第5話

「へぇ・・・すげぇな、あいつ。そんなこと考えてたんだ。」

大学から駅までの帰り道、良太には奥野とした話の最後だけを聞かせた。 授業が終わると、奥野はいつものように黙って席を立ち、今日はクラスメイトたちも遠巻きに、 奥野の後ろ姿を見送るだけだった。きっかけを見つけられず、ジュンも何も言えずじまいに なってしまった。いまになって、やはり何か言うべきだったかと、ジュンは心の中で少し後悔した。

「かっこいいじゃん、『やりたいことが見つかった』なんてさ。俺も一度でいいから言って みてぇよ、こんなセリフ。マンガに出てきそうじゃん。」

少年漫画が大好きな良太は嬉しそうに言った。

「俺なんか全然やりたいことなんか見つかんないからなぁ、見つかってもいつも失敗するか、 挫折するか、って感じだもん。ジュンはどうよ?」

急に話を振られて、ジュンは言葉に詰まった。奥野の話を聞いた後、ジュンの頭の中にも そのセリフがずっと回っていた。

「やりたいこと、かぁ。」


今まで『やりたいこと』はきっとたくさんあった。憧れや夢と呼ぶべきものも含めたら 数え切れないと思う。野球選手や電車の車掌、宇宙飛行士、大空を飛び回る鳥、青い海を泳ぐ魚・・・ 幼い頃には、今にして思えば無謀なことも本気で考えていたに違いない。そしてたぶん振り返っても 思い出せないものだってあるのだろう。今だって、もっと自由が欲しいとか、旅行に行きたいとか、些細な ことならいくつでも頭に浮かぶ。けれど本気で『何かをやりたい』と思うことが一体何度あっただろうか。 もしも『やりたいこと』を夢と呼ぶのなら、得られるかどうかもわからない夢に向かって、 自分が今持っている何かを捨てても構うことなく突き進むことが、自分に出来るだろうか

―今の自分にはきっと出来はしない。

ジュンは首を横に振った。

「思いつかないや、俺も。」

「だよなぁ、難しいよな、こういうのって。やっぱりあいつ、すげぇんだ・・・。」

奥野を褒める良太の言葉がやけに耳に残った。


学内はしばらく奥野の話でもちきりだったが、奥野が退学処分をあっさりと受け入れたことと、 殴られた教授も自宅待機処分になったことで、自然と話題に上らなくなった。ジュンも奥野のことは 殆ど思い出さなくなった。前期試験が近づいていた。試験期間中はいつも大学のそばの喫茶店で ユキと勉強することにしている。

「今日は何時に待ち合わせる?」

ユキに電話をかけると、ジュンの言葉が全て終わらないうちに、

「ごめーんっ!」

という声が聞こえた。

「母親が具合悪くなっちゃったから、今日は早めに帰らないといけなくって。」

「そっか、じゃあまた。」

電話を切ってしばらく考えた後、ジュンは喫茶店の前を通り過ぎ、駅へと向かった。


『CHASE』に行こうと思った。

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