構速い。少なくとも、エズラの全力疾走よりは、ずっと。

 横になって肩をくっつけた状態から、突進してきた紫色の光を避けるようにして、飛び上がる。すんでのところで触れる事を免れたエズラは、地面を隔てる太いラインを目で追っかける。すると、とんでもない勘違いをしていた事に気が付いた。

 ラインの先端は、エズラに向かっていたのではない。塔の主に向かって伸びていたらしい。たった今、エズラに迫ってきたと思われたそれは、横たわるノーヴの中心に向かって伸びていたのだから。よく見るまでもなく、周囲の壁からは同じような太さのラインが、何本も、ノーヴの中心に向かって伸びて、彼女と繋がっている様相だった。

 未知。だからこそ、幻想的。ノーヴの中心に集った光のラインは、彼女に到達するなり、仄暗い広間の内部で、太い光の柱のように見えた。

 ラインが、発光を強める。そして、光る彼女の体自体も、呼応するように、強く輝きだした。みるみる強くなってゆく紫色の光は、今までと比較にならない位――それこそ目を潰されるのではないかと思しき程度に強くなったところで、ノーヴの体を包んだ。

 光は、遮る事は出来ても、触れる事は出来ないと、エズラは考えている。けれど、エズラの目の前で煌々としている紫色の光は、目に見えない粒を放っているのだろうか、ノーヴの体を包み込みつつも、エズラの触覚に、”接触”してくる。触れているという感覚があったのだ。面白いのか怖いのか、自分自身でもわからなくなったエズラ。けれどその内に、恐らく人間では世界で初めて体験しているだろう現象に対し、腕を振り回してみたり、進んで触ったり、かき分けたりしてみた。触っている感覚はあるけれど、やはり、何も起こらない。

 ノーヴの光が弱まる何てことは、当然起こらなかったのだ。




 やがて強力な光は、収束した。しばらくその様子をじっと眺めていたエズラは、ノーヴの体から放たれる光が、普段通りのうっすらとしたものになった事を確かめて、フゥっと息をはく。良く見てみれば、彼女の腕や足に穿たれた穴や傷が、その姿を消していた。これに関しては、光が強かったからよく見ていなかった。

 大きく目を見開いて、ノーヴの顔を至近距離で見つめ直す。彼女は相変わらず、黄金に輝く町とは違った美麗さを、その小さな顔にたたえていた。

「ノーヴ?」静かに、問う。

 すると、ノーヴが口をゆっくりと開く。

「私は、傷の治癒を終了しましたが、稼働できる状態ではありません。あなたはこのまま光の塔から退去してください。私の完全修復までは、一週間と二日かかります」

 エズラの目の前にいたのは、やはり、ノーヴではない何かだった。彼女の声で、彼女の意思で、会話がしたいと思っていたエズラは、少々落胆した。けれど、とても正確にノーヴの事を教えてくれたので、何者なのかはわからないけれど、とりあえずは、大人しく指示に従う事にして、綺麗な顔から頭一個分、離れる。

 何者かの言葉は、真実なのだろう。証拠に、エズラが指示に従ったら、彼女の傷はちゃんと消えたのだ。だから、完治まで一週間以上かかるという事も真実なのだろうと思って、殊更に、エズラはがっかりしてしまい、思わず息が漏れてきてしまった。あんまりに、長い。

 かなり名残惜しい気持ちが湧き出してきたけれど、仕方がないから、右手を彼女の輪郭にそっと沿わせてから、

「また来るね」

 と言ってあげた。触れた手先からは、ちょっぴり冷たい感触と、つるつるとも、すべすべとも違う、不思議な感じが伝わってきた。

 エズラは立ち上がって、ノーヴへ背を向ける。部屋の中心に向いたら、この広間全体が、いつものように、仄暗くて湿った印象に戻っていたから、退室する際も、通路を通る際も、壁に手を当てて、足下に気を付けながら歩く。

 壁の感触は、エズラが塔から出るまで、心へ寒々しい杭を突き立ててきていた。

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