3.4 欺瞞

「どういう事だ」

 太い声だった。

 たいして深くない夜がやって来たと同時に、その男も、町長の書斎へとやって来た。パーゴスの正面に立つマヴィだ。彼は相も変わらず強引に部屋へと侵入してくるなり、ずっとこの調子であり、その場の空気を掌握しているようにすら見える。パーゴスにとってこの男は無性に腹立たしいが、しかし、少しでも違和感がないようにと、彼女も毅然と言い放つ。

「どうもこうもありません。あなた達が見境なく白銀の塊を取った末路が、これです」

 薄暗い書斎の中で、マヴィの青い瞳がユラリと流れてきて、パーゴスに突き刺さる。いつもの様子ではない。彼の心は恐らく、酷熱に寄り掛かっているのだろう。そんなパーゴスの予感は、どうやら的中したらしかった。マヴィが、彼の直近にあった木の椅子へ向かって乱暴に、ガシャガシャと騒がしい音をたてながら、接近する。そのまま勢いを殺さずに、乱暴な動作で椅子を掴んで引っ張り上げると、叩き付ける如く、自身の臀部にあてがった。

 椅子がミシリ、と泣いた。

「貴様には聞いていない。私はそこの老いぼれに話をしに来た。答えろ。なぜ白銀の塊が湧き出なくなった」

 マヴィは、パーゴスの発言の全てを、いとも容易く、極めて乱暴に切り捨てた。乱暴という言葉がここまで似合う男が、過去にいただろうか。そんな彼の矛先が向いた町長を見れば、肘を机上に突き立てて、皺の多い手を顔の前で組んでいる。平常そのものと言った感じの町長は、変わらない。それこそ、マヴィが昔から乱暴な男だったように。

 やがて、黙って乱暴者を鋭い眼光で刺し貫いていた町長は、いつもの会話からは想像もできない程に冷淡な口調で、静かに、おもむろに言う。

「光の塔は町の象徴だ。乱暴に扱うなと言っていた筈だ。どうやら君達は守らなかったらしい。君達のお陰で、この町は終わりだ。塔から恵みが取れなくなれば、町から神は失われた、という事になる」

 ユラリと、キャンドルの先端が揺れて、影が踊った。消沈した空気の中で、町長の重苦しい声音だけが余韻を残す。パーゴスは些か堪えたが、しかし、マヴィという男はどうとも思っていないのだろう。何しろそういう男なのだ。今も昔も。その証拠に、完全な静寂に書斎が包まれた頃、彼は肘を大きく持ち上げて、机上にそれを叩きつけた。カツン! と存外に鋭い音がしたから、何事かと見てみれば、鎧の鋭い部分が、木の机に突き立っていた。

 傷ついた机を、目を細めて流し見るパーゴス。彼女の心は、この乱暴な男よりも、もっと大事な、別の事に向いていた。それは、”欺瞞”だ。

 パーゴスは、町長と結託して、マヴィに嘯いている。その最中が、現状である。故に、自分達の演技力が、真実を探求する彼にとって、どこまで分厚い壁となりうるのか、内心ひやひやしているのだ。従って、マヴィが難しい顔をして何か考えている所を見ながら、手から湧き出てきた汗を握りしめる事で、じっとしているしかない。無論、表情もしぐさも、姿勢だってそうだ。

 そんな時だった。マヴィは瞼に皺が寄ってしまう程度には強い力でもって、眼球をゆっくりと隠して、じりじりと解放し、再び青い瞳を出現させた。深い色が向いた先は、町長だ。

「つまり、我々がこの町に駐留する理由が無くなったという事だな」

 木の机を穿った、鎧の肘。身をよじり、勢いをつけたマヴィは、素早く抜き取った。その反動を生かして立ち上がった彼は、チラリとパーゴスへと一瞥を投げかけてきてから、再び町長へ言う。

「ここに宣言しよう。我々は一週間以内に、この町から撤退する」

 切り替えの早い男である。パーゴスは些か感心しつつも、手をじっとりと湿気らせる汗を止める事は、叶わなかった。とは言えども、パーゴスは最後まで気を緩める事なく、無を意識する。どうやら彼は、こちらの真意に気付いていないのだ、ここでしくじる訳には、当然いかない。言いたい事が無尽蔵に湧き出てくるが、彼女が軍人時代にやっていたように、まるで敵を”すり潰す”如く、全ての感情を殺して、黙る事に徹した。自然な動作で町長を見れば、彼は相変わらず、乱暴者の精悍な顔を鋭い眼光で見据え続けている。さも感情がこもった演技は、真なるものに限りなく近く見える。

 その内、マヴィは諦めたのだろうか、今までの乱雑で過酷な動作が嘘だったかのように、丁寧な感じで立ち上がる。そのまま、机上に置かれていた流線形の鎧の頭部を右わきに抱えて背を向け、「旧友と刃を交えずに済んだな」と、こちらに言ったとも、自分自身に言ったともとれる絶妙な声音で吐いて、木製の出入り口に歩んでいった。

 ドアは丁寧に開かれて、丁寧に閉じられたので、パーゴスには、心なしかドアが喜んでいるようにさえ、見えてしまった。




 微動だにせぬままいたら、壁の辺りから、ジジッ、と聞こえた。見れば、キャンドルの背丈が無くなっていて、ちびた芯が、濃い煙で最期を語っていた。それを見るや、パーゴスの肩を存分に凝らせた重圧も、煙の如く、空間に溶け込んでゆく。彼女は珍しく、直近の椅子に雪崩れるようにして腰を落としてしまう。しかし町長は、机の引き出しを引っ張って、中から黒いパイプを取り出す所であった。それでも多少は動じているのだろう、彼の取り出したパイプは、いつもより径が太いもので、これを燻らせる時は即ち、彼がたくさんの煙を吸い込む事になるのだ。

 火が付く。ジリジリ、と燃える音がして、先端の火が生き生きとする。町長が球状に煙を吐き出したと同時に、オレンジ色が大人しくなった。

「しかし……」

 短い声と共に、町長の瞳に宿った鋭利さは、生ぬるい光に変化する。

「手放しでは喜べんな。いつ彼らが再びやってくるかと考えればな」

 コツンと灰皿の淵を叩いた町長は、二~三口程だけ煙を喫んで、それっきりである。言葉とは裏腹に、今の彼の表情にこそ、町の安寧が湛えられているようだった。彼と上手に誤魔化した事で、一旦はトラキアを退けたが、強欲な乱暴者達は、再びやってくるかもしれない。単純に言葉通りならば、そんな気持ちから、ゆっくり煙を燻らせる事も出来ないらしい。若干落ち着きのない彼を見て、パーゴスは、しかし淡々となだめる。

「目につく場所からとれるものは全て、町の人々の手で、定期的に隠す算段です。当面は、塔の奥から取るという事で良いでしょう。回収したものも、利用できます」

 町長が、フゥと息を吐いた。それは、揺蕩っていた煙の一部を掠めて、机上に散らす。

「それはどこに」

「広場の地下に隠しました」パーゴスの手元まで届いた煙が、触れる瞬間に、霧散した。

「手間が掛かるが、継続せねばな」

 言って、町長は立ち上がり、本棚に立てかけられていたトロフィーの一つを丁重な手つきで撫でた。

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