奪った笑顔と、消えた少女
リヒトは同じ牢屋の中で食事をする弟たちを、どこか遠い目で見ていた。
反抗をしない自分たちの処刑は全体で見れば遅いほうではあるものの、処刑の順番の基準は“危険度の高いもの”。
自分のその日がもうすぐそこまで来ている事は、容易に予想ができた。
「美味いか?」
弟たちに何気なく問いかける。
力なく、けれど笑顔で彼らは頷いた。
「リヒト兄ちゃんは食べないの?」
「俺はいいんだよ。気にしないで良いから、早く食え」
弟の問いかけにそう答えたリヒトは、持て余している暇をつぶそうと徐に牢屋の外に目線を向けた。
騎士が近づいてきているようで、彼らの話し声が聞こえる。
「おい聞いたか? あのカルヴィン様が亡くなったらしいぜ」
その内容はリヒトの興味を引くには十分すぎるものだった。
(カルヴィンが死んだ……? じゃあアレシアはどうなる)
思わず聞き耳をたてる。
「マジかよ?! 誰に殺されたんだ。あんな強い御方、殺せるヤツなんていたのか?」
「それがいたらしい」
「で? 誰だよ」
騎士は焦らすようにふっと黙り込み、小さな声でその名を口にした。
「――【紅蓮月華の妖狐】」
その名前は今までにも何度か耳にしたことのあるものだ。
強さと美しさを表す“妖狐”という名前。
命を賭してでもその姿を一度は見てみたいと云われるほどの美しさだという。
惑わすその様は正に“妖狐”。
「おいマジか。そんなに強いの、そいつ」
「みたいだな。まぁ、カルヴィン様が倒したらしいけどな」
「さすがだな。……ん? でもカルヴィン様はお亡くなりになったんだろ?」
「それが、専属のメイドを守って死んだんだと」
「あー、あの孤児のアレシアってやつか?」
「そーそ」
カルヴィンが死んだものの、彼女が無事であることに安堵する――が。
「ま、そいつ自殺したらしいけどな」
その軽く発せられた一言に、心臓が一際大きく揺れる。
それと同時に、一瞬で頭が真っ白になった。
胸がその真実に恐怖するかのように締め付けられる。
これ以上は聞くなと警鐘を鳴らすかの如く、心臓が早鐘を打ち始めた。
「おいおい。せっかく助けられた命だってのに死んだのかよ」
「らしいぜ? 話によれば、カルヴィン様を殺した【紅蓮月華の妖狐】の正体がそいつの友人だったんだと。元々孤児だからな。生きる意味を失ったんだろ」
騎士たちがリヒトのいる牢屋の前を通りすぎていく。
彼らが話す内容を間近で聞き、それが聞き間違いでないことを知るが、リヒトの頭はそれを受け付けようとしない。
「あー、そいつぁちょっと可哀想だな。結構可愛かったんだろ?」
「みたいだなぁ。【紅蓮月華の妖狐】もそうだが、そのアレシアって子も、一度見てみたかったぜ……」
二人の姿が牢屋の先に消えかけたその時、リヒトの体は考えるよりも先に動いた。
檻を片手で掴み、その間からもう片方の手を伸ばし騎士の胸倉を掴んで引き寄せる。
「おい。その話、いつの話だ。誰から聞いた……?」
「は?」
「いいから早く教えろ!!!」
リヒトのあまりの剣幕に、騎士は怖気づきながらも答えた。
「き、今日だよ! 今さっきだ。この牢屋もカルヴィン様の管轄だからな。情報を共有するために屋敷で働く騎士仲間から聞かされた」
「アレシアは? アレシアって名前のやつが死んだってのは、どっからの情報だ」
“嘘”という言葉を望んだ。
ただの噂に過ぎない偽りであると。
しかし、騎士の言葉は少しの希望も残してはくれなかった。
「同じやつから聞いたんだよ。屋敷内で姿が見当たらないかと思えば通報があって、誰にも見つからないような森の奥にある小屋で灰になってたんだと。そいつの数少ない持ち物が小屋ごと全部燃やされてたみたいでな。その傍にボロボロになった靴があったらしい。仲間曰く、その靴はアレシアってやつが大切にしてたっていう、唯一の家族との思い出らしいぜ」
