第6話 ジョギング中の思案

 地下鉄大手町駅のホームに、電車が入ってきた。夕時の地下鉄のホームでは、魂を抜かれたような顔をしたサラリーマンたちが、床の目印に沿って短い列を作っていた。まるで地面に塗った蜜に群がる蟻みたいに。車体がホームに入ってくると、トンネルから押し出された空気がホームの端から端へ勢い良く吹き抜けていった。その風は生暖かく、また少し湿っており、まるでこの街のため息みたいだった。僕は電車に乗り込み、車体の壁に寄りかかると、ただ車内の空間の一点を見つめながら、東京の地下のことを考えた。東京の地下には、蜘蛛の巣のように地下鉄網が張り巡らされており、それぞれの路線を5分おきくらいに電車が走っている。いまこの瞬間に一体何百台の車両が走っているのか、そして何千人、いや、何万人の乗客が移動しているのか想像しようと務めたが、うまくイメージできなかった。その代わりに、地上で今日一日に人々がついたため息が地下に染み渡り、何百台という車両とともに地下鉄網の中を吹き抜けている様子を思い浮かべた。それはとてもおぞましい光景のように思えた。何かの漫画で読んだ、人の負の感情を食らう鬼が東京の地下に現れたとしたら、きっと食べ過ぎで負の感情が苦手になるだろうと思った。僕は、食わず嫌い王決定戦で鬼のメニューに負の感情があるところを想像した。違和感がありすぎて逆にすぐ当てられてしまうだろう。そんなことを考えている間に、電車は地上を走っていた。そして荒川を越え、右手に葛西臨海公園の観覧車を臨みながら、葛西駅に到着した。僕は電車を降り、ホームの階段を降りた。階段の真正面の壁一面に広告が貼られ、旬を過ぎた女性タレントが嘘臭い笑顔を浮かべて保険の宣伝をしていた。僕は改札を出て、まっすぐに自宅アパートに向かった。途中、キャバクラの客引きと謎のフルーツ売りに話しかけられたが無視した。

 アパートに着いたのは午後7時頃だった。僕は着ていたワイシャツと肌着、靴下を脱いで洗濯カゴに投げ入れ、スラックスをハンガーにかけてクローゼットに入れた。そして箪笥からTシャツとジャージを出して着替え、冷蔵庫から缶ビールを出して飲んだ。僕は部屋の中心のテーブルで肩肘をつきながら、ぼんやりと部屋の中を見渡してみた。ベッドとテレビ、そして本棚と机があるだけの簡素な部屋だ。部屋の隅においてある空気清浄機が、突然音を立てて空気を吸い始めた。授業中に先生に突然指名された時の「寝てません!」という声が聞こえてきそうな挙動だった。僕は本棚から読みかけの小説を取り出し、続きを読もうとしたが、まるで本の読み方を忘れてしまったみたいに、文字を目で追うばかりで内容がまるで頭に入ってこなかった。僕は諦めて小説を閉じ、ビールを一口飲み、棚からクラッカーを取り出してチーズを乗せて食べた。今朝、職場の廊下で誘導灯の話を聞いてから、一日中、自分がフワフワと浮いているような感覚で過ごした。仕事も、小説の内容も、ビールの味も、謎のフルーツ売りの言葉も、すべてが自分とは関係のないどこか世界の遠くで起きている事柄のように感じた。まるでテレビ画面を通してみる空爆の映像みたいに。誘導灯との会話によって、僕の理性を司る部分と感情を司る部分とをつなぐコードのプラグが抜けてしまったみたいだった。今ならそんなに苦もなく自殺だってできるだろう。僕は、このフワフワした気分を晴らすために、走ることにした。走ることによって浮ついた気持ちを整理することができるような気がしたのだ。僕は新しい靴下を履き、抽斗からG-SHOCKを取り出して左腕に着け、鍵だけをポケットに入れ、ビールを一口だけ飲んで残りを流しに捨てた。そして白地に赤のラインの入ったジョギング・シューズを履いて玄関を出た。鍵をアパートのエントランスの郵便ポストに放り込み、僕はゆっくりと走りながら環七通りを小岩方面に進んだ。環七通りは街灯と車のヘッドライトで橙色に輝いていた。大きな橋の手前で脇道に逸れて少し進むと、新川の河岸に出る。新川とは、荒川と江戸川を繋ぐ、全長3キロほどの小さな人口の運河だ。その河岸は木製のレトロな遊歩道になっており、春には両岸に桜が咲き乱れる。この河岸を一周するのが僕のいつものジョギングコースだった。僕はG-SHOCKのボタンを押し、液晶を光らせて時刻を見た。7時半を少し過ぎたところだった。早い時間にもかかわらず、河岸の至る所で首からタオルを下げた人々がジョギングをしていた。僕は歩道のポールに足を乗せて念入りにストレッチをした後、新川を右手に見ながら荒川方面へ走った。僕はいつも、途中で立ち止まらずにこの運河を一周する、つまりノンストップで6キロ走り切ることを目標にしているのだが、未だに一度も達成できたことはなかった。新川には至る所に橋がかかっている。小さな広場になっているほど幅の広い橋もあれば、人一人がやっと通れるほどの幅の橋もあるが、だいたい500メートルごとに対岸に渡れるようになっている。つまり、川の端まで行かなくてもいつでもコースのショートカットが出来るのだ。これが、僕がこのコースを気に入っている理由でもあり、また完走できない理由でもある。

