本の森のエルフ

kattern

第1話 桜桃の実に口づけて【ほのぼの】

 四方、どこを向いても青々と生い茂った木々ばかり。

 獣道すら見当たらぬ深い森。


 生い茂る藪を手にしたナイフで払い、土くれをブーツで踏みつける。

 文字通り道を切り開いて俺は森を進む。


 背後にはローブをまとった女。

 道なき道を切り開く大変さなど知ったことかという感じに、鼻歌を鳴らして本なんて読んでいる。これが善意の道案内なら文句を言っているところだ。


 だが、そこはお仕事。

 そして彼女は仕事仲間。


 いや――ここの中ではご主人様か。


「いつものことだが、姫さんの食道楽にも困ったもんだな」


「公爵が拝謁の手土産に持ってきたさくらんぼにすっかりご執心。毎日食事に出すように言われた――って、厨房ひいきの青果商が青息吐息」


「極端なんだよほんと」


「同感。それでいよいよ、我が国でもさくらんぼを育てるなんて言うとはねぇ。けど、好奇心が旺盛なのはいいことじゃないかしら」


 藪の下から駆け出てきた、膝小僧サイズのおばけキノコ。

 それを蹴り飛ばして俺の後ろで女がのんきを言う。


「好奇心旺盛なのはよろしいことでしょうよ。しかしね、どうしてその好奇心につき合わされるのが俺らかね」


「利用者が求める本を探すのが司書の役目だからよ」


「だったらお前だけでやれよ。俺は司書補だ」


 俺の喉元に結ばれた手綱の付いていない首輪が締まる。

 喉がぐぇと鳴った。


 藪を掻き分ける手を止めて振り返ると、金色をした髪をそよ風に揺らして、俺のご主人様が足を止めていた。


 森の緑とまた違う翡翠の瞳がこちらを見ている。


「か弱い司書に変わって森の中から本を見つける。それが犬のお仕事。まだ自由気ままな冒険者気分が抜けてないのかしら、マクシム?」


「労働条件が違う。座ってるだけの簡単なお仕事って聞いたぞ」


「文字も読めない、魔法も使えない、大学も出ていなければ、腕っ節と鼻の鋭さだけが取り得、っていうんじゃねえ」


「文字が読めて、魔法が使えて、学校こそ出てないがご秀才な頭をお持ちでも、冒険者崩れの力を借りなきゃ本も探せない。そんな奴もどうなんですかね」


「あによ」


 ぐぇ。

 また、俺の喉を空気が抜けた。


「いちいち、首を、絞める、な」


「あらごめんなさい。どっかの駄犬がきゃんきゃんと吼えるから」


 首輪が緩む。

 はぁと深く息を吸い込み、吐き出し呼吸を整える。

 その横で、にまにまと俺の飼い主は意地悪な笑顔をこちらに向ける。


「こういう用途でつけてるもんじゃねえだろ、これ」


「はいはいもう、ほんと文字は読み書きできないくせにおしゃべりは達者。さすが元詐欺師ね」


「盗賊だよ!」


「どっちもそう変わらないでしょう」


「エルフとドワーフくらい違うっての!」


「あらそう、なら、そういうことにしといてあげるわ」


 ちっとも悪いと思ってなさそうな笑顔。

 少女のようなあどけない顔つきと華奢な体をした彼女は、深緑のローブの中から月桂樹の杖をこちらに向ける。


 さらの紙のようなクリーム色をした頬。それをほんのりと紅潮させ、ぴこぴこと尖った耳を揺らす。


 この世のものとはおもえぬ美貌。


 ――は流石に言いすぎかな。


 だが、宝箱にでもしまっておきたい美しさとでも言おうか、狂おしいほどの繊細な美しさを感じさせる彼女は、深き森に住まうエルフ族の娘。


 名前をリーリヤという。


 普通エルフは人里を嫌い森の奥に住むもの。

 だが、どうしてかリーリヤはここ――人間達の王国は王都に住んでいる。

 さらに、国内最大の図書館である王立図書館のたった一人の正司書だ。


 どうしてかと言われれば、それは王立図書館が古今東西の書物を収集していることに由来する。


 書物といっても、何も一般的な読み物だけではない。


 魔導書。


 強い魔法や呪いをかけられたもの。

 あるいは、特定の分野について専門的に記載したが故に魔力を持ったもの。

 この大陸に数多くあるそれらについても、ここ、王立図書館は収集している。


 そして集められた魔導書は、ここ――魔道書架と呼ばれる図書館とは異質な場所へと収められ、管理されているのだ。


 もちろん危険な力を持った魔導書だ。

 管理には、高位の魔術を行使する能力が求められる。

 そう、それこそ種族として魔法に精通しているエルフくらいの実力が。


 王立図書館魔導書架――通称『本の森』。


 それを管理するために雇われた高位の魔法使い。

