第91話 盗賊滅ブベし【シリアス】
第九十九魔導書架は、この王立図書館において最も危険な書架の一つ。
封印魔導閉架書庫に指定されている書架である。
そこに格納されている魔導書は、本当に、人の命に関わるもの。
「暗殺の魔導書?」
「まぁ、ね、そりゃ魔導書をそういう用途で使おうって発想は、あってしかるべきよね。暗殺は人類の歴史の常だし」
「毒とか凶器とか、そういう直接的なのじゃないだけマシだと思うが」
「それでも気が重いわよね。ほんと、そんな書架にわざわざ入るって行為自体が」
依頼元は軍部。
陸軍でも海軍でもない、それらを統括する参謀本部。
そこに付随する王国軍諜報部からの依頼であった。
諜報部から魔導書の捜索依頼がくることはそう少なくない。だが、こういう直接的な依頼が来たのははじめてだ。
建前としては、消息を絶った諜報部員の捜索に使う資料ということだが――はたしてどうだか。
国内情勢は悪い方ではない。
他国が地方民族が中心になったレジスタンスや、新しい思想に感化された学生たちの運動に押されて情勢不安な近年において、この王国はなんとも落ち着いた王政を敷いている。
どうあってもあと百年はこの平和は続くだろう、というのが、俺とリーリヤのもっぱらお昼の話題である。
そんな国の諜報部員が、どうしてこんな物騒なものを欲しがる。
「探したけれどなかったことにすることはできんのかね」
「蔵書の目録はあっちも把握してるわ。というか、それがないと、本を指名して探して来てくれなんて依頼、ある訳ないでしょう」
「すっとぼけようぜ。のりきしないぜ、こんな仕事」
「ピョートル様や師匠クラスの権限があれば別だろうけど、私たち、吹けば飛ぶような木っ端な司書にそんな権限あると思って」
「偉いんだなピョートルの旦那も」
仕事は仕事。
個人の好き勝手で選べるようなら、この世界はもうちょっと生きやすい。
とはいえ、人の生き死にに関わるような事案である、できることなら、安心できるだけの根拠を持ってのぞみたいものだ。
いつもはお気楽な調子のリーリヤの顔も暗い。
自分の顔は確認のしようがないが、きっとこいつと同じくらいに、辛い仕上がりになっているんだろうな。
なんとなく俺は自分の頬を手の甲で擦った。
ともすれば、見えてきたのはその暗殺の魔導書が収められている書架の前。
「いい、絶対に確認せずに魔導書を開いたりしないでね?」
「その前に暗殺者に狙われる可能性は?」
「あり得なくもないわね。頼んだわよ、ドラゴンスレイヤー」
ここぞとばかりに頼られる。別に、それは構わんのだが、むず痒い限りだ。
任せておけよと、俺はリーリヤに先んじて、書架室の扉に手をかけた。
封印魔導閉架書庫は、魔力が漏れ出さないよう厳重に封じられた魔導書がおさめられている書架である。いつものように、部屋に入るなり視界に違和感を感じるようなことはまずない。
だが、空気については、別だ。
この危険な書架には、他の多くの書架にあるような、猥雑さだとか、どこかのんきな空気が一切感じられない。
特殊な書架のせいか、そいれとも、収めている魔導書のせいかは分からない。
流石に人の歴史に根深く絡んでいる暗殺の魔導書。
部屋に並んだ書架の中は、いつぞや入った水辺のそれと違い、みっちりと本が敷き詰まっている。
この中から目的の一冊を見つけるのか。
なかなか、それだけで殺人的な感じがして軽く眩暈がするよ。
「二人で分かれて探しましょう」
「いや、下手に分かれない方がいいだろう。もし、魔力が漏れ出ていたら、それこそ大変なことになる」
「守ってくれっていうの、マクシム。いやね、格好つけちゃって」
「馬鹿野郎、これもやりたくない仕事の一環だっての」
リーリヤが俺の手を握る。
微妙に震えている手。どうも、彼女もこの書架に対して、よからぬ気配を感じているのだろう。
