第2話 僕と母の番

家の前についた。

家、といっても一軒家じゃなくてアパートだ。

マンションなんて嘘でも言えない、ボロの県営住宅だ。

学校からの帰り道、道行く人は僕たちを怯えた目で見る。

下校中ももちろん『クロいの』の恫喝は止むことがなかった。

僕は半べそをかきながらアパートの階段を上る。

「たらたらすんなオラァ!」

『クロいの』が一階と二階の間で叫ぶ。

ホント、ヤメテヨ。

二階の203号室。

ゴンゴンゴンゴンゴンゴン、と『クロいの』は扉を叩く。

「開けろ!早く開けろ!」

知性があるのか、それともオウムみたいに暴言を意味を理解せず喋っているのかわからない。

「ボロいな!」

ゴンゴンゴンゴンゴンゴン、暴言を吐き続けながら、白いG-SHOCK を巻いた右腕で扉を殴り続ける。

僕の家だ。誰が何と言おうと僕の家だ。

「ただいまぁ」

返事はない。

母はおそらく昼寝でもしているのだろう。

母が起きるまでに、それまでに『クロいの』をどうにかしないと。

「どけっ!」

『クロいの』は僕を押し退け、家の中にズカズカ入っていく。

もちろん『クロいの』は靴も履いていないので床に泥を付けながらリビングに向かっていた。

家を汚すのは許せない。いくら『預かりもの』でも、許せない。

「おい!か、勝手に家にあがるなよ!」

僕は『クロいの』に向かって叫んだ。

相手は身長は低いが、妙に筋肉質だし、牙や爪も生えている。

喧嘩になったら確実に負けるだろう。

「あ?」

『クロいの』はこっちを睨んで───

  


気がつくと床に倒れていた。全く何が起こったのかわからない。

僕は頭がいい方ではないので、考え事は苦手だが、必死で状況を理解しようとする。

自分の腕時計を見ると、夜の11時を回っていた。

僕の手や服に、真っ赤な血がついていた。

『クロいの』に殴られたのか?

まわりを見渡すと、ひどい有り様だった。

僕の横には血まみれの調理器具が散乱していた。

窓は割れ、床には電話の子機が落ちており、壁には真っ赤な手形が無数についていた。

誰の手形かはわからない。『クロいの』では無いことはわかるが。

重い体を起こし、僕はリビングへ向かった。

リビングに『クロいの』はいた。

「よう、やっぱテメーはダメだよな。何やっても。ルールすら守れない」

『クロいの』はそういうと、口から赤い唾を吐いた。

唾は『クロいの』の横にある母の洋服にかかった。

洋服、じゃない、『クロいの』の横に倒れているもの──

「母さん!?」

血まみれで倒れている、母の姿を見て、思い出した。

デジャヴ───


小学三年生の時、父が母を包丁で刺し、逮捕されたこと。

父の時計は、あの白いG-SHOCK だったこと。

父の言うことを聞かないといつも殴られたこと。

それ以来、僕は自分で考えることを止め、人の言いなりになったこと。


僕と母さんは引っ越し、このアパートで二人で暮らし、母は時に僕を殴った。

言うことを聞かないと、いつも殴った。最近は、母に彼氏ができて、家につれてくることが増えた。

彼氏はちょっと乱暴で、僕はいつも痛い目を見るようになった。

やっぱ僕は邪魔だよね。


僕は右腕につけている白と赤のG-SHOCK を外し、布団を引っ張り出した。


いつの間にか『クロいの』はいなくなっていた。

いや、『クロいの』なんてもとからいなかった。

校長先生が僕らに渡したのは『鏡』だった。

手のひらサイズの手鏡で、持ち手が革でできている、上等な鏡だ。

この学校に伝わる風習で、人の振り見て我が振り直せ、じゃないけど、新入生は鏡で自問自答し、意思を固める。鏡をクラスで回すことで、コミュニケーションが生まれる。

自分のやりたいこと、弱点、良いところ。

それらを見てください、と校長先生は言っていた。

この鏡を化け物と呼んだのは、この鏡は心を映すんだって。僕みたいに人間以外が見えることもあるんだって。


母を見ると、何かに覆い被さっていた。母を足でどかすと、そこには歯が抜け、眼球が無い母の彼氏がいた。





僕は寝た。

母の生死も確認せず。疲れた。憑かれた。


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