2.3 悪癖

 良く晴れている。今日も光の町は日光を至る所で反射して、黄金色に輝いていた。

 いつも書斎に引きこもっているパーゴスは、休日だって外に出る事はない。しかし、今日に限って彼女は、数日前に旧友と出会った一件から、気分転換を目的として町をぶらりとしている。

「あら異国のお嬢さん、今日はどうしたの? 珍しい」

 不意に野太い女性の声を受けたので、パーゴスはギョロリと、目玉だけを機械的にそちらに向ける。そこには、太ったおばさんがいた。

 パーゴスは彼女の事を知らないのだが、彼女はどうやらこちらの事を覚えているらしい。恐らく以前に、この女性が営んでいるであろう雑貨店で、自分は買い物をしたのだろう。流石は商売人だと、パーゴスは、おばさんの記憶力に脱帽した。

「本日は天候が良かったので、気分転換に町を歩こうと思ったのです。特に用事は――」

「そうかい! じゃあお供にいもチーズ買ってきな、一個おまけするから! あんたが町に出るなんて珍しいんだから、こういう時は年長者の意見を聞くもんだよ」

 まだ回答が終わっていない内から、それに野太い声を重ねてきた店主。しかも返答は、『そうかい!』で済まされてしまった。

 この太った女性の思考は、一体どういう構造なのだろうか、パーゴスにはさっぱりわからない。しかし、この女性が軍人であったら、間違いなく諜報関係で優秀な成績を残せるとパーゴスは思った。何しろ、町にあまり出ない自分の事を知っていて、しかもそれを目聡く発見し、大胆にも話しかける事が出来るのだ。

 更に言うと、全く嫌みな感じがない。もはや商売人の域を脱しているではないかとパーゴスは感心した。


 パーゴスの胸元に、酷熱の茶紙が押し付けられた。それによって、おばさんの事を熱心に考えていた彼女は、現実の世界に引き戻される。茶紙の中から、出来立てであるのか、大変食欲をそそる濃厚なチーズの湯気が出てきては、パーゴスの顔を襲う。

 どうやら、引けないらしい。


 しばらく沈黙していたパーゴスは、徐に小銭入れを取り出してから、幾らかを太ったおばさんに手渡した。

「あら、二個目はおまけ! 律儀に払わなくていーのよ!」

「しかし、そういう訳に――」

「うるさい子だね、氷みたいな声で。いいからおまけは貰っとくの。歳くったおばさんに一恥かかせるんじゃないよー!」

 またもパーゴスの声は、回答を終える前に、野太いそれにかき消されてしまった。しかもパーゴスの胸元は、ものは違うが、再び小銭を押し付けられる。どうやら太ったおばさん店主は、どうしてもお金を受け取らないという意志を表明したいらしい。否、それを貫いた。

 そんなおばさんは、パーゴスを『氷みたい』と評した。

 その台詞は、パーゴスに妙に引っかかる。かつての旧友も、パーゴスにそのように言っていたからだ。

 言われたように、自分が氷の如く冷たいといった客観的な視点を、パーゴスは理解できない。だから、考えても仕方がないと諦めるのに、そう時間はかからなかった。


「ありがとうございます」

 パーゴスは頭を下げて、太ったおばさんに背を向けた。熱々のいもチーズを頬張りながら、彼女は町の中心に位置する、広場へと向かった。




 広場は、商売人が集う通りと比べて、些か活気に劣る。だが、小さな子供だったり、商売人に下へと荷物を運ぶ木の車だったりが行き交うから、相応には、騒がしかった。

 手近なベンチを見つけて、パーゴスはそこへと腰かける。そして、手元のいもチーズへと、視線を落とした。

 茶紙が押し付けられた感覚が蘇って、立て続けに、おばさんの姿が頭を掠める。


 よくよく考えたパーゴスは、太ったおばさんが『苦手』だという結論を下す。人間臭いというか、業務に対しての姿勢がずさんというか。だから、『苦手』だと思うのだろうか。

 しかし、おばさんは確かに、商売が得意であろう。だから、人間臭さとは、仕事に対して少なからず必要なのかもしれない。


 そこまで考えて、これ以上頭をひねる事は無駄だと、パーゴスの頭が思い至る。ばかばかしい事を考えてしまったと、少々自責した彼女は、二個目のいもチーズはゆっくりと味わおうと、残り少ない一個目を、がむしゃらに口へと押し込んだ。


――それにしても、あの少女は。


 ブルブルと頭を振るって、またも自身の脳内に浮かんできた考え事を、パーゴスは強制的に振り落す。彼女は、一回考えだしたら止まらないという自身の悪い癖を、しっかりと理解している。だからいつも、こうして頭を振るう事で、思考も一緒に振り払うのだ。

 とにかく今は、”紫色に光る少女”の事を考えても、仕方のない事なのだ。




 結局、パーゴスは書斎に戻っていた。

 しばらく広場に座っていたのだが、いもチーズを完全に食べ終えた辺りから、彼女はどうしても”紫色に光る少女”の事が気になりだして、しかたがなかった。だから、すぐに書斎へと引き返してしまったのだ。

 遠くで漂う煙が、ぼんやりと見える。

 書斎は、キャンドルの明かりしかない為にかなり薄暗く、町長たる人物の職場である為にかなり広い。だから町長が同室に居たとしても、パイプを吸っている彼の煙は、彼女の鼻につくことは無かった。


「で、だ。あの紫に光る少女が、塔の主であると?」

「明瞭です。”銀の塊”は、紫に光っています。同じ光を放つ彼女は、その本質的な何かなのでしょう。我々は銀の塊の恩恵を受けて生きているのですから、仮に彼女が塔の主であれば、彼女は我々にとって神に等しい存在であると言えます」

 書斎では、たった二人での会議が、幾度も行われている。しかしそれは、例外なく平日である。その為、休日の今日に、職場に集まって会議が行われる等という事態は、極めて希有なケースだ。

 町長はパーゴスの話を聞いてから、しばらく何かを考えていた様子であったが、その内に「なるほど」と発言をしたので、パーゴスは次の話題に移る。


「トラキアから来た愚か者達の事で――」「出身国を愚者呼ばわりか、君も容赦がないな」

 パーゴスは、老人に話の腰を折られてしまったが、業務であるから、一切感情を表に出さないで、少しだけ沈黙して、場を停滞させた。それから、彼女は再び口を開き直す。

「彼らに容赦など、考えられない事ですので。後手に回れば回る程に、紫に光る少女は彼らの手中に近づいて行くのですよ?」

 老人は、パイプの先に詰まった赤く光る種を、鉄の器の中にコンコンと叩くようにして落とした。それから、再びパイプに葉っぱを詰め始める。

 どうやら彼はパーゴスの話を片手間に聞いている様子であったので、パーゴスは返答を待たずして続ける。

「トラキアの軍人達は、銀の塊の発掘を止めないでしょう。ですが、銀の塊が塔から取れなくなる事は過去に無かった事です。それなのに、銀の塊が取れる箇所が縮小しているのは、紫に光る少女が塔の外に出たからだと考えられます」

 パーゴスの論理を聞いてから、老人は一瞬の間、停止した。それからすぐに鋭い眼光を彼女に向けてきて、静かに言う。


「で、君は。どうするのだ。……いいや。どうしたいのだ。ズーが町の人間に紫に光る少女の事を話してしまったのだろう? その時点で、町の中では、紫に光る少女は神となった。そんな少女を、トラキアの連中がうろつき回る塔に戻すというのか」

 断じて、町長の言った通りにするつもりは、パーゴスにない。だからこそ彼女は、老人の言わんとする事を反芻して、回答する。

「つまり、町の全員の意見は一致していると考えてよろしいですね? ズーは恐らく、トラキアの連中の目から、神であろう少女の姿を隠してもらいたくて、町の人々へとリークしたのでしょうから。神を野蛮人に差し出す程、我々は愚かでないという事を、ズーは知っていたのでしょうね」


 ズーは、聡い。パーゴスは、認めざるを得ない。

 光の町は、塔から取れる白銀の塊の恩恵を受けて生きてきたから、人々の中では、塔自体が信仰されて然るべき存在なのだ。また人々は、不可思議な白銀の塊が塔から取れる事を知っていて、かつ、それが紫の光を放っている事も知っている。

 つまり、それと同じ光を放つ少女が居るとなれば、光の町の人々の誰もが、信仰の対象――神そのものだと、疑わない。ズーはそれに気付いたのだろう。彼女は、町の住人の信仰心を利用する事で、神たる少女を、トラキアから守ろうと思ったに違いない。

 実際町の住人は、トラキアや光る少女にさえ、神がいる、という話をしていない。つまり人々は、それほどまでに塔や不可思議な力、そして神に対する信仰心が強いのだ。

 もっとも、当たり前の話ではある。この町は、塔に寄り添って生きてきたのだから。


 しばらく、町長たる老人は、パイプを燻らせていた。それをパーゴスは黙って見守っていたが、老人がにやりと口元を綻ばせたのを見て、思わず、つられてしまう。氷のように冷たいとはよく言われるが、この状況に至っては、彼女が私情を溢れさせる事は、止められない。

 とにかく、町長が鎮座するこの書斎で、町の住人の為に、彼らの心の拠り所たる、たった一人の少女を守ろうという事が決定された。だからパーゴスは、ひとまず安堵を噛みしめる。仮に塔から不可思議な力が取れなくなったとしても、町の住人の塔は、なくならない。少女が彼らの塔であり続ければ、良いのだ。

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