第42話 知恵比べ

  3  知恵比べ


「二つ目の疑問」


 アルディラが咳払いして続ける。


「なぜ危険を承知でアトリを送り出したかね。これには理由がいくつかあった。最初の理由は、妖精狩りが追いつく前に一刻も早く実戦経験を積んでほしかったから。遅くなればなるほどこちらが不利になってしまう」


「……まあそりゃそうやな」


「二番目の理由。もし万が一、妖精狩りがすでに追いついているなら、さっさと誘い出して返り討ちにしてやるほうがいい。余計な仕掛けをされたら面倒だから。具体的には他の仲間を呼ぶとか、ガーゴイルだの人狼ワーウルフだのをもっと大量に連れてくるとかね。誘い出すには信頼できる護衛を一人だけつけて、普通の先導に見せかけるのが一番だった。下手にベテランをつけたり、ぞろぞろ護衛を引き連れたら警戒しているのが丸分かりになるし、アトリの経験にもならない」


 ルピニアは眉をひそめた。


「護衛が倒される可能性は考えんかったんか?」


「最悪のケースとして考えたわよ。そのときのために、あなたたちには自力で逃げられるだけの訓練を受けてもらう必要があった。エド、あんたに護衛を依頼したのもそのためよ。あんたなら手抜きせずに鍛えてくれると思っていたわ」


 視線を向けられたエドワードは肩をすくめた。


「そいつはどうも」


「妖精狩りが魔物を連れてくる可能性も考えてはいたけれど、せっかく連れて来たガーゴイルをエドになすりつけずに放置して、今度は人狼を連れてくるとは思わなかった。向こうは同じタイミングで二階を歩き回るパーティがいると思わなかったんでしょうね。おかげでケインたちがとばっちりを受けた」


 ケインが腕組みしたままうなずく。その顔に特段不満の色はなかった。


「こう言うとケインには悪いけれど、ガーゴイルに襲われたのがあんたたちだったのは不幸中の幸いだったわ。頑丈なあんただから、全部引き受けて無事だったわけだしね」


「たしかにガーゴイル四匹は俺一人じゃ止めきれねえ。半分は後ろへ行っちまうだろうな」


 エドワードの冷静な予測の意味を想像し、ジャスパーは身震いした。


 相手は四階の魔物だ。エドワードをすり抜けた二体を自分とエルムが一体ずつ食い止めたとして、どれだけ持ちこたえられるだろうか。皮鎧を一撃で切り裂くような敵が自分たちを突破し、アトリやルピニアに襲い掛かっていたら――


「でも、今度はそのケインさんを利用されちゃったね」


 エルムの指摘に、アルディラは小さく息をついた。


「ええ、それは認めるわ。あたしも妖精狩りが幻身の術を使えるなんて予想できなかった」


「それは俺の落ち度だ」


 ケインが首を振る。


「俺はあいつらに『エドワードの偽者が出た』とはっきり伝えなかった。他にも面倒な奴がいたとか、その程度しか言わなかった覚えがある」


「あの子たちはそれを誤解したのね。他にも別の魔物がいたらしい、と言っていたわ。あたしもケインがそれを倒しに二階へ戻ったんだろうと誤解して、夜明けまで様子を見てしまった。あんまり戻ってこないから、変だと思ってフィオナを送ったのだけれど……。あの子たちだけが戻ってきた時点で、迷わずにそうするべきだったわ」


 このあたしが悪知恵で遅れをとるなんてね。アルディラは自嘲気味につぶやいた。


 ――あいつと悪知恵を競ってどうするんや。


 ルピニアはかすかに不快感を覚えたが、言葉にはしなかった。




「三番目の理由。すでに妖精狩りが止まり木亭にまぎれ込んでいたとしても、護衛がエドなら返り討ちにできそうだと見当がついていたから」


「なんでそんなことが分かるんだ? 顔も名前も分からなかったんだろ」


 ジャスパーが首をかしげる。


「ここしばらくは、新規登録者の中に印象に残るほど強そうな経験者がいなかったからです」


 返答はジャスパーの予想外の方向から聞こえてきた。


「もしその中に妖精狩りがまぎれていたとしても、中堅の冒険者が護衛についていれば対処できるだろうと報告してありました。今朝あの男を見てようやく、三日前に登録した解除師だったこと、登録した時点では変装していたことに確信を持てました」