 それが、この生意気エルフ娘――リーリヤなのだ。


「ったく、久しぶりに森の中だからって、テンション上がりすぎだろリーリヤ」


「仕方ないじゃない。エルフってのは森の中に生きるものなの」


「のこのこ田舎から王都に出てきておいてよくそういうこと言えるな」


「エルフにも変わり者はいるのよ」


「自分で言うかねそういうこと」


「変わり者ですから」


「それにしたって、なんで図書館勤めなんて選んだんだよ」


「それはあれよ――本というのは木からできているから。森の中に居るのと同義」


「理屈が分からん」


「仕方ないじゃない。知的欲求が、私の中に流れるエルフの血を上回ったのよ。この使命感。司書補のマクシムくんには分からないでしょうね」


「分からんし、分かりたくもない」


「もう、だからダメなのよ、アナタ。もっと仕事に情熱を持ちなさいな」


 はいはい、と、ご主人の言葉を聞き流す。

 ふん、と、リーリヤはすねたように顔を俺のほうから背けた。


「で。ここか?」


 魔導書から漏れ出した魔力により、樹海のようになった第三書架室。

 そんな書架室の中に堂々と立つ大きな樫の木を眺めて俺は言う。


「たぶん」


 リーリヤは少し自信なさげに、手の中の館内案内図を見ながら呟いた。

 巻物の案内図は、いつの時代に描かれたのかと、怪しくなるくらい茶色い。


 不安が俺の額に汗となって流れる。


「たぶんって」


「この辺りのような気もするし、そうじゃない気もする。地図的には、まちがいなくこの辺り。けど、なんだか地図と地形が変わっているようにも見える」


「なんだよ、お前、その歯切れの悪い言い方」


「ごめん。この辺りまで来るのははじめてだから。ちょっと分からないのよね」


 てへり、と、舌を出すリーリヤ。


 つまりだこいつ、今まで地図を見ている振りをして、ここまで来たってことか。


 そんでもって更に言うなら、俺ら迷子ってことか。

 冗談じゃない。


「おいこら司書さんよ。自分のところの図書館で迷子になる奴がいるか」


「仕方ないじゃない。前任者がこの書架室に入ってからもう百年も経ってるのよ。百年も経てば、図書館じゃなくったって地形は変わるわ」


「おうおう流石に千年単位で生きてる種族は言うことが違う」


「迂闊だったのは認めるわよ。樹木系の魔導書の特性を侮ってたわ」


 と言いつつ、どこか楽し気なエルフの正司書。

 ろくな冒険スキルも持ち合わせていないのになんで余裕なんだ。

 勘弁してくれ。


「ふざけんなよ、探しに行ったけど見つかりませんでしたって、ガキの使いじゃないんだぜ」


「こういう時に、あなたを雇ってもらってるんじゃないの。ねっ、司書補さん」


 確かにそうだが、ドヤ顔で言うことかね。

 仕事に情熱をとか説教された手前、複雑な気分である。


 そんな俺の気分などさておき。


「はいこれ」


 リーリヤはローブの中から白い装丁が施された本を取り出すと、俺によこした。


 白い本。

 その中央のページを開く。

 栞りのような茶色い紙切れを、俺は人差し指と親指で摘みあげる。

 その切れ端には緑色のコケ。


「あんまり長く外に出しておくと危険だわ」


「わかってるよ」


 くん、くん、と、鼻を鳴らせば――切れ端と似た臭いを近くに感じる。


 そう遠くない所にこの臭いの元がある。

 そんな感じがする。


 そう、この紙切れこそは、俺たちが探している魔導書の切れ端。

 魔導書を書架に放り込む際、万が一、収納場所を間違ったときなど探索できるよう、保存しておいたものだ。

 こいつの気配を頼りに『本の森』に潜る司書は目的の魔導書を探すのだ。


「ん、まぁ、近いな」


「ほら、ばっちりじゃない、私のナビゲート」


「たまたまだろ」


 長いこと盗賊なんて職業をやっていると、魔法の臭いなんていう、よく分からないものが分かるようになってくる。

 言葉で伝えるのが難しいが、確かにそれが感覚として分かるのだ。


 俺のような学なんかと縁のない盗賊崩れが、どうしてこんな図書館に勤めているのかといえば、これが理由。

 リーリヤが、高い魔法使いとしての才能を期待されて正司書になったように、俺もまたこの盗賊の勘を期待されてここの司書補をやっている訳だ。


 俺は魔導書の切れ端と同じ臭いが漂ってくる方向を見定める。


 右、左。

 という感じではない。


 しゃがんでみれば、唐突に、その臭いが薄くなった。

 というより――遠くなった?


