第63話 嘆きのサラマンダー【シュール】
「いやね、分からないのよ、東方語は。漢字っていうの、アレは私たちの言語系統と違っていて、文法がちょっと特殊なのよね。一語ずつに意味があるっていう」
「いいわけはいいんだよ。どうしてお前はさ、こうしょうもないポカを何度も繰り返すかね。確認すりゃ防げることだろう」
「アンタがちゃんと文字読めて、二重チェックできればそれで防げることでしょ」
「そりゃ、まぁ、そうかもしれんけど」
ミスしたのはお前だろうが。
まずはそこを侘びて反省するのが、なによりも先なんじゃないのか。
ここは王立図書館魔導書架、第十八書架室。
今日も今日とて例によって、目の前のアホエルフが収納先の書架を間違えたために、こうして回収に来ているという次第である。
毎度毎度のことすぎて、怒る気力も、怒られる気力も起きないというもの。
ふんとリーリヤが顔を横に振ったものだから、これ以上の追求はできなくなった。
しかし、そうして怒りの矛先を上手くそらしてみせたところで、この現状がどうなるものでもない。
「なぁ、お前、これは流石にまずいぜ。ここ香辛料の書架だろう」
「そうねぇ。まぁ、うん、ここまで強力なものだとは」
「ウパァ」
のっしのっしと、トウガラシ畑を踏み倒して、闊歩していくぬめったモノ。
紙でできているにしては、ずぶぬれとはいやに強気なそいつは、いつぞや見たことのある、二足歩行の紙竜のできそこないであった。
こいつが沸くこと自体は問題ではない。
大量発生するのが問題なのである。
「トウガラシ畑で知られた目も開けられぬ赤色の地平が、いまやこのぬめった竜もどきによって埋め尽くされているとは」
「外敵がいないから大量に繁殖しちゃったみたいね」
「のんきに言うとる場合かよ。どうすんだよ、これ」
ぷいと背けていた顔をこちらに向けて、リーリヤが同意を求めるような顔をする。
俺に同意を求められても困る。というか、何をするのかも相談されていないのに、返事なぞしようがないじゃないか。
はぁ、と、溜息を吐いてリーリヤ。
彼女はすっと自分のフードの中から月桂樹の杖を取り出すと、それを目前のトウガラシ畑――今はドラゴンもどき牧場に向かって振った。
月桂樹の先から噴出されたのは、トウガラシの実よりも赤い、炎。
「ウパァーッ!!」
「ウパ、ウパパパーッ!!」
「響き渡るドラゴンもどきどもの断末魔。オウ、なんて残酷、これがエルフのやり方だというのか。とても人の常識では考えられぬ鬼畜悪魔の所業。ドラゴンもどきと言えどもアワレショギョムッジョというもの」
「五月蝿いわね。これ以外にどうしようもないじゃないの」
「お前がもとからちゃんと管理してれば」
「あーもー、聞こえなーい。ドラゴンもどきの断末魔で、なんにも、聞こえなーい」
自分に都合の悪いことは力技で対応しやがって。
そのくせ、俺がこういうことしたときには、やり方が乱暴だとか、本が傷むだとか難癖つけてくる。ほんと、都合のいい奴だよな。
と、月桂樹の杖の先が、ドラゴンもどきどもから俺に向けられているのに気づいた俺は、それ以上リーリヤを睨むのをやめた。
ほんと、都合のいいやつ。いつか絶対痛い目みるっての。俺は知らんからな。
「ふぅ。まぁ、これで本を探すのに余計なものは消えたわね」
「ついでに目的の魔導書まで消しちまったんじゃないのか」
「大丈夫よ。なんと言ってもサラマンダーの魔導書よ。火に焼かれても燃えないトカゲについて記した魔導書なんだから、燃える訳ないじゃない」
いま、おもっくそ燃えてた奴らはなんなのか。
矛盾する光景に首を傾げる間も与えず、リーリヤは書架の中を歩き始めた。
そう、今日探しているのは、かの幻想上の生き物「サラマンダー」について、詳細が記されているという魔導書である。
伝説の生き物に詳細も糞もあるのかと思うのだが、実は、この生き物にまつわる伝説は東方伝来のものであり、モデルとなった生き物が実在するのだという。
そのモデルを、東国では「山椒魚」と、書く。
