1.3 お別れ

 ノーヴは、エズラの後に続いて、ガヤガヤとした光の町を歩く。ふと来た道を振り返れば、遠くの少し高い辺りに丘があり、その後ろには真っ白い塔がちょこんと生えているように見えた。先ほどまでは、植物がそこかしこに生えた、遠くに見える丘にいたのだが、光の町の話とか、『へファイスさん』の事とかを聞きながら歩けば、あまり時間が経ったようには感じなかった。

 光の町には、色々なものが溢れている。右を見れば、石でできた建物が行儀よく整列しており、左を見れば、雑多なものが並んだ場所へと、人が集ったりしている。あらゆる場所には色がついており、遠くから見た黄金に輝く町の全ては、ノーヴにとって新しい事だらけだった。

 頭を左右にふって、周りの様子を興味津々に眺めていた彼女は、「こっちこっち」と大きな声で呼ぶエズラの方に目を向ける。すると彼は、初めて出会った時とはまるで変わって、大きく手を振りながら、上へ上へと飛び跳ねていた。

 ノーヴは彼のところへ少し急いで近づいて、「人がいっぱいいるのに、変なの」と、彼に言った。どうやらエズラはそれを理解できなかったらしく、じっとこちらを見て考えている様子だ。それだから彼女は、「なんでもないよ」と二の句を継いで、大人しくなった彼の手を握った。

 腰が引けてないのは、彼らしくないと思う。

「工房は、どっち?」

 ノーヴは周囲を見渡しながら、エズラに聞いた。

「あ、うん、こっち……だよ」

 エズラの言葉が随分引っかかっていたから、ノーヴは思わず彼の顔を見た。すると彼は、驚いたような、笑ったような、判断のつけ難い変な顔を見せた後に、さっと続く道の先を向いてしまう。だから彼女はどうして彼が変な顔をしたのか気になったが、彼は自分と違うから、腰が引けてたり変な顔をしたりするのだろうと納得して、特に何も言わない事にした。大きく手を振る彼よりも、変な彼の方が、ノーヴのイメージにぴったり合う。

 とにかく、彼の手を握っていれば安心なのだろうし、工房とやらにつくまでは、まだまだ楽しい光の町が見まわせそうだったから、ノーヴはつい気持ちが高鳴って、つい握る手に込める力を強めてしまった。




 色々な場所を見ていたノーヴは、町に溢れる活気を、少し羨ましく思った。もしも今に至るまでが光の塔でなく、様々な色がひしめき動くこの町にいられたら、どんなに楽しかっただろうと、孤独だった自分と重ねて、少し悔しく思ったのだ。

 そんな事を考えていたら、エズラの歩みがぴたりと止まる。ノーヴはすんでのところで、彼の背中にぶつかりそうになってしまった。

 彼が止まった場所は、うるさい。町の活気とは少し違う騒々しさだ。ガチンガチンと、耳を乱暴に叩くような大きい音が継続的に聞こえるから、ノーヴは耳を塞ごうか、少しだけ迷う。

「ここが、工房だよ」

 エズラは、目の前にある横長の建物を見ながらそう言って、ノーヴの握る手から、自分のだけを器用に素早くひっこめた。彼曰く、この横長の、ガチンガチンとうるさい建物が工房というらしい。こんなうるさい場所に連れてきて、彼は何を見せてくれるのだろうかと、ノーヴは疑問を抱きつつも、期待に胸が膨らむのを感じた。

「今日、休日なのに……」

「休日って、なに?」

 またエズラは、知らない言葉を使っていたから、どうしても好奇心を抑えられずにノーヴは聞く。しかし彼はそれに答えず、そろりとうるさい音のする方向へ、こちらも見ずに進んでいってしまう。だからノーヴは、ここでも新しい感情を思い出す事が出来た。

 ノーヴの記憶が正しければ、それは、憤りだ。

「エズラ! どこいくの!!」

 大きな声を出したから、エズラはこちらに顔を向けたのだろう。それも、際立って妙な動きで、ノーヴが見たこともない素早さで。そうして彼は自分の口元に指先をたてて、何やらあたふたとしだした。彼は、何かを伝えようとしているらしい。よく見れば彼の顔は、塔から出る直前のそれとよく似ていたから、ノーヴに喋らないで欲しいのだろうと、彼女はすぐに理解できた。

 それからノーヴはしばらくむっとしていたが、横長の建物の角に向かってカクカクとした変な動きで近づいてゆくエズラを黙って見ていたら、なんだか面白くなってきてしまう。だが、多分エズラは自分に静かに待っていて欲しいのだろうから、彼女は笑いそうになるのをこらえるのに、必死だった。笑うという行為は、面白さから、無意識にやって来るものだったと、ノーヴはようやく思い出した。