 もしかして――と、立ち上がり見上げれば、濃い臭いが鼻孔に届いた。


「おう。この樫の木の上辺りだ」


「上って、これは樫の木じゃない。私たちが探してる本は」


「そこで待ってろ」


「ちょっと、マクシム!?」


 白い封印書に切れ端を挟み込んでリーリヤに渡す。

 すぐに俺は広く伸びた枝を掴んで樫の木をよじ登る。


 枝を蹴り、瘤に指先をかけて、樹を登る。

 一息に樫の木のてっぺんまで登りきれば、その先端は明らかに樫の木とは違う。

 別の樹がその先に寄生していた。


 その寄生した樹の匂いを嗅げば、魔導書の切れ端と同じ臭い。

 すぐに俺は枝の間から下にいるリーリヤに声を投げかけた。


「あったぞ」


「えっ、ほんとう?」


「どうする。ここまで登ってきて、お前が処置するか」


「私、高いところは苦手なの」


「んじゃ俺がやっちまうわ」


「あっ、こら、ちょっと、待ちなさい、マクシム。駄目よ貴方」


 だって登ってこれないのだから仕方ないだろう。

 俺は懐からなめし袋を取り出すと、それを握り締めたままじっと辺りを見渡す。


 また、濃い魔導書の臭いが鼻腔をくすぐる。


 鼻先と共に視線を彷徨わせれば――あったあった。

 寄生した樹と樫の木の継ぎ目に本が埋まっている。


「失敬」


 一枚、埋まっている本の中からページを破って引きぬく。

 次に、俺はそこになめし袋の中から取り出した、乾燥させた香草を散らした。


 ページでくるりとひと巻き。


 筒状にして巻き込んだそれの端を、ぴっと、舌で舐めてとめる。

 なめし皮の袋を懐へとしまい代わりにマッチ箱を取り出し、一本マッチ棒を引き抜くと腰のベルトで擦り上げた。


 燃える炎を、香草を包んだ魔導書の紙に近づける。


 甘ったるいにおい。

 紫色した煙。


「ふぅ」


 筒の端から煙を吸い込む。

 本の中で何百年何千年と醸造された魔力が、ゆったりと溶け込んだその煙を、俺は口、そして、肺の中で味わった。


 この仕事をやっていてよかったなと思う唯一の瞬間だ。


「はぁ」


 幸福の香りを名残惜しく吐き出せば途端に寄生した樹が枯れ始めた。

 それはみるみるもとの姿――魔導書へと戻っていく。


 黄金の果実と書かれたその書物は、なるほど、姫様がぞっこんの桜桃のような甘酸っぱい香りがした。


「終わったぜ」


「あぁあぁあぁ! マクシム! なんてことを! 貴重な魔導書なのよ!」


「いいじゃねえかよ。一ページくらい、減るもんじゃないだろう」


「減ってるわよ物理的に!」


 行きはよいよい帰りはなんとやら。

 ひょいと樹の上から飛び降りて、俺はリーリヤの前へと戻る。

 半べそをかいて魔導書を受け取った彼女は、いつものように、その中身を確認すると、かわいい我が子でもあやすようにその本に頬ずりした。


「おぉ、かわいそうに。ごめんなさいね、こんな野蛮な人をけしかけて」


「ひどい言い草だな。上首尾じゃねえか」


「どこがよ!?」


「一頁で済んだだろう」


「目的を果たせば良いってものではないわ。物事には正しいやり方というのが」


「だったら、お前が登ってくればいいじゃん」


「屁理屈」


「いや、限りなく正論だろ。あぁ、もう、やだやだ、これだからお役人様ってのはいけすかねえぜ。自分は仕事しないで、文句ばっかり」


 ぐぇ、と、また、喉が締まった。


「マクシム。貴方という人は。もう少し、魔導書に対して敬意と愛を持って接することはできないの!」


「できるかよ。俺、文字読めないし」


 俺はこれこの通り――司書補で盗賊上がりの駄犬ですから。

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