 エルムがあっと声を上げた。


「まさかフィオナさんって、冒険者登録の受付をしてたおねえさん?」


 フィオナはいたずらっぽく微笑んだ。


「はい。やっと思い出してくれましたね。エルミィさんたちは印象が強かったからよく覚えていますよ」


「あんたら登録のときになんかしたんか」


 ルピニアがジャスパーを肘で小突く。ジャスパーはうんざりしたような顔を向けた。


「お前も性別を書いただろ」


「……すまん。聞いたウチがアホやった」


 小声で会話する二人をよそに、エルムが問いを続ける。


「冒険者登録のときには変装していたんだよね? それなら素顔の妖精狩りを見て、どうしてその解除師だと分かったの?」


「変装していても分かる特徴があったからです」


 フィオナは懐から小さなペンダントを取り出した。翡翠らしき緑色の宝石がかすかに輝いている。


 室内に穏やかな風が吹いた。それはアトリが風の精霊を呼び出した際の気流によく似ていた。


「わたしは普段から風の精霊を連れています。あの男はいやな感じがすると、登録のときにこの子が教えてくれました。縛られたあの男からも同じ気配がしたというので、同一人物だと分かったんです。理由もなく精霊に嫌われるひとはいませんから登録のときから気になっていましたが、だからといって妖精狩りだという証拠にはなりません。それで確信が持てませんでした」


「精霊を連れとるって、フィオナはんは射手やなかったんか?」


「よく勘違いされます。本業は精霊使いですよ」


 エルムはフィオナとアルディラを交互に見やっていたが、やがて小さくうなずいた。


「……うん。精霊に嫌われるなんて変だけど、たしかにそれだけじゃどうにもできないよね」


 ジャスパーは三人のやり取りに首をかしげていた。


「その、精霊に嫌われるってどういうことなんだ?」


「簡単に言うと近寄りたがらないという意味です。たとえば精霊は鉄が嫌いですから、鉄の鎧を着ているひとには近づきません。でもあの男は、それと分かる理由が見当たりませんでした。……あとで正体が分かって納得しました。この子はきっと、フェアリーの背中に宿っていた仲間たちの悲鳴を感じていたんです」


 ペンダントを撫でるフィオナの表情に変化はなかったが、ジャスパーはうすら寒いものを感じていた。

 激昂してもすぐ冷めるアルディラの怒りと違い、フィオナのそれは静かで底が見えない。隣のテーブルでエドワードも身を固くしたようだった。


「……そういう怪しい奴は断ったりできないのか?」


「経験を積んだ冒険者として登録するひとの中には、たしかに犯罪者すれすれの無法者もいます。それを見分けるために、最初は仮の通行証を発行して様子を見るんです。半月以内にダンジョンへ二回以上潜って証拠の品を見せるか、何か一つクエストをこなさないと、その通行証は無効になります。ただの無法者ならだいたいそれで判別できますから」


「意外と厳しいんだね。ボクたちのときはあっさり発行してくれたから、簡単に騙せるのかと思ったよ」


「初心者の場合は最初から正式な通行証を発行していますよ。犯罪者の疑いがあるかどうかは、最初の冒険で先導役が見極めてくれますから」


「なんや、そんな仕事もしとったんかセンパイ」


 エドワードは興味なさそうに手をひらひらさせた。


「安心しろ。お前らに犯罪なんざできやしねえよ」


「はいはい。話を戻すわよ」


 アルディラが軽く手を叩いた。


「アトリには早く経験を積ませたかったし、もし追いつかれていてもエドを護衛につけて誘い出せば返り討ちにできると踏んだ。今回が外れでも、しっかり訓練を受けておけば本物が現れたときに楽になる。送り出した理由はこんなところ。納得したかしら」