「まさか山椒料理の本だと思って、こっちに放り込んだら、サラマンダーの魔導書だったなんてね」
「魚という時点でお前は迷わなかったのかよ」
「迷ったわよ。川にしようか、海にしようか、けど、山椒が前についているし、もしかして魚がメインじゃないのかもって」
伝説上の動物という意識はもとよりなかったのだ。
仕方がない、東方の文字というのは、こいつが言うように難しい。字の意味通りに解釈したら、こういうことになるのも頷ける。
そも、火の中で生きるトカゲという、こちらに伝わる伝説上のサラマンダーの姿にしたって、まったくの想像ができないのだ。どうしてそんなものの本のタイトルと、内容を結びつけて考えられるだろう。
素人の俺なら、だが。
そこは正司書、魔導書どころか魔法にも精通しているリーリヤ様なのだから、気づいて欲しかったものだ。やれやれ。
「で、心当たりはあるのか?」
「そりゃあんた。魚よ、魚。イモリかもしれないけれど、魚と書くからには、水辺にいるのが鉄則でしょう。ちょうど、ほら、あそこ、用水路があるでしょう」
「水辺とか関係なく出歩いてた気もするがな」
「とにかく、かなりの確率で、水辺にある可能性が高いわ」
などと言っている間に、会話の中でリーリヤが指差した用水路へと辿りついた。
土を固めて造られたそこを眺めていくと、ちょうど畑の区画の中間、水の分岐点だろうか、少しだけ堀が広くそして深くなっている箇所が目に入った。
その先から、ひょっこり、大きな株が伸びている。
いや、そんな訳がない。
ぱかりと開いた株から、にょろり、赤い根が伸びて、飛んでいた赤トンボを絡めとるや引っ込んだ。
いや、そんな訳がない。
「なんだあれ」
「あらやだ、随分大きく育ったわね」
「そんな株か何かみたいに。えっ、ちょっと、えっ!?」
得体の知れないそれの正体を調べるべく。俺とリーリヤはその水路の分岐地点へと駆け足で近寄った。
案の定、というか、想像通り、というか。
その堀の中にすっぽりと埋まっていたのは。
「ウパパー」
でかい株でもなんでもなく、そこには先ほどまで、トウガラシ畑を闊歩していたドラゴンもどきと同じ形をしたモノが、すっぽりと埋まるような形で嵌っていた。
違うのは色くらいだ。
真っ赤、それこそ燃えるような赤色をしている。
これがサラマンダー。嘘だろ。
想像上の生き物にしたって、幾らなんでも想像力が欠如し過ぎだろう。ドラゴンもどきの色違いとか。
「これだけ立派に育ったら、本物だったらたいそうな値打ちになるでしょうね。サラマンダーの皮は魔法道具の中では随分重宝されるから」
「いやいやいやいやいや!! これ見た最初の感想が、それかよ!? うわ、きもちわるいとか、そういうのがまず出てくるもんじゃないの!?」
「ドラゴンもどきくらいでそんな声上げてどうするのよ」
もとドラゴンハンターの癖にだらしないわね、と、リーリヤ。
そうだけれども。このマヌケ面のドラゴンもどきに関しては、なんというか、別だろう。というかドラゴンと違うしな、こいつ、両生類だし。
「なんにせよ、これが、そのサラマンダーなのか?」
「みたいね」
「どうすんだ、これ、また、燃やすのか?」
「うぅん。さっきのがドラゴンもどきとして、こいつがサラマンダーだとしたら、燃えない気もするのよね」
まぁ、試してはみるけれど、と、リーリヤは杖を振る。
ごうと音を立てて杖の先から炎が吹き出る。伝説にあるギリシア火のように激しい業火だ。これなら紙の竜といえども、たちまち灰燼と化すだろう。
しかし、サラマンダー、火の中で生きるトカゲの名は伊達ではない、ということだろうか。
「うぱぁ?」
炎を吹き付けるその最中にもかかわらず、けろりとしたアホ面をこちらに向けて、サラマンダーはいつもの鳴き声をこちらに浴びせかけた。
参ったな、こりゃ。
「どうすんだよ。ご自慢の炎が効いてないぞ」
「魔導書から漏れ出たバグと、魔導書自体が変化したのじゃ、やっぱり勝手が違うか。となると、アレを試すしかないわね」