 僕は走る速度が人よりかなり遅い。完走を目標とすると、速度を上げ過ぎるとすぐにバテてしまうし、落としすぎてもやはりバテてしまうため、自分のペースを保つことが大切だと思っている。今日も、走り始めて早々に、若い夫婦と思われる男女に抜かれ、短パンにタンクトップという出で立ちの老人に抜かれたが、あまり気にならなかった。こうやって夜の川と街灯に照らされた桜の葉を見ながら最後まで走り切ること自体に意味があるのであり、競争をしているわけではないのだ。

 川の中程で、魚が大きく跳ねるのが見えた。バシャンという水音とともに、水面に円形波が広がった。魚はエラに空気が入ると死んでしまうのだという話を聞いたことがある。なぜそんな危険なことするのだろうか。あれは遊びなのかもしれないし、苦しんでいるのかもしれない。あるいは体を痛めつけることで精神を成長させる、一種の苦行のような宗教的行動で、苦しみの中に希望を見出しているのかもしれない。真実は魚に聞いてみないとわからないが、もしインタビューができたところで到底理解はできないだろう。僕はスカイダイビングと投身自殺の違いもよく分からないのだ。

 しばらく走ったあたりで、東京スカイツリーが夜空にひょっこり顔を出した。展望台の部分が青く輝いている。できたばかりの頃はあの無印良品のボールペンのようなデザインに日本の将来を憂いたものだが、見慣れてくるとあの無骨なデザインも案外悪くないもののように思えた。江戸城の鬼門を破っているという懸念も、今では江戸城の結界を守っているのだと思えるようになった。風水というものはなかなかいい加減なものだ。同じものが、見方によってはお守りにも呪いの札にもなる。東京で災害があればスカイツリーのせいにされ、災害から守られればスカイツリーのおかげになる。あくまで結果的にしか物事を決められないのだ。世界恐慌を防げない経済学と同じように。

 いつのまにか、僕は対岸を走っていた。荒川に着いたのではなく、無意識のうちにコースをショートカットしていたのだ。ふくらはぎが悲鳴を上げていた。このままスタート地点に帰れば、おそらく走行距離は2キロというところだろう。自分の精神力の弱さに辟易としたが、今日は仕事終わりだし、食事もあまり取っていないし、その上ビールを飲んでいるのだ。走れないのもしかたがないことのように思えた。

 僕はなんとかスタート地点に戻ってきた。膝は笑い、全身の毛穴という毛穴が開いて、心臓の鼓動に合わせて汗が次から次へと溢れてくる感覚があった。底に穴の空いた船から水をバケツでせっせと掻き出すみたいに。僕はその場に座り込み、息を整えた。僕の前を通る通行人やジョガーたちが心配そうに僕のことを眺めてくるのがわかった。たかが2キロをタラタラと走っただけとはとても言えない乱れようだった。やがて汗が引き、呼吸も楽になったところで僕はゆっくりと歩いてアパートに戻った。まるで足の骨がすべて鉄アレイに入れ替わってしまったみたいに、足が重く感じられた。

 アパートに着くと、暗い部屋の中でスマートフォンの画面が光っているのが見えた。僕は重い足をなんとか動かし、机の上の携帯を手にとった。液晶画面に、見慣れない文字が踊っていた。

『着信あり えんがわ』

 僕は携帯をベッドに放り投げ、椅子に座って腕を組み、天井を見上げて大きく息を吐いた。天井のシミが、怒りに満ちた女性の表情に見えた。

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