 ルピニアはあいまいにうなずいた。


「……分かったけど。なんかすっきりせん」


「けっこう危なかったからな。だけど何もかも思いどおりにはいかないから冒険なんだろ。結局悪いのは妖精狩りだけだし、センパイを護衛につけてくれたから無事に帰ってこられたんだ。ありがと、アルディラさん」


「そう言ってもらえると助かるわ」


「ボクからもありがとう♪」


 にこやかに笑うエルムと、アルディラの視線が一瞬絡みあう。


「……?」


 アトリは両者の顔を交互に眺め、首をかしげた。


 交わされた視線はある種の緊張感をはらんでいるように感じたが、二人とも笑顔だ。気のせいだったのだろうか?




 遠くから鐘の音が聞こえてきた。夕の一の鐘。昼の終わりを告げる鐘だ。


「時間だ。失礼する」


 バートラムが静かに退室した。ジャスパーは正面の空間にぽっかりと穴が開いたように感じた。


「あたしたちもそろそろ仕事に戻るわよ。夜には憲兵が来るだろうし」


「はい。到着したらお知らせします」


 アルディラとフィオナが席を立つ。

 フィオナは去り際に振り返り、四人に笑顔を向けた。


「みなさん、最初のクエスト成功おめでとうございます。今夜は打ち上げを楽しんでくださいね」


「俺もそろそろ行く。アトリ、もう俺たちのことは気にしなくていい。安心して自分たちの成功を祝え」


「はい。ありがとうございます」


 深く頭を下げたアトリを背に、ケインも皮袋を担いで退室した。


「……エドワード先輩。ケインさんは本当に大丈夫でしょうか。アルディラさんに借りを作るのはよくないんですよね」


 顔を上げたアトリは眉を曇らせていた。


 表向き、ケインはリックたち五人の失敗を穴埋めすべく、夜通しサソリの尻尾を集めたことになる。彼の面目は保たれるだろう。その代償として彼はフィオナや店主夫妻に借りを作った。それが彼にとってどの程度の負担となるのか、アトリには想像がつかなかった。


「心配すんな。あいつならすぐ返すさ」


 エドワードは生あくびしながら答えた。


「そうごちゃごちゃ考えるな。お前さんの悪いくせだぞ」


「……なんか、また頭が疲れた」


 ジャスパーが椅子に背をもたれ、大きく伸びをした。


「もう話は終わったんだろ。あとはご馳走でも食べてすっきりしたい」


「今はこれくれえでいいんだ。単純すぎるのも考えもんだけどな」


 エドワードが肩をすくめる。


「ねえ、ダンジョンにいる間はお肉ばっかりだったよね。ボクそろそろ野菜や果物が食べたいな。アトリちゃん、止まり木亭にそういうメニューってあるの?」


「あ、はい。サラダは大丈夫です。果物はあまり種類がないので、市場から買ってくるひともいますね」


「そんならあとで買いに行こか。センパイは今夜どうするんや?」


「今夜くれえはつき合ってやるが、暮れの鐘までは寝させてもらう。急ぎでねえなら起こすなよ」


 エドワードがあくびをかみ殺しながら席を立つ。


「ありがとうございました。エドワード先輩」


 エドワードは無言でひらひらと手を振り、扉の向こうへ姿を消した。


「……さて」


 ルピニアが軽く伸びをして立ち上がる。


「準備金はあとで分ければええな。その前にやらなあかんことがあったわ。エルミィ、ちょっと一緒に来や」


 エルムは目をしばたいた。


「ボク? どこへ?」


「決まっとるやろ、バッタモンド商会や。鍋をどうにかせなあかん」

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