闇との遭遇

イグニートの背に乗せられやってきたのは、城下町。

城下町なだけあって様々な店があり活気があって賑やかだった。

ずっと部屋ですごしてきたアシュレイにとって、そこはキラキラと輝く夢のような場所であるように感じる。

気持ちは昂り、辺りをキョロキョロと忙しなく見回す様は、王族など関係ない――普通の女の子だった。

その目は喜びを表すかのようにどこか輝かしく光らせている。


彼女にとって、その目に映るモノ全てが、素晴らしいもののように思えた。


「おっ、嬢ちゃん! おつかいかな??」


一人の男がアシュレイに声をかけてくる。

民は皆、彼女が王女であることを知らない。

まだ、表立って発表をしていない時だったからだ。


「ううん、探検してるのー!」


そう言ったアシュレイの声はとても明るく、弾けるようだった。


「一人は何かと危ないからね。気をつけるんだよー?」


傍にいた女もそう言って、歩いていくアシュレイを見送る。



アシュレイはちゃんとお金を持ってきていた。

時々もらうお小遣いを貯めていたものだ。

ポケットにしまい込んだそれを、確認するかのように触り軽く握る。

彼女は思わず「ふふっ」と笑い声をあげた。


その時、――サッと一人の少年が、アシュレイのすぐ横を過ぎ去って行く。


アシュレイは一瞬見えたその顔――その瞳に思わず立ち止まった。

そして――彼の“髪”を、見つめる。



「――――く、ろ……黒だ……」


アシュレイは小さく、そう呟いた。


その声はあまりにも小さく、街の雑踏にかき消された。

だが、彼だけは違った――。


肩が僅かにびくつき、恐る恐るというように自らの後ろを振り向く。


――目が、合った。


瞬間、少年は駆け出す。

一瞬見えたその表情は、恐怖に満ちていた。


「あっ、まっ――」


まるで逃げるように、必死に、少年は走る。

アシュレイもそんな彼の姿を追いかけた。


『えっ、ちょっと、アシュレイ?! なんで追いかけてるのっ』


イグニートがそこ言うがそれに対する答えは返ってこない。


『ねぇ、聞いてる?! 彼が……彼が闇だって、わかってるでしょ?!』


一度言いよどみながらも、イグニートはアシュレイを止めようと声をかけ続けた。


だがそれに構うことなく、アシュレイは少年の後を追う。


しかし日頃部屋の中にずっといて運動というものをしてこなかったアシュレイには、少年に追いつくどころか、その後を追うことさえままならなかった。


途中で少年の姿は見失い、アシュレイは走るのを止めその場にしゃがみこみ荒くなった呼吸を整える。

もう足が動かないのではないかと思うほど、自分の足が重く感じた。

少し朦朧とした意識がはっきりとしてきて、ようやく彼女は気づく。


彼女のいる道には人などほとんどおらず、代わりというようにゴミばかりが散らばっていた。

陽の光などはなく、聞こえるのは犬や猫がゴミを漁る音のみ。

匂いもとてもじゃないが、王族のアシュレイにとって耐えられるほどのものじゃなかった。


アシュレイは思わず眉間に皺を寄せ、ふらふらとしつつも立ち上がる。

そしてどこか長く感じるその道を、光のあるあの活気のある場所を求めて歩を進めた。


初めのほうはゆっくりと歩いていたが、徐々にその足は恐怖に急き立てられるように早くなっていく。


『イグニ、ここ、どこ? ……怖い』


『だから言ったのに……。たぶん裏路地だと思うわ。ここを出たらきっと一人二人くらいなら人がいると思う』


『わかった……』


そう話してからしばらくして。


ようやく、不気味な裏路地を抜けた。


だがその抜けた先は、アシュレイの求めた明るいあの場所ではない。


“貧困街”……そう呼ぶのが一番正しいか。

いや、それともどこか違う。


光の当たらない、暗く薄汚れたその場所。

貧困街、とまではいかずとも、立ち並ぶ家らしいそれは壁にヒビが入っていたり蔦に覆われていたりと、まともなものは一つとしてなかった。


ここまでどうきたのか……。

アシュレイはそれを思い出そうとしたが、少年しかその目になかった彼女にそんなことはできない。


