第62話 だから貴方はダメエルフ【ギャグ/ゲスト:ニーカ】
えらいこっちゃえらいこっちゃと、柄にもなく慌てた足取りでリーリヤが執務室へと帰ってきた。
今日はお得意様である王都内の書店との会合をしていたはずだが、いったいどうしたのだろうか。
幾何魔導書の複製作業中だった手を止めて立ち上がる。だがそれよりも早く、リーリヤは辺りをひとしき見回すと、自分の席を素通りして部屋の角にある、木箱へと駆け寄った。
以前に荷物を受け取った際にそのままにしておいたものだ。
底の板ははがされており、ちょうど、それを被るようにして、リーリヤはその場にうずくまった。と、少ししてから、その木箱が浮き上がる。
「いいマクシム。誰が来ても絶対に私が居るって言っちゃダメよ。ほんと、今日だけは冗談なしで、お願いだから」
「お前、また、なにやらかしたんだよ」
「やらかしてないわよ。天災と神様はきまぐれって言うでしょ。とにかく、私はここにはいない。ここにあるのはただの空の木箱だから」
そう言い残して木箱の中にリーリヤは隠れた。
またリーリヤの婆さんでもやってきたのだろうか。
お見合いが嫌だというのは分かるが、実際いい歳には違いないんだし、素直に受けてしまえばいいんじゃないか。
結婚すれば仕事を止めなくてはいけないと心配してのことだろうが、最近は物分りのいい男も多い。女性を労働力と認める風潮もある。話せば結婚してからもここで働かしてもらえるかもしれん。
にょきり、と、空の木箱の中から月桂樹の杖が伸びる。
おや、どうも今日はそういうことではないらしい。
というかよく分かるねこいつも。俺の心なんかよりも、もっと、世間の男どもの心を分かるようになってくれよ。ただでさえ、肉体的な魅力に乏しいってのに。
「いいから引っ込めてろよ。大丈夫、鬼が来ようが、悪魔が来ようが、俺がきっちり追い返してやるよ」
「たのんだわよ、マクシム。貴方だけが頼りなんだから」
前にリーリヤの婆さんが来たときにはあっさりと通してしまったが、あれは相手が追い返すのもはばかられる老婆だったからだ。
借金取りやごろつき相手なら任せておけ。
前職盗賊という身の上だ、そういう手合いの相手は心得ている。
こつり、こつり、と、執務室の戸を叩く音がする。
さっそくお出ましということか。
前回のように居留守を使うのも考えたが、こういうのは、こっちから機先を制してやるのが定石だ。舐められないように、おう、誰だ、と、強気に出てびびらせてしまえば、こっちのものよ。
「おう、誰だこらっ!! ここがどういう場所か分かってんのか、こら!!」
執務室の扉を引くなり、扉の向こうの人間に怒声を浴びせる。
細身とはいえ俺も元は冒険者。それなりに修羅場をくぐってきた顔をしている。
そんな奴にいきなり怒鳴りつけられれば、まぁ、お察しだろう。
などと思っていたのだが。
「あら、王立図書館の司書たちが使う執務室ではなかったかしら?」
俺が怒声を浴びせた相手は、けろりとした顔つきで、かつ、少しも心を動かされていない感じでそこに悠然と立っていた。
しなりとした細身の体つき。
リーリヤと同じ金色の髪にこれまた同じ長い耳。
翠色をした鮮やかな瞳に穏やかな顔立ち。冒険者風のレザーメイルとハクビシンのものと思われるローブを身に着けたその女エルフ。
驚くべきはその胸。
リーリヤとは雲泥の差、星と月、いや、すっぽんというべきか。エルフ族には貧乳が多いというリーリヤの説を否定するような、立派なメロンがたわわっている。
レザーメイルの開けた胸元から見えるその谷間は、まるで違う次元へと繋がっているのではないかというほどに深い。
圧巻の光景である。
「で、よかったかしら。もしかして、違うのかしら」
「いや、合っているが」
「そう。では、ここにリーリヤというエルフ娘が勤めているはずだけれども」
「リーリヤ。はて、聞かない名前だな。食堂でエルフが働いていると聞いたが、その娘のことじゃないか?」
うふ、と、微笑んで、女エルフは俺との間合いをつめた。
リーリヤとそう変わらない身長の彼女は、つま先で俺の顔へとその鼻先を近づけると、伸ばした手でその鼻先をいたずらっぽくつつく。
「あの娘に頼まれているんでしょう。あなたについては、あの娘からよく聞いているわ、元盗賊の腐り竜殺し、マクシムさん」
「あんた、いったい」
「やっぱり居るのね。いいわ、リーリヤがここに居る、というだけで十分な情報よ」
彼女は微笑んで俺から顔を離す。
そうしてすぐに胸の中からよいしょと一切れの棒を取り出した。
いや、リーリヤと同じ。それは月桂樹の杖。
彼女がそれを一振りすれば、もわり、と、その杖の先から黒い霧があふれ出る。それは集まって、やがて一匹の獣の姿になったかと思うと、彼女の前に傅いた。
「お行きなさい。あのダメ弟子のお尻をいつものように噛みあげておやり」
「おいおいちょっとアンタ。やめてくれよ、ここは図書館なんだぜ」
「大丈夫。手荒なことではないから」
いつものことだから。
