第4話
―先週の金曜日、バイト行くのに電車待ってたんだ。そしたらさ、ホームの一番前に親子がいた。若い母親と小さい女の子だよ。すっげぇ楽しそうにしりとりやってんだ。
俺さ、小さい頃に母親が死んだから、自分の母親の顔ってよく知らない。だからなんかそういうのいいな、とか思っちゃうんだよね・・・まぁ、それはいいや。
で、母親が『でんしゃ』って言ったら、女の子が『やかん』って言ったから、しりとりが終わったんだ。その時に、ちょうど電車が来る放送が流れた。
「しりとり終わっちゃったね。また後でやろうね。危ないから後ろ下がろっか。」
そう言って母親が女の子の手を引いたとき、女の子のかぶってた麦わら帽子が風で飛んだ。慌てたんだろうな、母親はホームを走る帽子を追いかけ始めた。女の子の手を離して。ホームからは電車の姿がもう見えてた。その時だよ。
ちょうど女の子の後ろに立ってた中年のおっさんが、ひとりになった女の子の背中を押したんだ。ほんとに瞬間的に。俺、何が起きたのかよくわからなかった。けど反射的に女の子がホームの向こうへ倒れるのを見て、止めなきゃって思った。俺は手を伸ばして女の子の手をつかんだ。
「みなちゃん!」
後ろで母親の声が聞こえた。女の子の身体が俺にぶつかってきた。
・・・大きな警笛をあげて、電車の先頭が目の前を通り過ぎていった。隣で「ちっ」っていう舌打ちが聞こえた。母親が戻ってきた。女の子が泣き始めた。
俺はそしらぬ顔で電車に乗りこもうとしたおっさんを引きずり降ろした。女の子が無事だったことは良かったけど、おっさんのやったことを黙って見過ごしたくなかった。
「何やってんだ、おっさん。」
そしたらさ、おっさん何て答えたと思うよ?
「この子がさっきから私の足にぶつかってきてたんだよ。おかげでズボンが靴跡だらけだ。自分の子供がどれだけ他人に迷惑をかけてるのかすらわからないこの母親に思い知らせてやろうとしただけだ。子供なんてやまかしい生き物を我がもの顔で連れて歩く奴にはこれくらいの罰は必要なんだ。」
びっくりするだろ?そりゃあ俺だってガキがやかましいと思うことあるよ。かん高い声でキィキィ騒がれるとイライラしたりもする。だけど、だからって殺そうとは思わない。俺らは今もう大人だけど、元を正せばその大人だってみんな誰かの子供だったわけじゃん?俺らだって、そうやってキィキィ声あげて育ってきたんじゃんか・・・。
気がついたら殴ってた。しりもちをついたおっさんがわめいてた。
「お前のような奴が社会をダメにするんだ。」
周りが騒がしくなった。駅員が駆け寄ってきた―
そこまで話すと、奥野は軽くため息をついた。
「本当のこと、言えば良かったじゃん・・・悪くないじゃん、奥野。」
「言ったところで信じるかよ、俺みたいな奴の言うことなんか。」
「だってさ・・・」
「いいんだ。別に大学なんて窮屈な場所に必死でしがみつく必要もないしな。それにさ、俺外国に行こうと思ってるんだ。」
そこまで言ってから言い訳するように、奥野は
「まぁ、外国って言っても、アメリカとかフランスとかじゃなくって、アフリカの方なんだけど。」
と付け足した。
「何しに行くつもりだよ。あの辺ってただ治安悪いだけじゃんか。」
「まぁ、そう言うなって。確かに何もない所だし、罪のない一般市民だって、場合によっちゃあ命を狙われる。」
「大丈夫なのかよ、そんなんで。」
「さぁな。だけど、そこで毎日生活してる奴らがいるわけだし。そういう奴らと暮らしてみたくなったんだ。」
奥野は言葉を切り、それから唐突に、
「雪を見せたいんだ。」
と呟いた。
「ゆき?・・・って、降るやつ?」
「あぁ。昔テレビで見たんだ。暑い国の奴らは、空から降るものが雨と砂だけだと思ってるって。空がくれるものはそんな痛そうなものばっかりじゃないんだぜ、ってことを教えてやりたくてさ。」
照れたように鼻を鳴らし、奥野は静かに言った。
「これでいいんだ。やっと自分のやりたいことが見つかった。」
後ろでドアが開く音がした。奥野はそれきり話すのをやめて、本に目を戻してしまった。
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