第13話 魔術と香辛料【ギャグ】

 涙が止まらない。

 瞳が開けられない。


 別に感動する劇を見ている訳じゃない。

 涙なくして語れない本を読んだわけじゃない。

 というかそもそも俺は本が読めない。


 それじゃなんで泣いているかと言えば、説明するひつようもないだろう。

 ここは魔法書架である。


「目が!! 目が痛い!! 焼ける!! 焼けただれて死ぬッ!!」


「もう、だからゴーグルつけなきゃって注意したじゃない。人の話を聞かないんだから」


「目に辛さが痛みになって来るだなんて想像できるかよ!! なんだこれ、どうなってんだ!?」


「いいからほら、これ、あなたのゴーグル」


 月桂樹の杖を一振りして、執務室に置いてきた俺のゴーグルを取り寄せるリーリヤ。


 助かったと俺はそれに飛びつく。

 すぐさま後頭部にバンドを回し、目でそれを覆う。

 邪悪な赤い空気は遮断され、ようやく俺は瞼を上げることができた。


 はぁ、助かった――。


「だはー、どうなることかと思った。涙で溺れて死ぬところだったぜ」


「おおげさねぇ。まったく、世話が焼ける猟犬だわ」


 目に突き刺さる辛さとはなんぞや。

 部屋に入る前にリーリヤに説明されたが、なにぶん文学的な表現に疎い俺だ。

 それがどういうものか、まったく想像することができなかった。


 なので、実際に書架室に入って、赤い煙がもくもくと唐辛子畑から立ち上る様を目撃してからようやく実感した。

 あ、これ、あかん奴やと。


 ただ、知ったと時には既に遅い。

 微細な赤い煙はすぐに俺たちに襲い掛かると、ゴーグルをかけていない俺の粘膜を襲って来た。目から鼻から口から喉から、そして肌から。激辛空気を吸収した俺の身体からは、涙に汗に涎に鼻水と、滝のように汁が溢れ出てきた。


 そう。

 ここは第十八書架室。

 香辛料の魔導書の部屋。


 ようやくリーリヤから渡されたゴーグルが効いてくる。一番ひどかった目の腫れが収まってきたので、どうにかこうにか精神的な余裕が戻ってくる。

 しかし、まだ痛い。まだまだ焼けるような感覚はなくならない。

 結局、目の痛みが完全に収まったのは、ゴーグルを装着してから半刻ほど後だった。


「酷い目にあった。久しぶりに涙なんて流したぜ」


「冷血漢の癖に出るんだねぇ。誰かのお葬式のために取っといたほうがよかったんじゃない」


「生憎ながら葬式に出るような知人なんて俺にはいねえよ」


 居ても、お前やボールスのように、なかなか死ななさそうな奴ばっかりだ。


 もこもことしたレザー製の防護服に、きらりと光るガラス張りのゴーグル。


 完全武装。

 フルレザーアーマーに身を包んだ重魔法使い兼司書のリーリヤさん。


 によによと、ゴーグルの中で意地悪く彼女は笑っている。

 そんなフル装備でどうするんだと、部屋に入る前は逆に笑っていた俺だが、今となっては何もいえない。笑い返されるのも仕方なかった。


 しかし腹は立つ。

 ちくしょう、通気口にそこらへんの唐辛子をちぎって突っ込んでやろうか。


 いやいや落ち着け俺。

 そんなことしても泥仕合になるだけだ。

 これ以上、流す汁は体に残っちゃいねえってもんだよ。


「しかしなんだな。香辛料の魔導書って。どうして魔術に香辛料が関係あるんだ」


「あら、そんなことはないわよ。シナモン、オニオン、クミン。古くから、香辛料は魔術における大切なエッセンスとして使われてきたわ」


「そーかい、そりゃなんともたいそうなこって。けどよ、さっき並べた例の中に、トウガラシは入ってないだろう」


 なのになんだ、この一面のトウガラシ畑は。

 シナモン、オニオンどこに消えた。

 見渡す限り真っ赤じゃないか。


 向こう三里、地平の果てまで、真っ赤っ赤のトウガラシの群れ。

 鮮やかなどぎつい赤色の奔流という有様。


 茶畑や桑畑じゃないんだからさ。

 その色合いといい、沸き立つ紅い粉といい、ある種の地獄だぜここは。


「さぁ、どこいったのかしらね」


「どこいったのかしらねっておい」


 万全の準備をしておきながらしらばっくれるリーリヤ。

 知ってだろう。知ってたからこそそんな格好してるんだろう。

 それで、どうせまたお前が何かチョンボをやらかしたんだろう。

 そのせいなんだろう。


 まったく勘弁してくれよ。このドジ司書。

 尻拭いするこっちの身にもなれ。そもそもお前がチョンボしなければ、こんな痛い目には合わなくてすんだのに。


 心の中でふつふつと沸き起こる唐辛子スープのような感情。内心はおだやかではなかったが、喧嘩ごしにゴーグルをずらそうものなら、また隙間からトウガラシの瘴気が入り込んでくるだろう。