そう言った彼女の前からぴょいと黒い影が飛び出していく。そいつは、まるで最初からリーリヤの居る位置が分かっているように、真っ直ぐに部屋の隅の木箱へと駆けていった。
木箱の前に立ち止まるそれ。
すると、もろり、と、黒い影の形が崩れる。
霧状になったその黒い獣は、ゆっくりと、まるで溶け込むような感じに、木箱の隙間の中へと入り込んでいく。
そうして、暫く。
すっかりと霧が木箱の中へと入り込んだかというころ。
「いた、イタタ!! 痛い、痛いって、ちょっとぉっ!!」
突然木箱を跳ね上げて、そこからリーリヤが飛び出してきた。
女の命令どおり、リーリヤのお尻にはさきほどの黒い獣が噛み付いている。
「まったく。リーリヤ、貴方ってばいつまでたっても学習しないのね。そんなに嫌がることもないでしょう、せっかくこうして貴方の魔法の師が、元気にしてるかと顔を見にやって来ているのだから。歓迎するのが弟子なんじゃなくて」
「いえ、その、師匠。私にもその心の準備というものがありまして」
「どうして師匠に会うのに心の準備がいるのかしら。おかしなことを言う娘ね」
「ひぃいぃ!! 違うんです師匠!! あの、その、私は別におかしな意味で!!」
えい、と、微笑み混じりに女エルフが杖を振れば、がうがう、と、リーリヤの尻で影の獣がなんどか噛み付く。
痛い、痛い、と、涙目になって訴えるリーリヤ。
いつも偉そうにしている彼女の姿からは想像できない醜態である。
いいぞいいぞ。もっとやってくれ、このアホエルフには、普段からこきつかわれているのだ。いい気味である。
リーリヤの師匠かなんだか知らないが、頼もしい女魔法使いじゃないか。
エルフにもこんなできた人物が居るんだな。
「まったく。昔はもう少し素直な娘だったのに。反抗期かしら」
「師匠、私も、もう立派なエルフなんですから。そんないつまでも子供扱い」
「ふた周りも違う相手に大人扱いもないでしょう。というか、貴方ね、魔導書の探求はいいけれども、ちゃんと魔法の修行もしないと腕が落ちるわよ。せっかくいいセンスしているのだから、そこは、さびつかせちゃいけないわ」
「いや、はい」
近づいて眉間に月桂樹の杖を押し付けて師匠さんは言う。
これ以上口答えをするならば、次はどうしてやろうか、という、脅迫めいたいい笑顔に、リーリヤはもう大人しく恭順することしかできなかったようだ。
まぁ、師匠なんて、人間にしてもエルフにしても、そんなものだよな。
一生頭が上がらないというか、どこまで行っても越えられないというか、越しちゃいけないというか。
いってしまえば、第二の親みたいなもんだ。
身内に対しては逃げの一手になりがちなリーリヤが、そうするのもなんとなく頷けた。
「それで師匠、今日はいったどういった御用でして?」
「貴方たちの顔を見にきたのよ。あと、旅の途中で何冊か、厄介な魔導書を見つけたから、こちらに所蔵してもらおうとおもって、ね」
よいしょ、と、彼女はまた自分の胸に手を入れる。
そこからぬるりと出てきたのは、さきほど彼女が自身で言った用事こと、厄介そうな魔導書である。
なるほど見事な妖気を放っている。
「これはいけない、もっとよく見せてください」
そのあまりにすさまじい瘴気の前に、俺は師匠さんの手を止めた。
偉大なる谷間に挟まれるまがまがしい魔導書。
危ない、もし、これをリーリヤの師匠さんがもっていなければ、彼女が胸の谷間で封印していなければ、辺りにどんな災難を振りまいていたか。
正司書でなくても分かる。
こんな強力な魔導書、簡単に世の中に放りだしてはいけない。こうして胸の谷間のなかで、たわわの谷、その強力な力の中に封じておかなくてはいけないのだ。
断じて胸の谷間をもっともな理由で直視したい訳ではない。
断じて!!
男に誓って!!
スケベ心など皆無!!
「リーリヤ、貴方の相棒のマクシムさん、は、いつもこんな感じなの」
「さぁ、私もこいつのこんなところは始めて見るので」
「むむむ、師匠さん。ここはこの俺に任せてくれないか、きっと悪いようには」
「いいからやめなさいよマクシム。すみません、師匠、うちの駄犬が迷惑を」
げしりとリーリヤが俺を蹴り飛ばして師匠さんから引き離した。
「
「本音が駄々漏れよ。誰が断崖絶壁栞女ですって?」
「リーリヤ、だいぶ話に聞いていたのと印象が違う人だけれど」
「それはリーリヤのお師匠様、あなたのように美しく、そしてたわ、いや、ほうま、うぅむ、筆舌に値する美貌をお持ちのお方を前にすれば、俺も男として黙ってはいられない訳で」
「あらまぁ、言葉選びは最悪だけれど、嬉しいことを言ってくれるじゃない。けれども、こんな450歳を過ぎてるおばさんを口説いてもしかたなわいよ」
「愛に年齢など関係ありませんよ。それに年齢など関係なく、貴方は少女のように麗しい」
「おいこらアホ盗賊。300歳でババアとかさんざん弄っておいて、よくそんなこといえるな。こっち向けコラ、火球顔面にぶちこんでやる」
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