 微動だにせず、彼女が必死に笑いと攻防を繰り広げていると、エズラは横長の建物の角にゆっくりと近づいていって、とうとう姿を隠してしまう。それとほとんど同じ頃に、先ほどから耳に突き刺さってくる甲高い音が止んだから、ノーヴは彼が何かをしたのだろうかと思った。しかし、いつまでも棒立ちしていると、いくら未知の外界といえども、退屈してくる気持ちを抑える事は、難しくなってくる。

 だからノーヴは、とりあえず静かにしていれば、何をしていても良いだろうと判断して、目の前にある横長の建物――彼のいう、工房に入る決心をした。正面に入口らしき通路が見えるのに、なぜ彼が回り込むようにして姿を隠したのかを、ノーヴではわかりそうになかった。

「なんだ嬢ちゃん、何か用か?」

「ひゃっ!」

 直近の真後ろから、野太い声が降ってくる。その声が余りにも大きかったから、ノーヴは一驚を喫して、つい突飛な声を上げてしまった。

 この経験は、初めてだったかも知れない。

 慌てて真後ろへ振り返ると、手が届きそうな距離に、彼女を二回り大きく、太くしたような人が、大きな腕を、胸の辺りで上手に組んで、立っていた。上手にというのは、組んだだけで弾けそうなくらいに窮屈な腕を『組めている』事だ。

「あ、あなたは、何?」

 ノーヴは少しだけ後ずさって、大きな人のゴツゴツした顔と腕を交互に見ながら、聞いた。

「何ってもなぁ。嬢ちゃん、工房に用事か?」

 ゴツゴツの顔は、向かって右の眉毛を豪快に歪めた。意図が分からなかったから、ノーヴはわざとらしく頭を左右に振り乱して、否定する。眼前で怪訝そうにする人に対して、何を否定したかったのか、彼女自身もわからなくなってしまった。

「なんだ嬢ちゃん、はっきりしねぇなぁ」

 ゴツゴツの人は首を傾げる。ノーヴだってそうしたいところだ。

「どうした?」

 工房の入口――奥の方から、別の声が聞こえてくる。その声の主は、ノーヴが心中であたふたとしている間に、姿を現した。

 女性だった。頭に乗った何かは、女性の顔に影を作っていたが、怖いよりも、格好良いという印象の方が強いと、ノーヴに思わせる。少なくとも、ビクビクとしているエズラよりは。

「薪取ろうとしたら、このお嬢ちゃんがいたんだよ」

 ゴツゴツの人はそう言って、ノーヴの横をノソノソとすり抜けてゆく。向かった先は、植物の死骸が山積みになって、茶色い塊のように見えるところだ。

「珍しいな。とても狩り人には見えない。大方エズラのガールフレンドか何かだろう? ……なぁ、エズラ?」

 女性はエズラの名前を口にしてから、工房の脇に、頭だけを向けた。すると脇からドタバタと音が聞こえてきて、それからエズラが転がって出てきた。

「脅かさないで下さい! それからガールフレンドじゃないですよ!」

「女の子の友達を、ガールフレンドと言うんだろう?」

 なぜか慌ただしくするエズラを見て、女性はニヤリと笑いながら頭に乗っかる何かを弄って、工房の壁に寄り掛かり、向かって右の足を壁にくっつける。それからエズラは何も言わなくなってしまった。

「休みに工房にくるなんてなぁ。手伝いにくるとは感心だ。ガッハッハッハ!」

 ゴツゴツの人は大笑いしながら、細い植物の死骸をまとめて肩に担ぐと、そのまま工房の奥へと消えてゆく。それを見ていた女性とエズラも、あれこれと言い合いながら奥へと歩んでゆくから、とりあえずノーヴも彼らの後に続く事にした。




 工房の中には、様々なものが転がっていた。例えばエズラと女性が腰かける四本足の物体だったり、ゴツゴツの人が担いでいった植物の死骸だったり、橙色に揺らめく大きな穴だったりだ。勿論ノーヴはそれらを初めて見たから、どのように使われているのか、何のためにそれらがあるのかに興味が湧いてきて、大人しく観察していた。

「おい君、こっちに座れよ」

 腰かけている女性はそう言いながら、頭に乗った何かを置いて、四本足の物体をノーヴの方に差し出した。ノーヴは、女性が自分と同じように腰かけろと言っているのだろうと察して、差し出された四本足の物体をつかんで、自分のお尻にあてがう。不思議とそれは、ノーヴの体を丁度よい塩梅で支えてくれた。

「君は何ていうんだ?」

「こ、この子はノーヴっていうんだ、僕の友達だよ」

 聞かれたのはノーヴだったはずなのに、なぜかエズラが答えた。なぜか、彼の言葉には覇気がない。

「ノーヴ、君はどこから来たんだ?」

「――!」

 突然、エズラが目をまん丸くして、女性の方を見つめる。そのまま背筋をピンと伸ばして、彼は動くのを止めてしまった。女性はそちらに一目もくれず、ノーヴの瞳を真っ直ぐに見つめる。

「私は、石の遺跡から――」「遺跡の方から来たんだよ!」

 ノーヴが女性に返そうとしたら、エズラの大きな声が重なってくる。だから少しだけむっとして、ノーヴは彼の顔を上目で睨んだ。すると彼は気付いて、自分の頭の後ろを抱えて、「ハハハ……」と、貧弱な笑いを見せた。エズラはやっぱり、変な人だ。しかし女性は相変わらずで、ノーヴの瞳をずっと覗き込んでくる。エズラにはお構いなしといった感じだった。

「遺跡って、塔の方から来たのか?」

 ノーヴは頷いた。

「そう、ずっと塔にいた。エズラに連れてきて貰った」

「――そんな事だと思ったよ」

 女性は目だけを動かして、揺らめく橙色の前に座っているゴツゴツの人を見る。釣られてそちらに目をやれば、ゴツゴツの人と目が合ったから、ノーヴはちょっと怖くなって、女性の方に向き直った。すると女性は顎でこちらを指している。どうやら彼女は、ノーヴの足元に注目しているようだ。

 だからノーヴは頭を垂れて、女性が指した、自分の足元を見る。すると、影の部分をうっすら染める、薄い紫色が目に飛び込んできた。

 それはいつも通りで、何もおかしな事はなかった。


 ゴツゴツの人が、橙色の揺らめきの前からノソノソと歩いてきて、四本足の物体を引き寄せると、ノーヴの正面に豪快に腰かけた。それから太い指を器用に組んで自身の脚の上に置いて、短く息を吐いてから、ゆっくり口を開く。

「何てこった……。嬢ちゃんは塔の主だとでも言うのか」

 女性も、ゴツゴツの人も、ノーヴをじっと見つめて、しんみりとした様子だ。エズラでさえもそうだから、ノーヴはなぜ彼らが沈んでいるのか、理解に苦しむ。

「塔の主って、何? 私はエズラと工房に来ただけ。どうしてエズラは何も言わないの?」

 ノーヴが言うと、皆が一斉にエズラを見る。彼はそれから逃れるように地面へ目線を落としてしばらく黙り込んで、それから頭を上げた。

「僕は塔に入って、ノーヴと出会ったんだ。寂しそうにしてたし、きっとノーヴは外の世界を見たことがない。だから、色々なものを見せてあげようと思ったんだよ」

 エズラの声音は、先ほどと違って幾らかしっかりとしたものだった。だからノーヴは、彼にらしくもない頼もしさが宿った事に、少し驚いて彼を見る。心なしか、彼は女性のように、格好良く見えた。

 それから長いこと、静かだった。

 工房は、橙色の揺らめきの中でパチンパチンと何かが弾ける音だけが、継続的に聞こえていた。音はなぜか、消沈している場の雰囲気を和ませようとしているのだと思えた。

 女性は自分の口元を触りはするが、しかし、どこも見ていない。ゴツゴツの人は、その見た目にそぐわず、エズラを見たり、ノーヴを見たり、忙しない。

 しばらくして、ようやく口を開いた。それは、ゴツゴツの人だった。

「正直、俺は驚いてる。まさか神様が工房に来るなんてなぁ。しかしまぁ、縁起が良いってもんだ! ガッハッハ!」

 神様という言葉の意味を、ここに来るまでにエズラから聞いていたから、ノーヴは自分の事を言われているのだと理解できた。ゴツゴツの人がなぜ笑ったのかは、ノーヴにはわからなかったが。すると女性も口元だけニヤリと笑って、「じゃあ、エズラが責任もって、色々な事を教えてやらないとな」と、エズラの方に目を向けた。

 当のエズラは、目を大きく見開いた直後に満面の笑みを浮かべてから、ノーヴの方を見る。

「わかってます!」

 いつの間にか、重くなって消沈しきっていた場の雰囲気が、明るくなったのを感じた。だからノーヴはエズラの満面の笑みを受けて、エズラは神様よりも優れているのではないだろうかと思った。




