“闇”の過去 sideリヒト (後編)



「私、何もしないよ? ……殺したりなんか、しない」


聞こえてきた言葉は、耳を疑うようなものだった。


歪んでいた世界が、徐々に元の形に戻っていく。

その世界の真ん中に立っていたのは一人の少女。


その目は、見た目にそぐわないほどに堂々としていて、そして真っ直ぐに俺を見ていた。


その目を今でも俺は覚えている。


静かに燃える強さと温かい優しさを湛える瞳。

そして、何も知らなそうな純粋さと、全てを知り尽くしているような鋭さを持ち合わせていた。


「……本当、に?」


気づけばそう口にしていた。

すると彼女は少しも迷うこと無く、真っ直ぐに俺を見つめたまま言う。


「本当。私、嘘つかないもん」


俺はその目に、言葉に、どこか圧されるようにして向けていた手を下ろした。


すると彼女は一歩、俺に近づいてくる。

反射的に一歩後ずさるが、俺はそこで足を止めた。

彼女から一切殺気を感じないことに気づいたからだ。

それに気づけば、自然と体から力が抜けていった。


「怖がらないで。あなたは、悪い人じゃない。そうでしょう?」


そんなこと言ってくるやつなんて、初めてだったから。

一瞬何を言ってるのかわからなかった。


その言葉の意味を理解したとき、単純な疑問が浮かぶ。


「……なんで、そう、思うんだ」


この世界の常識は“闇”は“悪”だということ。

そして、“闇”の味方をする者は“悪”と見なされ容赦なく殺される。


そんな世界で、なぜそう


しかし、返ってきた答えはあまりにも単純かつ、純粋で。


「なんとなく。そんな気がした」


「なんとなくって……なんだよ、それ……」


その根拠のない答えに俺は一気に気が抜け、それと同時に緊張が緩んだせいか足に力が入らなくなり、崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。

すると少女はこちらに駆け寄ってきて、目の前で一緒になってしゃがみ込む。


「大丈夫?」


顔を覗き込むようにしてそう問いかけてきた少女の顔が、本当に心配そうで。

それを見たら、何かが込み上げてきて、なぜかまた視界が滲んできた。

それは“死”に対する恐怖が和らいだせいなのか、それとも極限にまで張っていた緊張が一気に解けたせいなのか。

――それとも、彼女のような存在がいたことが、嬉しかったからなのか。

何が理由かなんてわからなかった。

少女から顔を背けるようにように俯く。


(…………!!)


その時、足にできていくシミに、落ちていく雫に、それが自分の目から零れ落ちているのだと知った。


泣いている。それにようやく気づいた。

自分の手を見てみれば、情けないほどに震えている。


(……あぁ、生きてるんだ)


あの時。あの少年の一言によって、死が間近に迫ったとき。

あれほど“死”への抵抗がなかったのに、今じゃこれだ。

それほどに今の自分がもっているものの大きさを思い知った。

その大切なそれを離さないように、震える手を握りしめる。

自分の弱さに、思わず呆れるような笑いがこぼれた。

その時、


「っ――!!」


――ふと、頬に温もりを感じた。

思わず驚きに目を見開く。

俯いていた顔をあげゆっくりと目の前の少女に視線を向けた。


そしてその顔にまた、涙が溢れそうになった。


彼女は、ひどく辛そうに、悲しそうに、顔を歪めていた。

そしてまるで“ごめんね”と言いたげに俺を見つめている。

その目は蔑むものではなく、対等な立場で見てくれていた。

彼女の手が包み込むように優しく触れてくるものだから、この世界の常識を忘れそうになる。



なんでコイツがそんな顔をしているのか、どうしてそこまで俺を気遣えるのか、――――なぜ、そんなに優しくするのか。

そんな疑問が溢れては、その疑問全てが嬉しくて。

彼女が言ってくれた言葉が、その目が、温もりが、ただただ嬉しかった。

きっと、俺がずっと求めていたものだったのかもしれない。


「お前、バカなんだな」


そこにありがとうの意味を込めながら、俺は笑ってそう言った。


すると彼女は一瞬きょとんとしたあと、ふわっと花が咲くように笑いながら言う。


「そうかもね」






今思えば、この時もう既に、アレシアという存在に惹かれていたんだと思う。

彼女は何も知らないようでいて、全てを知っていた。


この世界の常識を知らないようでいて、その常識も、その常識に踏み消された“闇”というものの本質と“闇”が失った“普通”も知っている。


“俺”という人物を何も知らないようでいて、その感情を誰よりも、俺自身よりも、深く知っていた。


これは俺に限ったことじゃないのだろう。

家族も、彼女のそういうところに救われていたと思う。


でもそれは彼女の“火王の娘”という立場を知ってしまえば、納得できてしまう内容で。

一時は裏切られたような気持ちになったものの、“火王の娘”だからこそそれが当たり前ではないことに気付いたとき、彼女の抱える孤独とその闇の深さを知った。

それが自分と重なってみえて、彼女は俺が守らなきゃいけないという使命感のようなものを抱くようになった。


彼女を助けられるのは俺しかいないんだと。

彼女を本当の意味で守れるのは俺しかいないんだと、そう思ったからだ。

そして俺は彼女を守らなければいけない。全ては俺のせいなんだから。


彼女は火王を母と認識していなかった。

家である城に自分の居場所がないと言っていた。

それが理由で俺たち“闇”と過ごすようになったが、それはさらに彼女を追い込むことになる。

しかし彼女はそれを知った上で俺たちとの時間を選んだのだろうが。

その結果彼女は本当の意味で独りになってしまった。

今まで外に出なかったから一人だった。でも今じゃ、俺たちと関わったから独りなのだ。


父アドルフや母フィリスは、自分がいなくなれば子どもである俺たちも一緒に命の危機にさらされる。

自分たちの代わりはいない。

アレシアを守れば、自分たちの身が危うくなるのは必然。

彼女を守るにはあまりに危険性が高すぎた。


でも俺なら、俺なら代わりはいる。

両親は“代わりなんていない”というのだろうが、同じ存在にはならずとも似たような存在を得ることは可能なはずだ。

そう、家族にとって俺の代わりはいる。


でも、アレシアには俺の代わりになりえるやつはいない。――彼女にとって、そういう存在になりたかった。


関わらせてしまったのは、俺のせいだ。

あの時、出逢わなければ、俺が彼女からちゃんと逃げ切っていれば、“家族”に誘わなければ。


そう言い訳をしながら、結局は自己満足にすぎなかったのだが。



俺は、きっと“守られる”立場から“守る”立場になったのだろう。




何としてでも守りたかった。


その命を、“アレシア”という存在を。


そして、俺を惹きつけてやまないその笑顔を。




――きっとこれが俺にとって、最初で最後の恋だ。



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