第3幕 美少女忍者の前に妖艶なる悪女が立ちはだかる

1場 ルネッサンスコード・『ミザントロオプ』

シーン1 中二病忍者のセコいトリック

 その次の日。

 火曜日の放課後のことである。

 瑞希は高等部の屋上で玉三郎に詰め寄っていた。

「何であんなことしたのよ!」

「いや、面白いかな、と」

 詰め寄られるのと同じ間合いを取って、玉三郎は弁解した。

「ええ、面白かったでしょうね、あんたには!」

「亜矢センパイも面白かったかと……」

「あたしにはち~っとも面白くなかったわよ、何あれ!」

 稽古場まで様子を見に来た瑞希が見たのは、部員たちにもみくちゃにされている冬彦と、それに拍手喝采を送っている玉三郎の姿だった。

 そこへ晴天の霹靂の如く、どこからともなく轟いた「お前ら何やっとるか!」の怒号。

 これこそ、「叫名羂索術きょうめいけんさくじゅつ」。

 名前を叫んで相手を動けなくすることができる。

 半分は咄嗟の判断で、半分は感情に任せて、瑞希が使った術であった。

 稽古場にいる全員が呆然としている隙に、玉三郎は一瞬で拉致された。

というわけで、彼はここで今、こうして悪事を追及されているのだった。

 無論、悪びれた様子は全くない。

「見学に行ったんだけど」

「何であんたが兄貴に拍手喝采してんのよ」

「いや、面白かったから」

 瑞希の手のひらから放たれた鎖は、紙一重の差でかわされる。

「部員に袋叩きだったじゃない!」

「演技がウケてたの!」

 そう言いながら玉三郎は身構えたが、鎖の第二撃は飛んでこなかった。

 代わりに空からまっすぐ降ってきた瑞希の肘打ちは、軽くのけぞった鼻先をかすめる。

「顔はやめてくれよ」

 その抗議の声は、忍びがナニ甘えたこと言ってんの、と軽くいなす瑞希には一切届いていない。

 玉三郎は腕一本離れた距離で半身に構え、牽制の手のひらを突き出す。

「まあ、熱くならんで人の話を聞くクセつけようぜ」

 無駄な時間1分につき1発殴るわよ、と瑞希が握った小さな拳をじっと見つめながら玉三郎は語った。

「昼休みに、冬彦さんに会いに行ったんだよ」

 玉三郎にとっては、昨日知り合ったばかりの相手である。

 なぜ馴れ馴れしくも名前に「さん」付けするかというとツッコみには応じないで話は続く。

「帰りの邪魔したの謝ったら、許してくれたよ」

「というより覚えてるかも怪しい」

 そんなまぜっかえしなど、玉三郎は問題にしない。

「それでもいいんだ、きっかけ作りだし」

「何の?」

 にやりと笑う。

「台本さ」

「だいほん?」

「これさ」

 瑞希の目の前でちらつかされた紙の束は、手に取ろうとしたところで玉三郎の懐に戻る。

 だが、その動作は既に瑞希に読まれていた。

 玉三郎の首筋に、逆手に握った鍼が突きつけられている。

「渡さないと、ここで金縛りにするからね」

 吉祥蓮の鍼は本来、人の病を癒すものだが、その気になれば相手の身体の自由を奪うこともできる。

 玉三郎は頬をひくつかせながら、無言で台本を差し出した。

 鍼を持つ手はそのままに、瑞希は片手で受け取る。

「何でこれがここにあるの?」

「それ、ダミー」

「偽物はあんたたちの十八番かも知んないけど」

 微かに、鍼のモーションを付ける。

「何のつもり?」

「説明するから鍼どけて」

 上ずった声が哀願する。

 玉三郎に背を向けて、瑞希はパラパラとページをめくった。

 その背後から、安堵の息と共に弁解が始まる。

「是非ってお願いしたら、貸してくれたんだ」

「そもそも放課後まで用がないよね、兄貴には。それ」

 セリフを追いながらの、気のない返事である。

だが、玉三郎は腹を立てる様子もない。

「綴じ紐ほどいてコピー取って、ページは差し替えた」

「何と?」

 瑞希の手が止まった。震えているのを見ると、むしろ怒っているのはこっちのようだ。

「自分で書いたページ」

 ワープロ打ち、B4二つ折、タコ糸で固く綴じられた台本である。

 字数行数空白サイズ、全く同じ書式で、台詞もト書きも前後のツジツマを合わせないとできない芸当である。

 昼休みから放課後までの間に、その上にまた授業を挟んで、いつ、どうやって原稿をパソコンあるいはスマートフォンに打ち込み、印刷して綴じ込んだのか。

 それも忍術と一言で答えられればさしもの瑞希も返す言葉がないだろうが、玉三郎はそのプロセスを得々と語った。