大丈夫だ、という歯が浮くような台詞をはけない俺は、彼女の手を強く握り返すことで、それに応えてやった。
安心しろ。お前一人、生かしてやるくらいのことは、してみせるさ。
俺も長いこと冒険者やってないんだ。
「暗殺ってのはさ、やっぱり、本にそういう呪い的なものが施してあるのか」
「そういうのもあるけれど、もっと古典的な方法をまとめた本が多いわね。鉛の鍋でワインを温めるとか、匂いのしない砒素を水なんかに混ぜるとか、そういうノウハウをね」
悪意を持って造られた書籍が、実際に辺りを不幸に振りまく。
そういうタイプの魔導書。
所謂、内容が魔法的な意味を持った類の本と言うわけか。
そうだろうな。
魔法なんて高度な力を持っているのに、今更、暗殺稼業なんて、実入りも悪く、世間体も悪そうな仕事、やるものだろうか。
魔術師が作った魔導書が少ないのは理にかなっている。
しかし、逆に言えば、この魔導書を持っていた奴らは、そういうことを生業としていた奴ら。
その怨念が本に篭っていると思えば、なんとも、ぞっとする。
「暗殺者の末路ってのをな、前に、一度見たことがある」
「どういう経緯で?」
「腐り竜の退治方法の一つにな、まぁ、生贄をささげて去ってもらうっていう、スタンダードなものがある訳よ」
「その生贄に?」
酷いもんだった。
あらぬ疑いをかけられて、目を潰され、足の腱を切られ、手の指は全て折られた彼は、まるで肉か何かのように、腐り竜の前に放りだされたのだ。
たまたま、俺たちが通りかかったことで、腐り竜の退治と、その男の当面の死は回避することはできた。
だが、その後、更なる辱めを受け、最後には生きたまま首を切断され、野にさらされ、朽ち果てた彼の姿を見るに、流石の俺も憤りを感じたものだ。
正直見ていて面白い類のものではなかった。
「なるもんじゃねえな。あんなもん」
「誰もなりたくってなる訳じゃないでしょう」
「どんな仕事だってそんなもんだろう。俺だって、なりたくて司書なんてなった訳じゃないしな」
ただ、生まれた時、場所、巡り会わせが悪かった。
それだけで。どうして人の生き死にが、こんなにも違うのだろうか。
考えてもそれは詮無いこととはいえ悲しいことだ。
「だが、同情してやる気にはなれない」
後ろから飛んできたのは投げナイフ。
リーリヤの後頭部に向かって飛ぶそれを、咄嗟、俺は自分の手を使って止めると、それが飛んできた方をにらみつけた。
ぶわりと闇の中に何かが蠢いたかと思うと、黒い人影が、天井の隅に現れる。
それは黒い頭巾を被った人間――を模しているムシ。
指先に大小さまざまなナイフを絡めたそいつは、血走った目をこちらに向けて、ふぅふぅと荒く息巻いている。
どうやら、この書架の封印のどれかが、解けてしまっていたらしい。
「マクシム」
「安心しろよ。こんなもん、ただの掠り傷だ」
「けど、毒が」
「煙草しか効かない便利な身体だってのは、お前もよく知っているだろう?」
まるで発情期の猫のような息を吐く黒い影。
元は紙の癖して黒いとはお笑いだ。それじゃ文字がかけないだろう。
取り出して右手に握るはドラゴンスレイヤー。
左手――握る拳もドラゴンスレイヤー。
ドラゴン相手にしか意味のない、ドラゴン殺しの秘術が施されし物体。
しかし、竜の血でもって鍛えたその霊験たるや凄まじく、竜の攻撃でもない限りには決して折れる事、くたびれる事、老いる事もない。
その身に沁みた、ドラゴンの血、腐り、果てるまで、不滅の武器。
ドラゴンスレイヤー。
「暗殺者如きに首級をあげられるなら、苦労はしないぜ」
腐り竜を狩ってから出直して来い。
再び書架を舞ったナイフの群れを俺は片っ端から身体を使って集めると、その影に向かって飛んだ。
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