 それはいけない。

 それだけはいけない。

 もう、流す汁は残っていないのだ。


 握った拳を振り上げ思いとどまる。

 俺は深い溜息を吐いてゴーグルを曇らせた。


「で、どうすんだよ」


「何を?」


「本を探す方法だよ。ほれこの通り、鼻もぐっちょんぐっちょんだから、いつもみたいに臭いで探すのは無理だぞ」


「役立たずねえ。なによこれくらいのトウガラシの臭いで」


「だったらお前がやれや。そのゴーグル割るぞ」


「おほほ、あらやだ冗談じゃないのよ、マクシムさん。そんな本気になさらなくってもよろしくってよ。まったくもう、トウガラシを摂取したからって、そんなカッカしなくてもいいじゃないの」


「やっぱ割ろうか」


「大丈夫!! 大丈夫!! ちゃんと考えはあるから!!」


 あわててそう言うと、リーリヤはひょいとレザーアーマーのポケットに手を入れる。

 中から取り出したのは茶色い摩擦用の紙を側面に貼り付けたマッチ箱だ。


 それでいったいどうするのか。

 俺が尋ねるより早く、リーリヤは箱の中からマッチを一本取り出す。

 そしてそれを擦って唐辛子畑に投げ入れた。


「おい、こら、なにやってんだよ」


「なにって、焼畑?」


「どうして」


「この手の魔術書はだいたい地下に根を張ってるのよ。だから、根っこより上は必要ないのよね。だから、燃やしちゃって掘りやすくしようって」


 なんだそれ。

 普段は俺のやり方が乱暴だなんだという割に、アバウトな作戦だなおい。


 一応、魔導書から漏れ出た魔力で、この部屋の認識は歪められている。 

 だが、図書館の書架室であることに変りはない。

 下手なところで書架の魔力が切れて小火にでもなったらどうするんだ。


 いや、考えまい。

 火をつけたのはリーリヤだ。

 俺、関係ないもん。


 そう、俺は彼女の番犬――代わり。

 体のいい使用人。

 そんな俺には、小火の原因なんて関係ないよね。きっとそうよね。


「あーあー、マクシムがタバコの火の始末をちゃんとしないから、畑が」


「おいこら。いきなり前後関係すっとばして俺のせいにすんな」


「こういう時の身代わりでしょ?」


「番犬!! 身代わりじゃない!! ふざけろ!!」


「冗談よ。まぁ、なんだかんだ言って――私も貴方と同じで、辛いのって苦手なのよね。だから、できる限り手早くすましちゃいたいのよ」


「……おまえってば舌がおこちゃまだものな」


 五月蝿いわね、と、リーリヤ。

 いつものように魔法で首を絞めようとした彼女。

 しかし、その月桂樹の杖を握り締める手が止まる。


 俺たちの前で、トウガラシ畑に放たれた炎が、どんどんと視界の奥――地平線の彼方へと燃え広がっていく。


 いま、紅く燃えるトウガラシ畑とその空。

 漂う紅い瘴気の空気が、少しずつだが浄化されていく。


 そのはずだったのに。


「あれ? ちょっと? なんか、空気が、余計に紅くなってない?」


「火であぶられて、より強力になった臭気が昇り立っている――感じに、見えなくもないような」


 燃えるトウガラシ畑。

 そこからもくりもくりと立ち上がる赤い煙。


 それが元より赤い空気に溶けこめば、せっかく顔に付けたゴーグルを回避して、俺の涙腺に滑り込んできた。

 再び目玉に鋭い痛みが走る。

 先ほどより数段きつい。


 駄目だ、駄目、こりゃいかん。


「やめろリーリヤ!! 燃やすのストップストップ!! 余計に酷いことになってる!!」


「えっ、ちょっと、なにどういうこと!? 火をつけたことで唐辛子エキスが気化してさらに辛さの濃度が増したっていうの!?」


「冷静に分析している場合か!! 水だ水!! 水もってこい!!」


 色んな意味で、俺たちとこの書架には水が必要だった。

 やれやれ。


 辛いものは燃やしてしまおうなんて――そんな安直なことするもんじゃないね。

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