「聞けば聞くほど可哀想になってくるな……」
傍で聞いていたもう一人の騎士が呟く。
――靴。唯一の家族との思い出……。
それにはリヒトにも心当たりがあった。
彼女が気に入って離さなかった、あの靴のことだろう。
別の者だと言えるようなことは、もう残ってはいなかった。
いや、むしろ彼女であると言える証拠が多すぎる。
希望は、消えた。
「…………」
目の前が真っ暗になっていく。
思考をやめた頭はもう役に立ちそうに無い。
そんな頭がリヒトに伝えるのは、アレシアの記憶だった。
彼女の笑顔、彼女と過ごした時間、彼女が自分にくれた幸せ――。
「お、おい、もういいだろ? この手、離せよ」
暫くしてリヒトの手は騎士を離れ、彼は力なくその場に崩れ落ちるようにして座り込んだ。
「リヒト兄ちゃん……?」
彼の異変に気づいた弟たちが声をかける。
俯いたその表情を伺い見ることはできない。
しかし聞こえてきたのは、これまで一度も聞いたことのない、彼の悲痛な叫びだった――。
「――なきゃ」
「え?」
「――探さなきゃ。あいつを、見つけてやらねぇと」
リヒトの脳裏に浮かぶ、城から連れ出したあの日。
「あいつはきっと、待ってる。……迎えに、行かないと」
あの日彼女は、その目に涙を浮かべながら笑っていた。
「――おい、ここから出せ」
「は? お前、なに言って――」
彼女のあの笑顔は、儚く、綺麗で――。
忘れたくても、忘れられずに彼の中に今でも残っている。
「――早く、ここから出せッ!! 俺は、あいつを迎えに行かなきゃなんねぇんだよ!!」
「おいっ、落ち着け!! そいつはもう死んだんだ、今から行ったって会えない!」
自分達に笑顔と幸せをくれたアレシア。
そんな彼女から、リヒトは最後に、笑顔を奪ってしまった。
「黙れッ!! この目で見るまでは、そんなこと信じない!」
リヒトの頭に強く残りその心を抉る、彼女の悲痛な叫びと涙に濡れたあの緋色の瞳。
「あいつは……、あいつは、笑っていなくちゃ……。あいつから、これ以上何かを奪っちゃいけないんだよ!!」
リヒトの中に募る、後悔と、自分への憎悪。
あの日、もっと一緒にいれば。あの時、もっと優しくしていれば。――もっと、幸せを与えられていれば。
……そうしていれば、彼女を自殺まで追い込まなかったのではないか。
最後の日、もっと、他に方法があったんじゃないか。
「笑って、ほしいんだ。笑って、生きて、……ただ、幸せに生きてほしかっただけなのに――……」
後悔なんて、なかったはずだった。
いつか別れがくることは予想していたのだから。
だから彼女が傷つかないように、自分たちを忘れられるように、――幸せに過ごせるように。
わざと冷たく接した。そうして自分たちという思い出に溺れないようにした。
彼女の為の行動のはずだった。
――でもそれは全て、自分のためだった。
自分が傷つかないように、彼女を忘れられるように、――楽に死ねるように。
自分中心の考えに過ぎなかったのだ。
思いもしなかった。
自分が残される側の人間になるなんて。
考えもしなかった。
早く死にたいと思う日がくるなんて――。
弟たちがリヒトの傍に駆け寄る。
しかし何も声をかけることができず、いつも彼がしてくれるように、リヒトの頭を撫で、そして落ち着かせるように背中を撫でた。
「あいつは何も悪い事なんてしていない。していないのに、どうして、死ななきゃいけない――……?」
その問いに答えられる者などいるはずがなく、彼の言葉は虚空に消えた――。
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