 ノーヴは、エズラと共に工房を後にしてから、しばらく町のあちこちを歩き回ったり、彼がいつも食べているという『いもチーズ』という食べ物を貰ったりしていた。それから、町の中心辺りであるという広場のベンチに座って、二人で食べている。

 茶色の紙袋越しに握ったいもチーズへ視線を落とすと、絶え間なく湯気が立ち昇ってきて、鼻を湿らせた。それがこそばゆくて、ノーヴはいもチーズを顔から遠ざける。すると、自分の手が視界に入った。 

 光の町が明るすぎたからか、不思議と、自身が放つ薄い紫の光は全く見えない。周囲の景色と同じく、ノーヴの紫は黄金色に塗りつぶされてしまっているようだ。だからノーヴは、いつから纏っていたのかも知らぬ白い衣を大きく捲って、肌をくまなく観察したのだが、何度見ても、結果は同じだった。

 どうやらこの町は、光る神様よりも明るいらしい。

「どうしたの?」

「この町は、不思議な事ばっかり」

「工房とか?」

 エズラが工房というから、ノーヴは帽子をかぶったズーという女性や、ゴツゴツのへファイスという男性を思い出す。

 未だに、へファイスがあのゴツゴツの人であったという事実が、ノーヴには信じられない。何しろ彼は、エズラが言うよりも頑固でなく、色々な事に詳しく、見た目によらず楽しい人であったからだ。

「へファイスは、ゴツゴツだけど面白い人だったね」

 かなり熱いいもチーズを少しだけ口に含みながらエズラの方に顔を向けると、彼は苦い顔をした。

「今日はたまたま、頑固じゃなかっただけだよ」

 エズラがそういうのだから、そうなのだろう。しかしそれを聞けば、頑固なへファイスがどうなのか、気にならなくもない。

 だからノーヴは頑固なへファイスについて聞かせてもらおうと思ったのだが、エズラは苦い顔をしたまま口元だけ笑って固まっていたから、質問をやめて、とりあえずはいもチーズを頬張る。

 いもチーズは、味が良かった。

「おいしい?」

 エズラは、若干苦い成分が残る顔でそう聞いてきた。

「おいしいって、何?」

「いもチーズの味、好き? ってこと」

 おいしいという言葉が少しも記憶に残っていなかったから、恐らく今まで、おいしいと感じた事がなかったのだろうとノーヴは思う。人々は生きる為に食べるそうだが、ノーヴはそれをしなくても生きて来られたのだから、当然といえばそうであるが。

 少しだけ残っていたいもチーズを一口で頬張ってから、エズラの方へ頭を向け、「好き! おいしい!」と言うと、なぜか彼は笑った。

 だからノーヴも、一緒になって笑った。


 しばらくして、ゴーンと、突然空が泣いた。

 それはとても重く、低い音で、長い時間響きながら周囲の音を塗りつぶしてゆっくりと消えてゆき、再び姿を現す。ノーヴが音の正体に気付いたのは、町に雑音が戻り、周囲を見渡したからだ。

 ベンチから二〇〇ヤードほど離れた、光の塔に似た形で、しかし、それよりも遥かに小さい建物のてっぺんにある大きな金属の塊から、音は聞こえていた。

「エズラ、あれは何?」

「そろそろ帰らないと」

「どうして」

 エズラは、小さな塔の正体と、金属の塊について答えてくれなかった。その代わりに彼は、「鐘が鳴ったら帰らないといけないんだ」と、小さな声で言う。

 心なしか、彼から元気が抜けていってしまったように見えた。

「あれは鐘っていうんだね」

「うん。あの鐘は、夜が来る事を教えてくれる鐘なんだ。夜が来たら、家に帰るんだ」

 エズラはベンチから素早く立ち上がって、ノーヴの手を取り、優しく引っ張ってくる。だからノーヴは身を任せようとしたのだが、どうしてか、立ち上がる行為を厭わしく思ってしまい、躊躇う。するとエズラはノーヴの顔を見て、悲しそうに微笑んだ。

「また、遊びに行くよ」


 この時ノーヴは初めて、世界には別れという、どうしようもなく悲しい概念があり、それに抗う事はできないのだと、知った。耐え難い悲哀に打たれている心を、理性でぐっとこらえて、ノーヴは立ち上がる。そうしてエズラに導かれるように、不思議と重く感じる足で、黄金色の中を、白くて真っ黒な塔へと歩んだ。

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