「アレって?」
「サラマンダーを殺す方法よ」
そんな便利でニッチな方法があるのか。
こういうことはよく知っているのだな、と、少し感心した俺の前で、リーリヤは用意していましたとばかりに、ローブの中から花を取り出した。
白い花弁を持った花である。
ふと、その取り出した花の花弁をリーリヤはむしると、おもむろに、サラマンダーの頭の上に向かって散らし始めた。
そんなことをして何になるのかと思った矢先だ。
「ウッ、ウパ、ウパパァーッ」
今までと違う鳴き声をあげたかと思うと、ぐしぐしと、サラマンダーが瞳から涙を流しはじめたではないか。どうしたことか、花弁についた花粉でも目に入ったのか。
なんにせよ、こりゃ酷い動物虐待ではないのか。
「なんていう目で見るのよ。仕方ないでしょう。この方法が一番楽なんだから」
「いやけど」
「つづいて、取り出したりますは、これ」
と、ローブの中から続いて取り出したのは干した海老。
赤々とした干した海老である。
そんなもん取り出してどうするんだ。と、あっけに取られる俺の前で、また、彼女はそれをサラマンダーに向かって振りかけた。
「ウパ、ウパァ、ウパパァ、ウーパァー」
「なんか知らんがめっちゃ効いてるぞ!? これ、どういうことだ!?」
「これも東方の書物に記載されていたんだけれどね、どうやら、サラマンダーは、白い花弁と、海老、そして、こいつに弱いみたいなのよ」
こいつとは、と、また疑問に思う俺の前で、リーリヤがローブから取り出したのは、干からびた蛙。
よく、そんなものをローブの中に入れておけるな、おい。
エルフだからそんなことに抵抗がないのか。したって、大概だぞ、おい。
「ちなみに、まだ半分いきてます」
「ナマゴロシトハカエルトハイエザンコクムジョウ。カエルダッテ、サラマンダーダッテ、ミンナイキテル、シゼンカイノナカマ」
「なに青臭いこと言ってんのよ。蛙もサラマンダーも食料じゃない」
「食料じゃねえよ。食わんし。サラマンダー伝説の生き物だし」
これだから辺境のエルフ族は困る。
四本足で歩くものなら何でも食べるんだから。
「とにかく、これを、穴の上に置く。そして、裏声でこう呟くの」
そっとその場にしゃがみこんで、サラマンダーの横に顔を近づけるリーリヤ。
手を口元に当てた彼女は、そうして小さな声で、それを呟いた。
「別にアンタのことなんか、最初から好きでもなんでもなかったんだからね!!」
「なんだそれ」
「ウパ、ウパァアァアッ!! ウパ、ウパパパァッ!!」
「うっそ、効いてる!? なんなだよこのサラマンダー、ツンデレとか、そういう特殊なアレに反応するタイプなのか!?」
「まぁ、人の心だって複雑だからね。両生類の心ってのも、複雑なのよ」
「説明になってない気がするんだが」
「理屈はいいのよ。ようはこういうのは、感じる心が大切なんだから。とりあえず、そう言う訳でね、これでサラマンダーは大人しくなるはず。ほら」
ポンと白い煙を上げて、用水路につまっていたサラマンダーは、その元と成った本の形へと戻っていた。
なんともあっけないというか、間抜けというか、後味が悪いと言うか。
この心のもやもやを、いったいどうしたらいいのだろうか。
「あら、柄にもなく気難しい若人みたいな顔してるわね」
「いやだってこんな、納得いかないだろう」
「まぁまぁ、干からびて死にかけている蛙にまで、どうでもいいのよ貴方なんてと強がりを言われてみなさいな。そりゃ、誰だって、自分の魅力のなさや無力さに絶望して死にたくなるわよ」
貴方にも文学を理解する心があったらそんなに気にならないんでしょうね。
余裕の表情でそういうリーリヤ。
もし、それを理解することで、お前のように涼しくこのサラマンダーの死を流せるようになるのなら。
俺はそんなもの、できれば理解したくはない、な。
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