第2話 魔導書のバグ【ほのぼの】
「……いて」
魔導書探索の仕事がなければ、俺にはやるべき仕事もできる仕事もない。
なので、そんな日は開店休業となる。
そんな開店休業日。執務室のソファで昼寝に興じていた所、茨が刺さったような痛みを鼻先に感じて俺は目を覚ました。
目を開けれてみればまさしく鼻の先。
にやけ顔の描かれた人型の紙が腰掛けている。
これか、痛みの原因は。
「人がいい気持ちで寝てるってのによう。ったく、また、沸いて出やがったか」
俺の鼻頭で休んでいる小さき紙の人。
彼に気づかれないようそっと手を動かす。
ぷらりぷらりと足を揺らしている紙人間。
その足の下に手を忍び込ませる。
えいよ。
すばやく一掴み。
「きぃ、きぃ」
次の瞬間、俺の手の中には暴れる紙人間の姿があった。
ようやく俺も最近、こいつを捕まえるのに馴れてきた。
「おっし捕まえたぞ」
手のひらの中で小さな声できいきいと鳴くこれ。
この小さき紙の人は魔導書から湧いた『バグ』だ。
季節に関係なく魔導書の隙間から湧いて出て、俺たち人間に悪戯をしかけてくる、本の妖精みたいなものだ。
原理は不明。
魔力で変質する魔導書架よろしく、魔導書はこういうものを産むらしい。
また、粗悪な魔導書に多く発生するともリーリヤは言っていた。
迷宮の如き魔導書架。
そこから本を探すのに加え『バグ』が湧かないように管理するのも司書の仕事だ。
そう、本来『バグ』は、湧いてはいけないのだ。
それがどうして湧いたかといえば――。
ずばり職務怠慢。
いやいや、司書補佐の仕事は本の捜索、俺のせいじゃねえ。
悪いのはぜんぶ正司書さま。リーリヤさんが、ちゃんと適切な処置を施して、魔導書を管理しないからだ。
「しゃーないな。リーリヤ。おい、リーリヤさんや、バグが湧いているぞ」
『バグ』を握りつぶしてゴミ箱に捨て、ソファを腰で押して起き上がる。
執務室から顔を出すと、図書館の一般書架の中に正司書を探した。
だが、リーリヤの姿は見当たらない。
はて、どこに消えたあいつ。
もう一度、今度は今いる執務室に響くように俺は声を上げる。
「おーい、リーリヤさんやい。『バグ』がでたぞぉ。大きな『バグ』だぞぉ。久しぶりの手のひらサイズだぞぉ。職務怠慢かぁ、こらぁ、おぉい」
返事は無い。
「サボりかァ。ったく、だらしのねえ正司書だな」
昼寝をするにはいい塩梅の昼下がりだs。
賢くあかぬけたイメージがあるエルフだが、そこは十人十色。
三度の食事と昼寝が趣味なんていう、田舎じみた奴も広い世界にはいる。
一般書架の入り口から離れてその反対側。
執務室の奥の壁――その中央にある人二人分くらい奥まったスペースへ進む。
そこには正面の壁、左手と右手の壁に扉が一つずつついていた。
正面の扉は図書館の裏口。王立図書館の裏庭に繋がっている。
左手の扉は俺たち職員の寝床がある二階へと向かう階段に出る。
右手の扉は廊下につながり少し歩くと倉庫兼作業場に出る。
迷わず、俺は倉庫へ向かう扉を開くと廊下の先を窺った。
廊下の窓から木漏れ日が入る倉庫の入り口。
ご自慢の作業机につっぷしてすやりすやりと眠るリーリヤ正司書。
「やれやれ、やっぱりか」
廊下を歩いて彼女に近づけば、べったりと机には涎の池。
書きかけの書類にそれが滲み、せっかく走らせたインクを溶かしていた。
まぁ、こんなずぼらが管理している図書館だ。
そりゃ『バグ』も湧くわな。
「むにゃ。もう、マクシムったらぁ」
明らかにまだ夢の中。
そんなリーリヤが、唐突に俺の名前を呼ぶ。
「ダメじゃないもう、そんな、品がない」
「……なんで夢の中でまで怒られてんだよ」
「そんなにヨモギ団子をほお張って。喉に詰まってもしらないわよぉ」
「……どういう夢だよ」
「あぁ、ほら、言わんこっちゃない。ちょっと、マクシム、マクシムったら。こら、マクシム返事をしなさいってば。あれ?」
「……うぉい」
「死んでる」
「勝手に殺すな!」
俺が頭をはたくとリーリヤは目を見開いて背筋を伸ばす。
とろんとした眼が、次の瞬間には俺を見ていた。
「おはよう」
そう俺が言うと、リーリヤの瞳にようやく光が戻る。
戻ったついでに、たちまち彼女の顔が青ざめた。
「うぁっ!? おっ、お化け!? マクシムのお化け!?」
「だから勝手に殺すなよ!」
