第40話 エルフ三代、仇でなくともドワーフ憎し【シリアス/ゲスト:ピョートル】
王立図書館第二書架室。
そこは英雄譚の魔導書が収められた部屋だ。
英雄譚の魔導書。
古今東西の英雄達にまつわる話がまとめられた書物。いわゆる伝記という奴だ。
これもまた、普通の書物であったものが、長い年月を経る内に人の願いを受けて力を持ったもの。つまるところ書かれて後に魔力を持った類の魔導書たちだ。
近現代のものであれば、歴史資料としての価値もある。
しかしながら、古代の伝説ともなるとこれまた怪しい。
書かれている内容からして魔法じみたものだったりする。
やれ、動物の言葉を解する狂乱の戦士。
やれ、魔法の都に住まう千年を生きる女王。
精霊に祝福された聖剣を振るう大王。
剣で刺そうと銃で撃とうと決して死なぬ不死身の幻獣とそれを殺した勇者。
おおよそ、ある程度の物理法則と魔法原理が解き明かされた現代では、その内容を素直に信じることはできない。しかしながら、それを浪漫と言えば理解もできる。
なんにしても昔の人間の想像力というのは実に豊かだった。
そんなことを足を踏み入れるたびに痛感させられる、そんな魔導書架だ。
「しかし、今日はそんな昔の英雄に用があるわけじゃないんだな、これが」
「誰に向かって言ってるのよあんた」
扉の前で立ち止まった俺に、じと眼を向けてくるリーリヤ。
よくあるやり取りと言えばそうなのだが、今日の視線はこれだけではない。
こいつ大丈夫かとばかりに、深い皺を眉間に刻んでこちらを見つめているもう二つの視線。
その持ち主は――訳あって付き合ってもらった大臣殿。
「のうリーリヤ、こやつはいつもこんな感じなのか。変なクスリでもやっとるんじゃないのか」
「ひどいなピョートル。ちょっと物語の主人公気取って呟いてみただけだろう」
「主人公って。英雄にでもなったつもりか、この馬鹿たれ。お前なんぞが英雄を気取るなんぞ百年早いわ」
「まぁまぁピョートル様。言わないであげてよ。マクシムはひょっとして、もしかしたら、あいれないけれど、万が一にも、何かの拍子に、将来この書架に収められるかもしれないんですから」
「傷つくぞリーリヤ、おい、こら、なんだその前置き」
ほぼないと言っているようなものじゃないか。
お前な、確かに俺は腐り竜退治のパーティのみそっかすでしたよ。
メインアタッカーじゃない、サポート周り担当のパーティメンバーでしたよ。
けれどもそんな俺だって、一応腐り竜退治のメンバーには違いないんだよ。この王国で最も腐り竜を倒したパーティーのメンバーに違いないんだよ。
だからまぁ、たぶんいつか俺もこの書架に入ることでしょう。
おそらく単体で入ることはないだろうけれど。ボールスたちと一緒に書かれることになるだろうけれど。まぁ、それはそれである。
たかが王立図書館の司書ごときが偉そうに憐れまないでいただきたい。
そしてピョートル。アンタはまぁ、一国の大臣だしそれなりに功績あるみたいだから、入りそうな気がするけれども、それでも傷つくから言わないでいただきたい。
傷つくから言わないでいただきたい。
「ふん、腐り竜退治がなんだというんじゃ。あんなものをセコセコと狩ったくらいでいい気になってもらっても困る」
「いったな爺さん。俺はな別に英雄になりたくってあんなことやっていた訳じゃないがな、それでも仲間のことを悪く言われて」
「あぁもう二人とも落ち着きなさいよ。ピーピーピーピー五月蝿いのよ。まったく、どうして我が国の英雄の代表格が、そろいもそろって餓鬼みたいなこと言ってるの。そんなんじゃ本にしてもらえないわよ」
いや、だから言ってるじゃないか。
別に俺は英雄になりたくて、俺は竜退治してたわけじゃねえから。
そもそもきっかけからして行きがかりだから。
世間が勝手に持ち上げてるだけなんだから。
みんなが言うから仕方なく英雄ってことになってるだけだから。
英雄扱いされたいとかそういうんじゃないから。
断じて違うから。
ふん。