動かないでいることもできず、アシュレイは辺りを見回しながら歩く。

帰ることもできないのか、という不安と恐怖が心を徐々に占めていき、アシュレイは思わず自分を守るように両手を組んだ。


『ねぇ、イグニ……私達、どうなるのかな……』


『別に帰れなさそうだったら私が飛んで貴女を城に連れて行くけど――』


「あ――」


その時、アシュレイは一人の人影を見つけ、咄嗟にその者に駆け寄った。

その人影は、追いかけていた少年のものに見えたのだ。

人影に近寄りその手を掴む――。


「えっ――」


驚き振り向いたその顔は、やはりアシュレイから逃げていた少年だった。


少年の顔がみるみるうちに恐怖に歪む。


「あ……あ、あ、あぁ、あぁぁぁああ……」


恐怖のせいか言葉にならない声を発しながら、少年は目に涙を溢れさせ、首を横に振った。


「ねぇ、お願い、怖がらないで。どうして私を怖がるの? 私、何もしてないよ?」


アシュレイがそう言っても、少年の様子は変わらない。


『アシュレイ。わかってるでしょ。彼は――“闇”よ。……抹殺対象者』


『…………』


イグニートがアシュレイに告げる。

少年のその瞳と髪は闇の象徴である、黒。

彼は魔法で姿を偽っていたのだろうが、火王の娘であるアシュレイにそれが見破れないはずがなかった。


少年は今これから自分がどうなるのかを知っている――。

彼に待つのは――“死”だけ。


「っ――」


少年は咄嗟に掴まれてた腕を振り払い、そしてアシュレイに向き合うよう体の向きを変えると、手を彼女に向けた。

彼の口が一度閉じられたかと思うと、次の瞬間には再び口

が小さく開かれていた。

――魔法を唱えるため、だ。


『アシュレイッ!! 逃げて!!!』


イグニートはアシュレイに叫ぶようにそう言うが、彼女の体が動かない。


『アシュレイッ!!!』


「……私、――ないよ」


アシュレイが小さく呟いた。

少年の魔法を唱えていたであろう口が止まる。


「私、何もしないよ? ……殺したりなんか、しない」


「……本当?」


「本当。私、嘘つかないよ」


アシュレイの言葉が少年に伝わったのか、少年はゆっくりと手を下ろした。


『アシュレイ? 何言ってるの。そんな見逃すようなこと――』


『いいの。彼はきっと、悪い人じゃない』


『でも“闇”よ。殺さないと危ないわ』


『属性が闇っていうだけかもしれない』


『アシュレイ!』


『大丈夫よ。きっと、大丈夫』


心話でイグニートにそう言うと、アシュレイは一歩、少年に近づく。

一瞬びくつき一歩後ずさった少年だが、アシュレイから一切殺気を感じないことに気づくと、自然と力が入っていた体を徐々に緩めていった。


「怖がらないで。あなたは、悪い人じゃない。そうでしょう?」


「……なんで、そう、思うんだ」


「なんとなく。そんな気がした」


「なんとなくって……なんだよ、それ……」


そう少年は呟くと、崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。

アシュレイは駆け寄り一緒にしゃがみこむ。

そして顔をのぞき込むようにして見ながら、「大丈夫?」と少年に問いかけた。


少年の頬が濡れていることにアシュレイは気づく。

それが恐怖で流れた涙であると共に、安心して流れた涙なのだと、彼女は幼いなりに知っていた。

どんなに幼くとも火王の娘。

魔法を見破るのも、心を読むのも、人並み以上のものだ。


アシュレイはそっと濡れている頬に手をやり優しく涙を拭う。


少年はその行動に驚き、目を見開いた。

そして、ふっと笑みを浮かべる。


「お前、バカなんだな」


その言葉に含まれている意味に、アシュレイは思わず笑って……


「そうかもね」


そう返した。





それが、アシュレイにとって、忘れられない憎しみと悲しみに染められた過去の始まりであった――――。




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