 ――元の原稿は、昼休み中に「宿題提出に間に合わないんです~」と教員に泣き落としてコピーを取ってもらう。

 そこは鳩摩羅衆の忍術、教員などにウソと見抜けるわけがない。

 ニセ原稿は書式を確認した上で、スマートフォンに打ち込む。

 授業中は、顔を教員に向けたまま、右手でノートを取る。

 左手はポケットの中のスマートフォンをブラインドで操作する。

 データ印刷は、休み時間に再び、「宿題提出に間に合わないんです~」と別の教員に泣き落とし。

 スマートフォンから直にプリントアウトして、その教員を使って二つ折にする。

 どこから見ても、シェイクスピア原作の立派な台本である。

 他人の授業内容などいちいち確認してはいない教員などに、私用とバレる心配はない。

 放課後には稽古場を訪問。

 何食わぬ顔で冬彦にニセ台本を渡せば「任務」完了である――。


「よくもまあ、そんなセコい手を」

 瑞希の手も声も震えているのに、気づいているのかいないのか。

 玉三郎も忍者集団のひとりのはずだが……。

 そこは鳩摩羅衆だから、という答えがあっさり返ってきた。

「秘法……」

 そこで、センス最悪の忍術ネーミングは遮られた。

 怒りを抑えるかのように、瑞希の冷ややかな皮肉が浴びせられる。

「凄い才能じゃない。ニセとはいえ、セリフまるまる書いちゃうなんて」

「いやあ、それほどでも」

 謙遜している場合ではないのだが、玉三郎は得々としゃべり続ける。

「ネタ本があったから」

 モリエール『ミザントオロプ』、と題名が告げられた。

 何それ、という冷めた問いに、解説が単純明快に告げられる。

「主人公はアルセストという貴族の若者。愛と正義を信じるあまり、社交界の偽善を毛嫌いしている。まあ、いわゆる中二病だね」

「その口で言う?」

「何のこと?」

「ごめん、お話のジャマしちゃって。続けて」

 バカ丁寧なリアクションに込められた悪意に気づいているのかいないのか、フランス古典主義の傑作についてのレビューは続く。

「このアルセストには、恋する相手がいる」

「あんたには?」

「え?」

 玉三郎も、からかわれたとは気づいていないようである。

「別に」

 瑞希はページをめくり続ける。

 次のリアクションまで、しばしの沈黙を要した。

「もしかして、聞いてない?」

「やっと分かったんだ」

 答えがしれっと返ってくる。

 だが、おちょくられたと分かっても玉三郎には怒る気配がない。

 話はすぐに本題に戻った。

「放課後、冬彦さんに返したのはニセの方だから」

 そのニセモノに目を通し終わった瑞希は、ページを静かに閉じた。

 胸に当てて目を閉じたまま、静かにたしなめる。

「で? あんな騒ぎになるのは分かっていたでしょ?」

「侮れないね、葛城亜矢」

 視線と話をそらす玉三郎に、爆発した感情が罵声となって飛んだ。

「話そらさないで!」

「あ、俺?」

 瑞希と向き合ってはいるが、そのまなざしは軽く流されていた。

「あんた責めてんの、あんたを」

 詰め寄るのと同じ間合いでさっさと逃げる玉三郎も、答えることには答える。

「まあ、確かに俺が仕組んだことなんだけどね」

「きちんと説明して」

 捕まえられないくせに、態度だけは強気である。

 玉三郎にしても、逃げようと思えば逃げられる距離を取ってはいる。

 それなのに、瑞希の無茶な要求にはきちんと応じているのだった。

「じゃあ、台本の偽ページ読んでみてよ」

 そう言われて瑞希は立ち止まり、再びセリフに目を通す。

「ジョンのセリフ、声出して読んでみて」

「え……」

 まごつく瑞希に、催促の声がかかる。

「何があったか知らないだろ?」

「まあ、全部ってわけじゃ」

「再現してみせるよ」

「どうやって?」

「劇中劇さ」

 え、と瑞希が尋ねる間もなく玉三郎の手がパンと鳴った。

 瑞希が台詞を読み始めると、他の人物の台詞は玉三郎が受け持つ。

 そこは鳩摩羅衆も忍者集団、一度見ただけで劇の台詞を覚えてしまうくらい何でもない。

 玉三郎はジョンのたどたどしい独り言を絶妙の間で受け、遠く離れたキャピュレット邸にいるジュリエットとの軽やかな対話に変えていく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る