ぷいすと俺がそっぽを向くと、リーリヤがため息をこぼした。
今日ばかりは息が合うのか、ピョートルの奴まで重いため息を吐きだしてくる。
なんだい揃って嫌味たらしい奴らである。
そんなに俺が英雄だってのが気に食わないのか。
事実は事実だろうが。
まったく。
「こんな俗物とワシを一緒にするでない。ワシはこの国のことを思えばこそ、こうして大臣を務めておるだけで、名声や名誉を求めておるのではないわ」
「まぁそこらへんは、今日会う予定の人に聞くことにしましょうよ」
少し含みのある言い回しにピョートルが鼻を鳴らす。
その横で軽快に鼻歌を鳴らしながらリーリヤは書架室の扉を手前に引いた。
黄金色に輝くそこは天国か、それとも伝説に聞くワルキューレが舞う宮殿か。
部屋の中だと言うのに後光が差している英雄の魔導書の書架室。
まぶしくて思わず目の前に手をかざす。
そんな俺を置いてきぼりに、ピョートルがさっさと中へと入っていく。
「おい、ピョートル、危ないって。アンタ、ここは魔導書の書架なんだからさ。俺ら司書とはぐれたらどうなることか」
「いらん世話じゃ。エルフにも盗賊にもワシャ世話になる気はない」
「それでなくてもおまえさん爺さんだろ。躓いたりしたら大変じゃないか」
「人を老人扱いするでない!! ドワーフはちょっと見た目が老いるのが早いんじゃい!! まったく!!」
どうやら墓穴を掘ったらしい。
俺の言葉に余計に肩を怒らせて、早足で書架室を歩いていくピョートル。
いやそうは言っても実際いい歳だろ。
ドワーフの成人年齢はとっくに越えているし、古希に相当する年齢だと正司書づてに聞いている。だというのに、なんでそんな分かりやすい見栄を張るのか。
やれやれ。
ただでさえドワーフということで気難しいというのに輪をかけてこれだ。
ピョートルの短気ぶりには困ったものである。
はたしてこの頑固爺さんと上手く付き合える奴などいるのだろうか。
かれこれ長いこと王宮勤めをしているそうだが、過去には気の合う同僚の一人くらいはいたんだろうかと、そんなことをつい疑ってしまった。
そして、そんな同僚の一人にして、うまく言っていない正司書殿が横で嘆息を漏らした。
「ほんと、どうしてこうも頑固なのかしらね、ドワーフってのは」
「お前見てると、エルフもそう変わらないような感じるけどな」
「馬鹿言わないでよ。まだあんな寸胴樽種族より、私らのほうが分別があるわ」
「聞こえておるぞリーリヤ!! 誇り高きドワーフの体型を、寸胴樽とはどういう言いぐさじゃ、この案山子エルフが!!」
進む足取りは緩めずに、突然始まるエルフとドワーフの言い合い。
エルフがドワーフを指して樽といい、ドワーフがエルフを揶揄して案山子というのは、世間一般のよくある会話。いわゆる種族あるあるだ。
犬猿の仲と同じ意味を指して、「エルフ三代、仇でなくともドワーフ憎し」という言葉がある。ドワーフを見れば、三世代離れていても憎いと意見が一致するという意味だ。
そこに加えて、エルフの寿命を考えてもらえば、まぁ、色々と彼らの間にある根深い確執について想像していただけるだろう。
「やっぱり、俺だけで来た方がよかったんじゃないか」
「そうかもしれないわね。けど、一度会ってみたかったのよね、音に聞こえしエルフの大英雄様に」
「疾風のパーヴェルだっけ。凄いよな西の大国の軍勢相手に、魔法を駆使してたった一人で国境を跨がせなかったという、稀代の大魔導士」
「ねぇ。魔道からはぐれて司書になった私でもちょっと興味が湧くわ」
「俺も後輩として興味津々という奴だ」
「そんなたいそうなもんじゃないわい!!」
と、ここで何故だかピョートル大臣が立ち止まる。
肩を怒らせて前を歩いていた割には、こちらの話にちゃんと耳を傾けていたらしい。
かの大英雄と同じ時代を生きた男。
それだけではなく、面識のある唯一の生き証人。
ドワーフ大臣は、まるでそう叫ぶことが自分の義務であるかのように、唐突に怒鳴るとこちらを振り向いた。
顔にぽつんと浮かんでいる瞳は怒りに萌えている。
おいおい何をそんな感情的になることがあるのか。
やはりエルフとドワーフ。
知人とはいえ、仲が悪かったのか。
「こら、やめなよ、ピョートル。彼ら何も君の悪口なんていっていないよ」
そんな俺達に声をかけるものがあった。
もとより、部屋の中に入ったのは三人である。
四つ目のその声はこの世の住人のものではない。
それは、この部屋の住人の声。
かつてこの世界に存在して、今はもう居ない。
英雄の姿を模した幻影の声。
長く尖がった耳を持つ紙人間。
突如として現れた彼は、正面をピョートルに向けていた。
それまで、息を荒げて肩を吊り上げていてピョートル。
しかし、紙の英雄の登場と共に、それがすとんと首より下に落ちた。
空洞の瞳から注がれている視線にはっと彼は息を呑む。
「パーヴェルか?」
いつもは気丈な大臣さま。
しかし、この時ばかりは、その声色がかすかに揺れていた。
あぁ、と、紙の英雄が応える。
それに応答するドワーフの言葉はない。
ただ、物悲しい沈黙を、ピョートルは返した。
「疾風のパーヴェル様。いえ、その伝記に宿った擬似生命とお呼びするべきかしら」
言葉をなくしたドワーフに変わってリーリヤが問う。
いかにも、と、答える、パーヴェルの伝記の魔導書。
ここ、第二書架は、伝記に記された人物に擬態した魔導書が住まう場所でもある。
ある意味で、英雄達のヴァルハラ。
死後の世界と言っていいような場所である。
つまるところ、このパーヴェルの伝記との謁見こそ、今回の俺達の目的だ。
「お手数ですが、貴方の生涯について、知りたいと申している方が居るのです。現世を離れて安らかなる眠りについているところ申し訳ないですが」
「いいですよ。もとより、かりそめの安息です。現世より離れて幾百年、それでも私の力を王家が欲するものがあるというのなら、力を貸しましょう」
「なんだよ随分物分りがいいな。どっかのエルフやドワーフみたいにごねるのかと思ってたんだが、拍子抜けだな」
「そうだな、普段ならそうするだろうが。盟友の前とあっては、そんなみっともない素振りはすることはできないよ」
パーヴェルが視線を投げかけたのは、他の誰でもない。
この中で唯一、同じときを生きた人物だ。
ふん、と、彼は鼻を鳴らした。
途端に大英雄の顔色が曇る。
「まだ怒っているのかい」
「あたりまえじゃろう。何もお主一人が全てをしょいこむことなどなかったんじゃ」
「仕方がなかったんだよ。王も、国も、そして君も、こうして幾百年たってもこの世界に存在していることがせめてもの救いさ」
「勝手なことを申すな。ワシはそのおかげで、この幾百年をどれだけ忙しくすごすハメになったか。おぬしが生きておれば、こんなにも老け込まずにすんだというもの」
機械仕掛けのドワーフ。
その血が通っていない頬に光るものが流れた。
それがどういう仕組みで出たものかは分からない。そしてそれがどういう因果で出たものかも分からない。
はたして、この大英雄の伝記にも書かれていることかどうか。
所詮は伝記。伝え聞いたものを記したものだ。そこには、人の願望により記された、英雄としての彼らの姿しか描かれていないだろう。
彼らにどのような交友関係があり。
彼らがどのようなことを想い。
彼らがどのように生きて、そして死んだのか。
それは当人のみぞ知ると言うもの。
しかしながら――。
「いつまでもこんな所に居ては危ない。何も英雄達は皆揃って紳士という訳ではないからね。行こうか、ピョートル。さぁ、僕の手を取り給え。出口までは支える」
「五月蝿いわい。おぬしまで、ワシを老人扱いして」
「仕方ないだろう。僕は死者で、君は生きているのだから、それは、さ」
手を取り合う若いエルフと老いたドワーフ。
その姿からは、確かな親愛が伝わって来た。
種族を越えた硬い絆が。
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