第35話 車輪【シュール】
車輪の発明は人類史においてもっとも重要な出来事だ。
摩擦抵抗を最小限に抑えることにより、少ない力で大重量の物質を移動することを可能にする。車輪は人類の文明圏を押し広げるのに多大な貢献を果たした。
人類の版図の拡大は車輪と共にある。
そう言ってもいい。
同時に、その車輪を組み込んだ道具の発明もまた、文明あるいは人類にとって重要な繁栄の要因だった。
とは、人類ではないリーリヤの話。
今でこそ司書補だが、田舎育ちの悪童の俺だ。
そんな俺には車輪と言われても、荷馬車に付いている木の輪っかくらいの認識しかなかった。
そのありがたさ。
その偉大さ。
などと言われてもとんとこないのであった。
「で、そんな車輪による発明品についての書籍を集めたのが、ここって訳か」
「第四十八書架室、車輪の書架よ」
「車輪の発明品なんて簡単に思いつかないけどな。本当に、そんな言うほどあるのか?」
「あるわよ。風車とか、水車とか、車と字の着くものはたいていそうでしょう。無学なアンタは知らないでしょうけど、天文学の装置にも使われているのよ」
「へいへい。無学で悪うございましたね。申し訳ございやせん」
言うほど無学かねぇ。
普通知らんと思うがねぇ。
お前さんその脳みそをどうでもいい知識に割いているだけではないのかい。
などと言ってやりところだけれどぐっとこらえる。
迂闊に雇い主を怒らせたところで、締まるのは自分の首だ。
俺は素知らぬ顔をして、目的の本が納められている書架室の扉に手をかけた。
「けど、やっぱりなんといっても、車輪を使った一番の発明はこれよね」
「なんだよ、もったいつけやがって――って、うぉ、なんじゃこら?」
部屋の向こうに広がっていた光景。
それは延々と広がる畑。
剥き出しになっている肥沃な茶色い土くれ。
畝も造られずに無造作に放り出されている。
学はないけど田舎育ちだ。
畑の良・不良くらいはわかる。
これは、あまりよろしくない手入れのされ方だ。
「おいおい、誰だよこんな適当な手入れをした奴は。これじゃろくな作物が育たん。農家の奴らはいったい何をやってるんだ」
「しっ、だめよマクシム、そんな大声出したら。奴らに気が付かれるわ」
「奴ら? 奴らってなんだよ?」
誰が居るって言うんだ、こんな場所に。
第一気が付かれるもなにも、こんなだだっぴろい畑の真中だぞ。
立っていたらいやでも目に着く。
と、言うが早いか、地平の向こうから、けたたましい音が響いてくる。
やがて土煙と共に現れたのは荒ぶる二頭の馬。
口から涎をぶちまける。
白い汗を太腿の内側に滴らせる。
どう猛な栗毛の馬が荷車を引いてこちらにやって来る。
荷車の上には、人。
まるで現代文明とはかけ離れた、原始的な衣装を身にまとっている。
なんだこれは。
俺は首を傾げた。
「あぁ、見つかっちゃった。どうするのよ、マクシム」
「……いや、なんだ、これ?」
「なんだこれって、見て、分からないの?」
「まったくわからないんだが」
「戦車よ戦車。戦場で馬に引かせて敵陣営を撹乱したりする奴よ。考えたわよね、なんといっても戦いにおいて重要なのは機動力」
「いや、それは、なんとなく分かるけど。何、この、戦車に乗っている人」
じろりこちらを鋭い眼孔で見てくるそいつ。
古代の戦士という感じだ。
そんな威圧感をひしひしと俺に投げかけてくる彼は、先ほどから何も言わずに、俺達の周りをぐるりぐるりと、その自慢の戦車で回ってくる。
何かようなの。
なんなの。
用があるなら言えばいいのに。
いやまて。
もしかして、こいつがこの書架の番人か。
なるほど色んな番人がいるもんだな。
もう少し知性の感じさせられる、そういう風貌ならすぐわかるんだが。
と、思ったのだが、どうやら違うらしい。
「戦車に乗っているんだから戦車乗りに決まってるじゃない」
「戦車乗り」
「名前はゲオルギー。古代戦車術を使う勇敢なる魔導書の番人よ」
「なんだよ古代戦車術って。色々と、つっこみどころが多くて、どこから指摘したらいいのか」
というか、なんで見つかったらまずいんだ。
リーリヤに訪ねようとした矢先。
「うぉぉおおおおお!!」
「んぁああああ!?」
なぜだか、俺はゲオルギーに、襟後ろを掴み上げられて持ち上げられた。
はい、なんでしょうか。
俺、何か気に障るようなことしたでしょうか。
猛獣の首をぽきりとへしり折ってしまいそうな二の腕。
そんな腕っぷしを前に、抵抗する気などすぐに霧散していた。
大人しく、彼の言うことを聞こう。
無口なのか、それとも何か故あってか。
彼は俺の顔をまじまじと覗き込む。
次いで胸板、股間、足と、上から順に舐め回すように目を向ける。
視線が突き刺さるようだ。
汗が止まらない。
そうしてゲオルギーは、一通り俺を見終えると、ひょいと俺を降ろした。
パシリ、鞭が鳴る。
馬がいななき、また土煙があがった。
すぐに古代の戦車乗りの姿は地平線の彼方へと消えてしまう。
「……なんだったんだ、いったい」
「よかったわね、マクシム、アンタ、ゲオルギーの好みじゃなかったみたいよ」
「は? 好み? なんのことだよ」
「顔の話よ」
「顔の? バカ言え、お前、なんで男が男の顔を見て好みだなんだって……」
背中を怖気が走る。
別に、学なくても知っている。
古代の戦士――でなくても、古代の男たちは、そういうことを嗜んだと。
男同士で戦うこともあれば、男どうして愛し合うこともあると。
そんな話を伝説やらなにやらで耳にしたことがある。
怖気が背中を走る。
そうか、そういうことなら、あんな舐め回すように体を見られたことも合点が行く。
同時に、薄ら寒い気分にもなる。
しかし、そんな俺の予想と裏腹、リーリヤは違うわよと言って首を横に振った。
「なにからなにまで思い違いしているわ」
「思い違いだって、何がだよ。全部いまそこで俺たちの前で起こった事実だろう」
「前提条件が間違ってるのよ。まず、彼女は、彼じゃないわ」
リーリヤは言った。
まったく意味が分からなかった。
さらに続けて、リーリヤ。
「彼女、歴とした女性よ。ゲオルギーなんて名前だけれど、そこはそれ、そういう流儀のある部族の娘なのよ。古代から、チャリオット道は部族の女子のたしなみでね、気に入った男がいれば、それをかけて彼の妻や恋人、あとは気の知れた幼馴染なんかと試合するのが彼女たち部族のならわしなのよ」
「……まず、どこからつっこんでいいのか」
なんだよチャリオット道って。
ツッコミを入れるだけで、俺にはもう限界だった。
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