「うぇえぇっ! なんで私の前に出てくるのよ! 悪霊退散、悪魔よ去れ、お化けなんていないの、お化けなんて嘘なの!」
「そうだよ嘘だよ。しっかりしろこのボケボケエルフ」
「は? え? あれ? ここは、倉庫?」
「そうだよ」
「あれ? おかしいな、ヨモギ団子は?」
「まったく脳天気なもんだね。仕事中だってのに、随分自由な夢を見とる」
「あれ、あれれ。あぁ、そっか、なんだ、夢か」
「残念か?」
「うぅん、そうね、ちょっとくらいね」
割と本気で残念そうに言うリーリヤ。
勝手に殺された腹いせもかねて、こつりとその鼻を叩く。
あいて、と、喚いてから、むぅとリーリヤは頬を膨らませた。
言い返すよりも先に、いつもの調子で彼女は指を振る。
しかし残念。
「馬鹿、お前、今は本の森の中じゃないだろ」
「あっと。そうだったわね」
件の首輪の魔術は本の森――魔導書架に入っていないと効かない。
効かないが、このエルフ、癖になっているのだろう。
自然な調子で指を振って来やがった。
かわいい顔して物騒な女だ。
「その癖、いい加減直せよ。腹たち紛れに男の首絞めてたら結婚なんてできんぞ」
「なんで貴方に人生の伴侶のことを心配されなくちゃならないのよ」
「俺だってしたかねえよ」
「ご心配あそばせ。もうかれこれ百年も女やもめしてるのよ。今更結婚なんてどうでもいいですよーだ」
「お前なぁ。子供とか欲しくないのかよ」
「ないわね。それに私には本があるし」
手近にあった魔導書を抱くと、子供のようにリーリヤはあやす。
「おおよちよち」
「やめろや気色悪い」
「あらやだ本気にしたかしら。冗談の分からない人ね」
「冗談ってのは分かるように言うもんだ」
そんだけ本読んでてどうしてそれが分からんのかね。エルフってのは、そこいらの人間様より頭が回るんじゃないのか。
やれやれ。
「なによ、私がいくつで結婚したって、それは私の勝手でしょう。マクシム、貴方に何か迷惑をこうむるようなことなのかしら」
「そらそうだが」
「だったら放っておいてちょうだいな。別に心配されなくっても、そのうち考えるわよ。素敵な人が現れたら」
「エルフの癖に、考えてることは人間の女とたいして変わらねえのな」
「だから行き遅れじゃないわよ、この駄犬」
またリーリヤが指を振った。
少しは学習しろよお前。
あきれる俺の前で、恥ずかしそうに指先を隠す正司書。こほんと咳払いをすると、彼女はなんでもない感じに手元の本を置いて話をそこで断ち切った。
「それより、どうしたのかしら。何か、問題でもあった?」
「あぁ、そうそう、そうだった」
しょうもないやり取りですっかりと忘れていた。
俺は何も、このねぼすけを起こしにきたわけじゃない。
「さっき『バグ』が湧いたんだよ。気持ちよく寝てるところに鼻の上に乗られた」
「そうね、貴方の鼻って、腰掛けるにはいい高さだものね」
「おうそれはちょっと面白いぞ」
ぺしり。
俺はリーリヤの鼻頭を指先ではじく。
のんきに冗談言っている場合か。
図書館に『バグ』が一匹いたら、百匹隠れていると思え。
可及的速やかに発生原因を突き止めて対処をしなくちゃならないのだ。
「湧くとしたらどの辺りだと思う」
「大きさは?」
「手のひら大かな。そう大きくない」
「最近新しい魔導書を入れた、第七十六書架、楽譜の魔術書かしらね」
リーリヤが椅子から立ち上がる。すぐさま彼女は倉庫から出た。
俺の前を通り過ぎ、執務室にある自分の机へと向かうと、その傍らにあるポールスタンドに手を伸ばす。そのまま深緑のローブをたぐりよせ身に纏う。
「行きましょうか。これ以上増える前に、処置しなくっちゃ」
「そうするかな」
昼寝で気力は十分。
ねぼすけ正司書は、ご自慢の杖を取り出すとその指の腹の上でくるりと回した。
「しかし。部屋を森やダンジョンに変えたり、こんな得体の知れない擬似生物を産んだり。どうして魔導書ってやつはこうややっこしいのかね」
「それだけ難しい代物なのよ。それに、ただ文字が書かれただけの書物を、ひねくれものの魔術師たちがありがたがる訳がないでしょう?」
「……たしかに」
お前が言うと妙な説得力があるよ。ひねくれものでずぼらなエルフの司書さん。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます